第9話 先住物その2(クマ) 1
大量虐殺(死んでない)を心の中で目一杯反省したレティシアは、気を取り直し再び扉を細く開けた。
(今度こそ、外にでるわよ)
扉から少し離れた所に、黒毛の生き物が立っていた。
それは二本足で立ち、立派な服を着ていた。
顔は黒い毛で覆われており、目がどこにあるかわからない様子なのに、目が合ったような気がした。
「ひぇっ!!」
公爵令嬢として失格な声が出た。
扉は一瞬で閉めた。
「あ、あれ何かしら?! クマ? 黒クマ?! 服着てたわ?! クマ人?!」
『くまちがうのー』『くろくまちがうのー』
「クマ人じゃない!」
ケサランパサランも扉の向こうのクマも、クマではないと言っている。
だが、クマではないなら、なおさらたちが悪い。クマに似た得体の知れない生き物ということではないか。
レティシアは扉を押さえたまま耳をつけて様子をうかがった。
「――――というか、君! 発泡ワインのように光さざめく髪、水宝玉のように淡く溶けてしまいそうな碧眼、可憐な薔薇色の頬と唇! レティシア・エーデルシュタインだろう?!」
(黒クマがわたしの名を?!)
「わたくしがなぜクマにほめられていますの?!」
「俺はクマじゃないって! ほめてもない! ありのままの事実をそのまま述べたまでだ!!」
あれでほめていないとは、クマ語はむずかしい。
それにしても、クマに知り合いはいないし、クマに似た得体の知れない生き物とも関わったことはないはずだ。どこかで会ったことがあっただろうか。
もう一度扉を開けた。
「――――やっぱり、レティシア・エーデルシュタイン!」
『まえのマスター!』『もとマスター!』
「あら…………?」
近付いて来た黒クマをよく見ると、口元はひげでもっさりと隠れていたが、長い前髪の下には人の目と鼻がある。
毛の色も黒ではなく、夜空のような濃紺。髪の間から覗くのは、夕暮れの空のようなオレンジ色を帯びた
そして何より、大陸の正式なマナー通りに、名と家名でレティシアを呼ぶ人。
そんな人をレティシアは知っていた。
「…………フェリシダーデ帝国第二皇子……ベルナール殿下…………?」
「そうだよ、レティシア・エーデルシュタイン。久しぶりだね」
表情がよくわからない姿で再会のあいさつをしたのは、どうやら本当にベルナール・ドゥ・フェリシダーデであるらしい。隣国であり、大陸一の大国フェリシダーデ帝国の皇子だ。
ふたりは国立シュタープ魔法学園で同じクラスだった。
レティシアは元同級生に
「……ごきげん麗しゅう、ベルナール殿下。お久しぶりでございます。学園の卒業式以来でしたでしょうか。あの……マルティーヌ殿下と婚約解消後、帝国へお帰りになったと聞いていたのですが……。なぜ、こちらに……?」
「なるほど、世間ではそんな話になっているのか……。本当は違うんだ。卒業した数日後に、マルティーヌが婚約破棄と言い出したんだ」
「婚約破棄」
「うん、婚約解消なんて優しいもんじゃなくてさ、彼女の護衛で周りを固められて、魔法を向けられた。信じらんないよね。よくわからない魔法陣を人に向けるとか、ありえない」
「よくわからない魔法陣」
「そろそろ帝国へ向かう準備しようって話をしに、マルティーヌの部屋に行ったんだよ。それが、婚約破棄という話になって。で、魔法攻撃。とどめの追放。――――ねぇ、俺、マルティーヌにそんな憎まれるようなひどいことしてたかな」
「……いえ、殿下はとても紳士的だったと思います。あんなひどい態度のマルティーヌ殿下にも優しかったですし」
「いつか仲良くなれるかなと思ってたんだけど、だめだったね。ああ、でも君の婚約者の態度も悪かったよね。あそこの姉弟どうなってるんだ」
レティシアは頬をひきつらせて笑うしかなかった。
「まぁ、さ……婚約破棄は仕方ないかなとも思うんだ。国同士の政略結婚だし、どうしても相手が合わないこともあるよね。思いつめて自害とかされるよりはいいよ。けど、こんなところに飛ばす必要ない――――……って、レティシア・エーデルシュタイン。どうしてここにいるの…………」
疑問形じゃないところが笑える。
「……どうしてだと思います?」
ウフフフフ……と薄ら笑いを浮かべるレティシアに、ベルナールは頭を抱えた。
「……なんだかすごく嫌な予感がする」
「多分その予感を裏切りませんわね」
「――――王家の秘術?」
「[永遠の牢]だそうですわ」
「そうか……君もそれで…………」
同時に長いため息をついた。
本当にありえない。
自国の次期公爵であるレティシアだけではなく隣国の皇子まで、こんなよくわからない場所に追放するなど。
レティシアは、あの時のマルティーヌの様子を思い出した。
本の中から迷いなく、あの魔法をストーリッシュに勧めていた。
“――――その魔法陣はね、すごく効き目があるのよ。特になまいきな者に効くの。永遠にお別れできるわ……楽しみね――――”
マルティーヌは一度使ったことがあったのだ。
ベルナールに。
だからその効果を知っていたのだ。
これはもう重犯罪だ。
いくら国を治める王家といえ、許されるものではない。外に出られたら罪を問うてもいいはずだ。
だがそれまでは、もう被害者が出ないことを祈るしかレティシアにできることはない。
幸運にも、ヒラピッヒ王国には王子がもうひとりいる。王太子であり第一王子。
あまりお会いしたことはないが、レティシアは王太子があのふたりを抑えてくれることを期待することにした。
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