第28話 野生化探偵、推理する

 さて輝く石を持ち帰った佳彦であったが、手で抱えて持ち帰っているうちに、両の手の甲に異変が生じていた。何と言うか手の甲の皮がむず痒くなってきたのだ。

 戻ってきた佳彦はひとまず石を傍らに置いた。何かにかぶれたのだろうか。そうなったらそうなったで大変な事だ。

 手の皮を見た佳彦は、驚いて妙な声を上げそうになった。手の甲や手首の骨周りの皮の近辺から、唐突に太くて黒い毛が生え始めていたのだ。さほど長くは無いが、毛の太さや色合いの自己主張が激しく、産毛というよりむしろ髭やすね毛と変わらぬほどに見えた。佳彦は男子であるがそこまで毛深くはない。確かに最近野生化が激しいと自分でも思っていたが、まさか毛が生えてくるとは。

 妙に毛深くなった手を見ていると、急に恥ずかしさがこみあげてきた。それは野生化しつつあるおのれの裡に残る、わずかな人間らしさのなせる業だったのかもしれない。

 ともあれ佳彦は茫洋と手の甲を眺めていたが、急激に生えてきた毛をつまんで抜く事にした。全部抜きたかったが、とりあえず左手の毛だけ抜いておく。全部抜くのは痛そうだし、何より玉藻に状況を見せた方が良いかもしれないと思ったからだ。

 

 

 夕飯の準備をしなければ、と思いつつも佳彦は結局毛抜きに没頭していた。自分の指と爪を使って一本一本抜いていたのだ。爪も何となく硬く丈夫になっていたので、毛を抜くのには案外具合が良かった。しかし毛抜きも作らないと、と思ったのも事実である。無駄毛を抜くのは今回だけかもしれない。しかし小さな棘が指などに刺さったり、魚などの小骨を取るのに毛抜きがあると便利な気がした。


「ただいま、キビ。あら……どうしたの?」


 帰宅してテントに入ってきた玉藻は、佳彦の奇行を見るや否や荷物を脇に置いて駆け寄ってきた。仕留めた動物のほかに、丸い物が三個ほどあるのを佳彦は見た。


「ごめんなさい、玉藻さん。夕飯の支度をしないといけなかったんですが……どうしても手に毛が生えているのが気になって……抜いているうちに時間が過ぎちゃいました」


 そう言いながら、佳彦は右手を玉藻の前に差し出した。左手の剛毛は大方抜けた所であるが、右手にはまだ謎の剛毛たちは健在である。


「痒いと思って見てみたら、こんな風に毛が伸びてきていたんですよ。元々毛深くなかったのに急にこんなになるってなんか恥ずかしいですし……」


 玉藻は人間の姿のまま小鼻を動かしていた。だが顔を上げて佳彦を見つめると軽く首を傾げて微笑んだ。


「別に、変な状態になってるって匂いじゃあないけどね。それに私らからしたら、折角生えてきた毛を抜くのももったいない気がするの。やっぱりケモノだからかもしれないわ」

「そんな、玉藻さんが獣だなんて」

「いうて私も狐だもの……」


 言葉を交わしたのち、二人は顔を見合わせて笑い始めた。笑うたびに佳彦の伸びた髪が揺れる。ロン毛を揺らしながら、ハサミとかも用意したほうが良いかもしれないと思った。


 この日の夕食は肉料理と木の実とゆで卵だった。玉藻が卵を三個持って帰っていたので、二個茹でて一個ずつ分け合って食べたのだ。ゆで卵といっても鶏卵やウズラの卵ではない。現地の鳥の卵だった。独特な色合いで、白身の部分は白かったのだが、黄身の部分には青緑の網目模様が細かく走っていた。青緑色の小さな塊もあった気がする。

 今更そのような物に怖気づくような事は無いが、卵の内部にある模様が不思議なものに思えてならなかった。


「きっとこれは有精卵・血卵だったのよ」


 平然と言ってのけた玉藻は、既にゆで卵を平らげていた。


「壊れかけた巣の中にあった卵を拾って来たからね。本当は親鳥が護っていたはずなんでしょうけれど、きっと他の獣にやられちゃった後だったわ。羽が、風切羽も綿毛みたいな羽もたくさん散らばってたから」

「そうだったんですか……」

「残りの一個も一緒に茹でて食べれば良かったんじゃないの?」


 卵の親の悲運に思いを馳せていると、玉藻がさりげなく話題を逸らしてくれる。佳彦は苦笑いしながら首を振った。


「卵は明日食べますよ。僕も若いけど、コレステロールの事を考えたら卵は一日一個に留めといた方が良いかなって思うんです」

「まぁ、そう言うのなら無理しなくても良いかもね」


 実を言えば、佳彦は玉藻にすぐにあの輝く石について尋ねるつもりでもあった。しかし局所的に毛深くなった事やゆで卵の事ですっかり頭がいっぱいになってしまっていた。



 翌朝。佳彦はアラーム音で目を覚ました。否、アラーム音ではなくアラーム音に似た何かだ。佳彦のスマホはとうに板切れと化し、自作したもののほかに文明的なものはない。

 一体なんだろう。時々か細く不揃いに鳴り響く音源が何か。それを見極めるべく佳彦は首を巡らせた。


「ピィ……ピピピィ!」


 その動きに呼応して、何かが佳彦の顔めがけて突進してきた。小さな綿のような塊である。それは所謂ヒヨコだった。明るい黄土色の羽毛、黒々とした丸い瞳、そして小さな嘴の持ち主だ。普通のヒヨコと違うのは翼が四枚ある事であろうか。四枚の翼をせわしく動かし、ややぎこちない足取りで佳彦に近付いている。


「た、玉藻さん!」

「ピィ、ピィ、ピィ!」


 四翼ヒヨコの啼き声をスルーし、佳彦は玉藻に声をかけた。どうしたの……血圧の低そうな玉藻の声が佳彦の耳朶を打った。


「た、卵がヒヨコになってるんです!」


 四翼ヒヨコは捕獲するまでもなかった。佳彦が手を向けるとそこに向かって来たので、ハムスターをすくい上げる要領で手の上に乗せる事が出来た。ヒヨコは満足げに一声啼き、羽繕いをしている。


「あら、可愛いじゃない」


 玉藻はヒヨコの姿にほおを緩めたが、すぐに何かに気付いたのか首を傾げた。


「だけどそれにしては変ね。確かにあの卵たちは有精卵だったけど、まだ孵化するまでにはかなり時間がありそうだったわ。ねぇキビ。昨夜の卵の胚って、ヒヨコの形をしてなかったわよね?」

「はい。ヒヨコの形なんて見当たらなかったですよ」


 玉藻の問いに佳彦は即答した。図太くなったと言えども、流石に卵の中身がほぼヒヨコになっていたら食べる時に気付くであろう。とはいえ貴重なたんぱく源として美味しく頂く事には変わりないが。

 卵は急激なスピードで発生し、ヒヨコになって孵化した。玉藻の推理はこのような物だった。

 野生化探偵玉藻はしかし、まだ不思議そうな表情を見せていた。卵が急成長する要因が何であるか、彼女は探っていたのだ。佳彦はそこでようやく、輝く石の事を思い出したのである。


「玉藻さん。実は僕、あの光る石を拾って来たんです」


 いったんヒヨコを床に降ろし、輝く石を手に取った。相変わらず石は淡いピンク色に輝いている。生暖かいのは、ヒヨコがこの石に寄り添っていたからだろうか。


「思い出しました。この石が変なサークルを作ってたんですよ。石の周辺は裸の地面になっていて……」


 佳彦はそこまで言うと、顔をしかめて言葉を切った。石を持つ右手がまた痒みに襲われたのだ。抜いていない剛毛がじわじわと伸びていくのが見えた気がした。


「きっとこの石が原因でしょうね」


 玉藻は瞳孔をぎゅっとすぼめて声を張り上げる。明らかに彼女は興奮していた。


「きっとこれは石の形をしたエネルギーの塊なのよ。それが生き物に作用して、成長を促進しているんじゃあないかしら」


 確かにその通りかもしれぬ。佳彦は石を床に置きながら静かに思った。

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