第24話 豆腐アパートは文明の香り

 佳彦と玉藻は周囲を注意しつつも歩いていた。彼らが歩く度に微かな物音が立つのは、二人とも腰に簡易的な鈴をつけているためだ。鈴は動物たちの骨とか粘土を加工して作った物であり、獣よけの役割を兼ねている。現世にて登山者やハイカーが熊よけに鈴を携帯していたのと同じものだと考えて遜色は無い。

 彼らがあえて獣よけを携帯していたのは、今回の引っ越しでは特に狩りの必要が無いと判断したからだった。少し前に獣を多く仕留める事が出来た時があり、非常食のストックが多く作れたのだ。佳彦はまだ狩りが下手だが、その代わり食料を加工する事が上手になっていた。干物にするべく加工するのは既にお手の物であるし、最近は団子や丸薬状に丸めて干して保存食にする事も覚えた。

 それもこれも、佳彦の持つ手先の器用さと集中力の高さの賜物であろう。暇さえあれば土鍋やらオーパーツやら粘土板やらを黙々と作る佳彦である。食材の加工についても半ば楽しんで行う事が出来たのだ。



「玉藻さん! あれを見てください」

「大声を出さなくても見えてるわ」


 草原の下草を棒でしばきながら進んでいた佳彦だったが、思いがけぬものを目撃して思わず立ち止まった。のみならず、それを指差して声を上げる始末である。この動きには、流石の玉藻も少し呆れた様子を見せていた。玉藻は見た目こそ少女にしか見えないが、その実数千年の歳月を生きた大妖怪だ。佳彦みたいにいちいち何かに驚いたりテンションが上がったりする事は少なく、どちらかと言えば落ち着いた態度を崩さない。

 大興奮する佳彦が目撃したもの。それは端的に言って建物であった。巨大な高野豆腐のように直方体で、壁は黄味がかった白色である。高野豆腐と異なり側面の中ほどには所々四角や丸型にくりぬかれて窓代わりとなっている。佳彦が正面から見ている所には、あつらえたように入り口さえあった。

 目測であるが、サイズとしては現世にある一軒家よりやや大きい程度であろうか。但しその形態からは一軒家よりも田舎道にぽつねんと建つアパートのようにも見えなくもない。実際問題、この建物が現世にあれば特に気にも留めず通り過ぎるであろう。

 しかし佳彦は、その建物を見てひどく感動し、あまつさえぶるぶると身を震わせていた。ソレがあまりにも文化的に見えたからだ。その建物は安アパート程度の大きさで、しかも窓の縁が崩れかけている。文明から見捨てられた廃墟なのかもしれないが……文化的と言う判断を下すには十分すぎた。何せ佳彦は王宮を放逐されてから野生化し、原始人みたいな暮らしをしていたのだから。最近は「家」を自作する技も習得したが、それもオランウータンの寝床よりちょっと豪華というレベルである。

 謎の建物を前にして、佳彦は知らず知らずのうちに涙を流していた。それが現世への郷愁なのか、或いは異世界に来て文化的なものに触れた感動なのか、佳彦には解らなかった。


「ねぇキビ。泣いちゃってるけど大丈夫?」


 自分の世界に没頭していた佳彦を、玉藻の優しい声が現実に引き戻してくれた。心配そうな玉藻の表情に面食らった佳彦だったが、表情を引き締めて静かに告げた。


「玉藻さん。ここはあの建物に入ってみましょうよ。冒険ですよ」

「キビはあの建物が気になったのね……」


 落ち着いた調子で言うと、玉藻は建物の方に顔を向け、何かを嗅ぐような仕草を見せていた。今の彼女は人間の姿を取っているのだが、匂いを嗅ぐ仕草は狐由来のものだ。とはいえ違和感は無い。

 テンション爆上がりな佳彦とは裏腹に、玉藻は何やら思案する様子を見せるばかりだったのだ。


「今のところ、あの建物の中から生き物の気配は見当たらないわ。そうね、少しの間なら入って見てみても大丈夫かもしれないかも」

「折角なんであすこを新しい住処にするのはどうでしょうか」

「それはいくら何でも無警戒が過ぎるわよ」


 玉藻はゆっくりと首を振った。佳彦はそれでもワクワクドキドキしており、まるでテーマパークに訪れたリア充のような軽い足取りでもってその建物に向かっていったのだ。

 日頃は用心深く行動する佳彦らしからぬ浮かれっぷりだった。

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