第21話 勇者サトウの過失 ※鬱展開注意
追放された吉備佳彦が、野生化しつつも元気に過ごしている。驚愕と共にその真実を知った佐藤博であったが、次第に驚きの念が薄れていった。
驚きが薄まるとともに、胸の奥から喜びの念が沸き上がってきた。不遇に見舞われたクラスメイトの安否がはっきりした事が、嬉しくて仕方が無かったのだ。今以上に幸せな気分になった事はかつてないと断言できるほどに。
ただ浮かれてばかりもいられなかった。恵子は佳彦の姿を視る事が出来たが、彼が何処にいるのかまでは解らないという。それに佳彦を保護して王宮に連れ戻すための理由付けも必要であろう。
二人で考えた挙句、佳彦と接触するのはもう少し状況を知ってからにしようという事になった。長らく放っておくのは忍びないが、今の佳彦であれば自分たちが迎えに行くまで逞しく生き延びてくれそうな気もしていた。
色々考えねばならない事もあったが、博はおおむね浮かれていたのかもしれない。
※
恵子と別れ、妻たちと夜の公務に関するすり合わせを終えるうちに、博の中にあった興奮も収まり、落ち着きを取り戻していた。
それでも、胸の奥にある暖かい喜びはまだ残っている。
その喜びの念が、博を動かす原動力になった。なってしまった、と言った方がいいであろう。
若くて、青い想いを持て余した博が目を付けたのは、一人の奴隷娘だった。王宮に住まう博が、勇者にして今や王家の婿になった博が何故奴隷娘の事などを知っているのか? それは彼女が他の勇者が買い、そして王宮内で飼われているからだ。
現世にて流布していた異世界ものの小説(但し博自身はそれらに詳しいわけではないが)の例に違わず、この国でも奴隷の売買は行われていた。それも割とオープンに。労働力として求める場合は若い男や女でも何がしかの権能がある者が選ばれるのだろうが、件の奴隷娘はそのような目的ではなかった。体裁を保って表現すれば愛玩用として勇者の一人に買い取られたのだ。
ちなみに王宮側はそのようにして入手した奴隷の飼育については特に苦言は呈さなかった。そもそも国王や王女たちもまた「道化」や「慰み者」や「小さい家族」などと言って奴隷――亜人と思しき者もいたが、明らかに人間らしい者もいたのだ――を飼っていたのだ。人や人に近しい者を飼うというのは抵抗があるが、彼らのふれあいを見ているとそうとしか思えないのだ。まるで高価な猫や舶来ものの動物のように王宮の者たちは奴隷と接していた。いや、時に閨の事も絡むから、一層気味悪さが際立ったのだ。
他の勇者たちがそんな王宮の連中に倣っているのかどうかは解らない。しかし博の知る道義にもとる行為である事には変わりなかった。
残念ながら、博には奴隷娘との戯れを止める権限も何も無かった。博は勇者の中の勇者として、最強の存在として一目を置かれてはいる。だが純粋に彼を慕うものは少なかった。渋々従ってくれるのはまだ良い方で、中にはあからさまな嫌悪や敵意を向けてくる相手さえいる位だ。
それに博は既に妻たちを得ているという実績さえある。公務であると言えどもその行為に毎晩励んでいる事も知っている。「お前だってやりまくってんだから、俺らの事に口出しするなよ」と、当事者からは思われているのだ。
しかし見た所、今王宮のはずれにいるのは博と、ミールとかいう奴隷娘の二人きりだった。これはチャンスかもしれない。ブレスレットに姿を変えた宝剣を撫でながら博は思った。常々六足獣を屠っているこの宝剣は、不思議な力が宿っているらしい。宝剣として携帯するのが鬱陶しいと思っていると、こうして携帯できる姿に変化したのだから。
「や、やぁミール」
ミールの視線に気づいた博は、先手を打って声をかけた。ミールは細身の、猫のような瞳が特徴的な美少女である。但し美少女だと思っているのは博やほかの男の勇者たちだけであり、王宮の面々からは貧相な子供だと思われていた。
妻帯者である博は既に知っている事だが、この異世界と現世では美的感覚が若干違うらしい。女性の場合、ともあれ豊饒さ豊満さが求められていた。現世の日本のように、細身だったり細くて胸や腰回りだけが膨らんでいる娘は、貧相で貧弱だと言われるのがオチなのだ。
「あらぁ、勇者のサトウ様じゃないですか。この私に一体どうしたんです?」
緊張しつつ声をかけた博とは裏腹に、ミールは慣れた様子で博に応対する。少女らしく可憐でしとやかに、そして何処か艶を含んだ物言いだった。そう言う態度を行わねばならないように仕向けられているのだ。そう思うと博は心が痛む。
しばし彼はミールを見つめていたが、意を決してポケットに手を突っ込んだ。妻たちと会ったのちに、自室から宝石などの金目の物を持ってきていたのだ――ミールに渡すために。
博の手のひらの上に置かれている物を見て、流石のミールも驚いて目を丸くしていた。
これ、君にあげるよ。驚くミールに対して博はよどみない口調で言った。
「本当はもっと君に持たせてあげたかったんだけど、当分の間はこれをお金に変えて町で暮らせるんじゃあないかな。別に恩着せがましい事とか考えてないよ。ただ、とにかく君にはここから逃げて、自由に暮らしてほしいんだ」
「自由……自由ですって?」
博の説明を聞いているうちに、ミールは落ち着きを取り戻したらしい。のみならず、その整った顔には何故か侮蔑の笑みさえ浮かんでいる。
どうしてそんな笑みを浮かべるのか、博には解らなかった。ぽかんとしている間に、ミールは歌うように言葉を続けた。
「勇者様って本当に間抜けで何も物を知らないお方だって事がはっきりと解っちゃったわ。確かに、今の暮らしも思う所はあるけれど、それを棄てて新しい暮らしをしたいなんて愚は冒したくないわ。
それに自由になるって言っても、この世界であたし一人でどう生きていけばいいのか、勇者様は知ってるのかしら? 六足の魔物を狩り続けなければならない、この世界で」
丁寧さの裏に毒気を孕んだ言葉に博は目を白黒させる他なかった。勇者たちの悪意は常々目の当たりにしていたが、哀れな奴隷娘からこんな事を言われるとは思ってもいなかったのだ。
そう思っていると、いつの間にかミールの手には小ぶりのナイフがあった。本当に小さなもので、彫刻刀に似ていた。博は刃物の輝きにぎょっとしたが、ぎょっとしている間に事は終わっていた。すなわち、ミールがおのれの手の甲をそのナイフで傷つけたのだ。
一体なぜ……唐突な自傷行為に驚いた博だったが、さらなる驚愕が彼を待ち受けていた。ミールの手の甲から流れ出てきたのは、青緑の液体だったのだ。青緑の血。それは六足の魔物のあかしだった。
「ねぇ、これがどういう事か解るわよね? この世界はあたしが、あたしたちが安心して生きられる世界なのかしら? 所詮は四足様の機嫌を……」
ミールは最後まで言い切る事は無かった。六足の血に反応した宝剣が、突如として本来の形に戻ったからだった。いや違う。実際には博の心に反応したのだ。ミール。お前は六足の魔物だったのか。俺たちを騙したな……博はミールに対して怒りを抱いてしまった。たとえ無意識下で、短い瞬間であったとしてもその事実は変わらない。
博はその宝剣でミールを斬り付けていた。勝手に宝剣の柄がその手に収まり、操られるような形で奴隷娘を袈裟懸けに斬っていたのだ。青緑の鮮血がほとばしり、宝剣もミールの衣装も王宮の床すらも染めていく。
「ぐっ、うふ、うふふ……ゆうしゃ、さま、も、可哀想ね……所詮は、ただ、操られて、いる、だけ……だ、から……」
くずおれたミールは泣き叫ぶ代わりに笑みを浮かべたまま、憐みの言葉を投げかけてこと切れた。
――本当に、俺たちはいったい何をやらされているんだ?
博がミールに渡そうとしていた宝石は、血で濡れた床の上に無造作に散らばっている。異変に気付いた何者かが近づく足音を拾うのが今の博にはやっとだった。
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