第18話 沼地の魚で新発見
ホームシックによる一過性の憂鬱は三日ばかりで収まった。その三日間、佳彦はホームシックを治すために何かをしたわけではない。玉藻は気遣うそぶりを見せていたが、不甲斐ない亭主の尻を叩く妻のような振る舞いはしなかった。彼女は淡々と彼女の行うべき事をこなしていた。その上で、ゴロゴロする佳彦に注意を払い、時に彼の繰り言に耳を傾けてくれた。大げさな事はない。しかし玉藻は佳彦の心に寄り添ってくれたのだ。
そんな佳彦の精神に活力が戻った理由。それはどうという事はない。何もせずにゴロゴロする状況に飽きただけだった。しかも玉藻は佳彦がゴロゴロする前と同じくずっと働いていたので、申し訳ない気持ちも募ったし。
そこに至るまでの心の動きは微妙な物である。だがともあれ佳彦の心中に再び活気が戻った事だけは明らかだった。
もちろん、現世への郷愁だとか一緒に異世界に連行されたクラスメイトがどうなっているかなども気になる事は気になる。だが一旦それらには折り合いをつける事にしたのだ。悪い方向に考えるとドツボにハマりそうだから。
特にクラスメイト達の事は、自分がさほど心配する案件でも無いと思っていた。佳彦と違い、権能のある彼らは王宮で特別待遇されているはずだし、権能そのものが彼らの心を護ってくれているかもしれないし。
実のところ、佳彦はクラスメイトの事をそれほど恨んではなかった。彼らは権能の無い佳彦の事を不要だの無能だのと言っていたが、あれはそう言う流れだったのだろうと半ば割り切っていた。
あの日はしゃいでいた面々と異なり、クラスの中で友情や愛情でもって執着している存在は佳彦にはいない。しかし何らかの力――玉藻の力か、玉藻を上回る力かはさておき――によって現世に戻れるのならば、自分たちだけではなく彼らと共に現世に戻りたいと思っている。佳彦のクラスメイト達への好感度はそんな塩梅だった。
彼らが既に現世に戻っているという事は思わなかった。六足の魔物……六足の獣は、佳彦が見る限りまだ大勢いるわけだから。
※
「キビ。今日は一緒にお魚を獲りましょ」
佳彦が精神的に元気になった翌朝。玉藻は一緒に出掛けるようにと持ち掛けてきた。この申し出に、佳彦は驚いて目を丸くしてしまった。誠に情けない話であるが、今の今まで食料調達の大半は玉藻に任せていたのだ。「まだキビには動物を狩るのは難しいから、私がやっておくね」という言葉に甘え、まぁありていに言えば玉藻に依存していたのである。
もちろん男子高校生としてのプライドもあるから、佳彦とて何もしていなかったわけでもない。単に無聊を慰めるために現地で見た生き物を模した土人形(粘土細工みたいなものだと思って頂ければ構わない)を作ったり地面に絵を描いたりして過ごしていた時もある。しかし野草や果物など、採取に危険が伴わないものは近場で採取してもいたし、仕留めた獣も積極的に捌くようになっていた。
血生臭い話になるが、最近では玉藻が捕らえた獣の止めを刺す事もしばしばあった。玉藻は最近、数回に一回の頻度で獣を生け捕りにして持ち帰る事があった。意図が解らずぼんやりする佳彦の傍らで淡々と止めを刺し、血抜きや解体を行うのである。やってみて、と玉藻から促されたわけではない。しかし最近は「それくらいやらなきゃ」と思って自分でやるようになったという事だ。
「魚獲り、ですね……」
自分も魚を獲りに行く。その言葉に佳彦の心臓が躍るのを感じていた。外に出て魚を獲るのを楽しみにしているのか、それともいくばくかの不安を感じているのか自分でもはっきりしなかった。
繰り返すが佳彦は未だに獣と闘い、生け捕りにしたり斃したりした経験はない。玉藻が持ち帰った獣を処理する際も、概ね動けなくなったり相当弱ったりしている状態になったものである。弱った獣を〆るのは、大きさにもよるがそうしんどい事ではない。しかし、元気な獣であればまた話は別だろう。
魚獲りはちと危ないのではないか。用心深く少し臆病な佳彦は、そう思ってしまったのだ。しかし異世界と言えども魚は魚だから、ハイエナモドキやリカオンモドキ、或いは中型の犬みたいな連中よりは安全かもしれない。そう思いなおした。
「大丈夫よ、キビ」
あれこれ考えている事は玉藻にも伝わったのだろう。彼女は普段通りに微笑んだ。
「あちこち探索している間に、ちょうどいい塩梅の魚が群棲する沼地を見つけたのよ。他の獣たち――狐とか犬とか猫とか――や鳥たちも食べている形跡があったから、私たちが食べても大丈夫なはずよ。
だけど、魚を食べるのは初めてだから、食べる時と食べた後に変な事が起こらないか気を付けてね」
「はい……」
確かに異世界に来てからというもの、魚を食べてはいなかった。異世界の食材に、魚に気を配るのも玉藻らしい。現世においても、魚を食べる時に注意を要する事はあるにはある。寄生虫は言わずもがなであるが、深海魚の中には人間が消化できない脂を具えるものもあるという。そう言う魚は食べすぎると体調を崩してしまうとからしい。
幸いにも佳彦は異世界の獣肉や果物を口にしているが、それで気分が悪くなったり体調を崩したりした事はまだない。それもこれも玉藻の気配りと、佳彦の見た目の割には丈夫な肉体の恩恵であろう。
※
温泉付近のねぐらを出て、一行は黙々と歩を進めた。時間を計るものが無いから何とも言えないが、そこそこ歩いた感じがした。道中起伏があり、また岩の固まりや倒木を乗り越えていったから余計にそう思ったのかもしれない。
玉藻に導かれてやってきたのは沼地だった。美しい少女と共に魚を獲る場所が、清流や湖畔であったならばまだロマンチックだったかもしれない。しかし異世界がロマンなどという不確かなもので生きていける程甘くはなく、泥臭い日々の積み重ねである事は佳彦は嫌でも知っている。
沼地と言ってもホラー映画にあるような陰惨な気配はない。地面は確かに田んぼのようにぬかるんでいるが、水面の表面には浮草が葉を浮かべている。水の色は深く多少澱んでいるが、魚と思しき流線型の影が幾つも蠢いていた。
鳥らしきものも多かった。鴨のような鳥は嘴を水に浸し、滑るように水面を動き回っている。あまりにも動きが速いので早回しの映像を見ているか、そう言うおもちゃを見ているような気分になった。
「ここなら、そんなに大きな魚もいないから大丈夫でしょう……キビ。私が入って勢子をやるわ。陸に飛び出してきた魚をキビは拾ってね」
言うや否や、少女姿の玉藻はそのまま沼に飛び込んだ。沼の水を革の衣服で受け止めようとしたが、かかってくる飛沫はほとんど無かった。玉藻は水の中に入った瞬間に、変化を解いて狐の姿に戻っていたのだ。
玉藻が勢子として優秀な動きを見せているのか、その方面の知識に疎い佳彦はよく解らなかった。しかし当初の目的を果たしているのは事実である。浮かんだ潜水艇よろしく泳ぎ回る玉藻の姿に、驚いた魚たちが水面付近で跳ねまわり始めたからだ。その頃には鴨モドキ(一対の翼に二対の足があったのだ)は迷惑そうな表情で空に逃げていた。沼地にいる鳥は今や白鷺と思しき鳥だけである。彼らは佳彦からうんと離れた所に佇み、水面を覗いて魚の存在を待っていた。
それらを眺めながら、佳彦は陸地に追い立てられた魚たちを拾っていくだけで良かった。陸に上がればどうにもならないのは、異世界の魚も同じらしい。銀色の鱗をきらめかせながら、呼吸の出来ない陸場で苦しげにのたうつ魚たち。彼らの姿はこっけいであり、そして何処か物悲しさも伴っていた。
佳彦は用意していた器をちらと一瞥した。水が汲める器であれば、水と一緒に魚を入れる事も出来ただろう。しかし今回はざるかごの背負子である。形状的に魚籠として使う事も難しい。
少し考えてから、佳彦は拾った魚をその場で〆、そうしてかごに入れる事にした。魚であれ何であれ、血抜きが遅くなるとマズくなるし肉も傷む。本当は泥抜きをしたほうが良いのだろうが、ワタを抜けば問題なかろう。魚臭くなったとしても、野草で味付けすればどうにでもなる。
※
玉藻が上がってきた時には、ざるかごの中は魚が十数匹収まっていた。本当はかごに収まっている以上の魚が打ち上げられていたのだが……あまりにも小さな魚はそっと水の中に放流したのだ。
「ありがとう玉藻さん。明後日くらいまでは魚でイケそうですね」
「そうね。すぐに食べない魚は保存できるようにしておかないと」
玉藻は佳彦から少し離れた所で身震いをしていた。水気を十分に飛ばし切ってから近付いてきた彼女に、佳彦は気付いた事を口にした。
「そう言えば玉藻さん。少し気になる事があるんです」
「どうしたの」
狐姿のまま首をかしげる玉藻の傍に、佳彦は魚を数匹取り出した。
「魚にも六足の魔物の仲間がいるみたいなんです。魚の血抜きをしていた時に、青緑の血が出た魚が多かったので……」
「そりゃもちろん六足の魔物の仲間もいるでしょうね」
言いながら、玉藻は前足で器用に魚を動かしていった。佳彦がかごから出した数匹の魚を、二つのグループに分けたのだ。
彼女が無造作にそんな事をやった訳ではないのは見ていて解った。動かす前に、玉藻は魚を観察していたからだ。
「ごらん、こっちが六足の魔物の魚よ。あっちの普通の魚と何が違うのかしらね?」
二つのグループに分かれた魚を佳彦はじっくりと見た。色味や形が違うのは別種だからだろう。玉藻の方をちらと見やると、彼女はやや得意げな表情で答え合わせをしてくれた。
「ヒレの数を見てみて。こっちの普通の魚は、お腹の方についているヒレは胸ビレと腹ビレだけでしょ? だけどこっちの魚は、お腹側にヒレが三対あるわよ」
「あっ……確かに……!」
玉藻の指摘通り、青い血を持つ魚たちのヒレは普通の魚よりも多い。しかし魚を拾っている間には気付かなかった。六足の獣や羽や足が二対ある鳥は見てすぐに気付くのだが、魚のヒレは小さいから見落としていたのかもしれない。
「現世でも、元々は魚がいて魚のヒレが陸生動物の足に置き換わったの。ヒレが六枚あるこの魚も、私たちが見かける六足獣の仲間と言えるのはそのためよ。というよりも、陸生生物が魚の一種と言った方が正しいかもね」
あっさりとした玉藻の解説を、佳彦は半ば驚きながら聞いていた。高校生である彼にとっては、魚のヒレが動物の手足と同じものである事、陸生生物が魚の一種である事を聞くのは衝撃的だったのだ。
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