第16話 ドキドキ! 混浴初体験※健全です

 温泉を探す。妙に呑気な玉藻のこの提案により、二人の出発が決定した。出発とはすなわちねぐらを離れて別のねぐらを探すという事と同義である。致し方のない話だ。温泉を探すと言ってもどのあたりに温泉があるのかは玉藻も知っている訳ではない。少なくともこのねぐらの傍に温泉がある訳ではない。そうなればねぐらを離れ、温泉の傍を新しいねぐらとするのが妥当だろう、という事になったのだ。

 それにそもそも、狐というのは幾つものねぐらを抱え持ち、何かあればねぐらからねぐらへと渡り歩く生き物なのだ。


「忘れ物は無いかな、キビ?」

「飲み水も毛皮も土鍋も持ったし……僕はオッケーだよ」


 洞穴を出る前に、玉藻と佳彦は互いに視線を交わして確認を行う。玉藻は見慣れた少女の姿ではなく、狐の姿になっていた。普通の狐とは一味違う。何しろ尻尾は三本もあるし、大きさも小さな大型犬くらいはある。あちこちで狩りを営むリカオンモドキよりもやや大きいくらいだ。長距離を移動し、尚且つ荷運びをするために、玉藻は獣の姿を取っているのだ。曰く、獣姿の方が今の玉藻も体力を消耗しないのだとか。

 毛皮はマント代わりに羽織ったり丸めて抱える。飲み水は即席の水筒数本(細い木の幹を削って作った)に入れて土鍋と共に背負っている。佳彦の装備はこんな感じである。玉藻は背中に携行食になる干し肉や、野菜や果物を干したものを革で包んで括り付けていた。あとやはり飲み水の入った小さな水筒を首に括り付けている。やや小ぶりだが、雪山の遭難者を救助する犬のような出で立ちだった。


「それじゃあ出発しましょ」

「うん……」


 玉藻の言葉に佳彦は歩きだした。ねぐらを転々とする。向こうの世界では引っ越しとも呼べる行為を何度も繰り返している佳彦であるが、特に何も感じなかった。ねぐらは所詮ねぐらである。雨風や獣の害を防ぎ、食事・睡眠・その他の創作活動に励むだけの場所に思い入れを見出すなどという事は不可能に近い。

 しかも佳彦も玉藻もこの土地にはゆかりの無い存在だ。戻れるところがあると神に言われたならば、二人は揃って元の世界に戻りたいと即答する所であろうと佳彦は思っていた。

 と言っても、元の世界に戻るとか、元の世界が恋しいとかそういう気持ちは日に日に薄れてきていた。佳彦自身が感情の薄い少年だからなのかもしれない。だがそれ以上に、異世界での暮らしが忙しすぎるのだ。荒天で干し肉をかじらねばならない時はひもじく感じて母親の料理が恋しくなる時はあるにはある。しかし為すべき事が多すぎて、未来の見通しを立てる事を怠っていたのだ。



 長い昼の草原を、佳彦は玉藻と共に歩いていた。玉藻は細長い鼻面を時折左右に揺らし、温泉の匂いを探っている。毛皮をまとった少年と金色の獣の行進は、見る者が見れば不思議な光景になっただろう。

 ただ実際のところ、二人の行脚の不思議さを口にする者はいなかった。歩けどもあるけどもニンゲンや亜人のような存在とは遭遇せず、気配さえなかった。ただただ佳彦たちが目撃するのは獣だった。見覚えのある者もいれば初めて見るような奇抜な姿をしている者もいた。そして、四足もいれば六足もいたのだ。


「……やっぱり玉藻さんの言う通り、六足獣は単なる動物なのかもしれませんね」

「そう思うわよね」


 六足ウサギが四足のアカギツネに追い回されるのを見ながら佳彦は呟く。道中、狐の群れに囲まれもした。玉藻がいるからアカギツネなどは怖くなかったが、狐らの琥珀色の瞳を見ていると不思議と心がざわついた。

 もしかしたら、玉藻の元の身体の事を知っている狐なのかもしれない。そう思ったが真偽のほどは定かではない。佳彦には、獣がどう思っているか読み取る力はないのだ。

 同胞であるはずの狐を見ても、玉藻は特に動じている様子は見せなかった。



 歩いて、歩いて、歩き続けて二人はとうとう温泉を発見した。もちろん、身体を休めるのに良さそうなねぐらの確保も忘れてはいない。今回のねぐらは洞穴ではなく木のうろだった。恐ろしく太くて大きい巨木があり、その根元がちょうどいい塩梅に空洞になっていたのだ。天然の木造住宅なので火の不始末があると危険だが、少しの間留まるにはうってつけのように思われた。

 

「温度と言い、水の質と言い丁度良い感じね。先客もいるし」


 ねぐらに荷物を置いた一行は、温泉のへりに近付いていた。苔むした巨木から離れた岩場の割れ目から、乳白色半透明に色づいた湯がこんこんと湧き出ていた。玉藻は既に少女の姿に戻っており、温泉に手を入れたりそのまま手ですくって口に含んだりしていた。元は狐とはいえ、天然温泉を飲んで成分確認するとは。既に六足獣どころか細々とした昆虫を食する事にも慣れ始めた佳彦だったが、玉藻の豪胆ぶりを見ると自分はまだまだなのだと思い知らされる。

 ちなみに玉藻が口にした先客は、言うまでもなく獣たちだった。六足と大きなスプーン状の角が特徴的な鹿モドキや、狸やアライグマっぽいが六足を具えた獣とかが温泉に身を浸し、じっとしている。もちろん四足の狐や犬や猫らしきものもいた。猫は濡れるのが嫌なのか、前足だけを怖々と浸している。

 足湯にしろ半身浴にしろ全身浴にしろ、動物たちは大人しく温泉を堪能していた。動物好きが見れば狂喜乱舞する光景だっただろう。

 気付けば玉藻は既に入浴していた。獣たちが惜しげもなく入っているその温泉はさほど深くないらしい。玉藻は首の付け根まで湯に漬かり、佳彦の方を見ていた。先程まで服を着た状態に化身していたと思ったが、今はバスタオルを巻いた姿になっているらしい。厳密に凝視していないから解らないが。


「キビっ。一緒に入りましょ。丁度良い湯加減よ」

「ぼ、僕もここで脱ぐんですか!」


 思わず佳彦は声を上げていた。驚いて猫や小さな六足獣が温泉から飛び出してしまった。玉藻は笑みを浮かべ、不思議そうに首を傾げた。


「私たちの毛皮と違って服は脱げるでしょ? というよりもむしろ、服を着たまま入ったら後々大変よ」

「それはそうですけど……」


 佳彦は目を泳がせた。彼とて着衣で入浴するつもりはさらさらない。ただ、玉藻が入浴している最中に、自分も裸になって温泉に入る事に抵抗があるだけだ。

 玉藻が狐である事、そもそも彼女は義妹だという胡喜媚のまぼろしから佳彦によくしてくれているのは知っている。しかし、見目麗しい少女の姿を取る彼女と一緒に入浴するというのは、うら若き佳彦にはハードルの高い事だった。

 というか、それを口にする事も恥ずかしい位なのだ。


「入りたいんですけど、恥ずかしいんです。玉藻さん。お解りでしょ?」


 顔を火照らせながら佳彦が告げると、玉藻は納得したように微笑んで頷いた。するとその身体はすぐに変化し、狐のそれに戻った。佳彦は、おのれを火照らせていた羞恥心が潮のように引いてくのを感じた。玉藻がそこにいて佳彦を見ている事には変わりない。しかし人間の少女から狐に姿を変えた事で佳彦の気持ちも変わったのだ。全くもって身勝手な物だが、まぁ致し方ない話である。


 かくして佳彦も、数日ぶりの風呂を満喫できた。

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