第13話 閑話・勇者サトウの憂鬱
勇者と見做された佐藤博たちが王宮で軟禁……もとい別の世界の食客として丁重にもてなされ始めてからはや六日ばかり経過していた。暦は元の世界のそれとは異なるので、何度朝が繰り返されたかで博はカウントしていたのだ。ちなみに、陽があって明るい時間帯を昼、陽が沈んで暗い時間帯を夜と呼ぶならば圧倒的に昼の方が長かった。
今日も今日とて朝が来た。朝が来てしまった。王宮内で定刻を示す鐘の音を聞く博の心中は憂鬱だった。その憂鬱度合いは学校のテストや発表を前にした時のそれとは比べ物にならない程だ。
厳密に言えば、異世界にいるという事、そこで自分でせねばならない事が博を憂鬱にさせていた。これは性質の悪い悪夢に過ぎず、目を覚ませば見知った場所に戻っていないだろうか。そうであればどんなに良いだろうか……現世への帰還を夢見ながらも、目覚める場所は王宮であてがわれた一室である。悪夢は、いや悪夢を凌駕する現実は博を縛り続けている。
「お、もう起きたんだな勇者様っ」
同室の男子生徒も目を覚まし、博に声をかけてくる。博を佐藤とか博と呼ぶ者は今ではほとんどいなくなっていた。国王を筆頭とした王宮の人間のみならず、クラスメイト達さえも博の事を勇者と呼びならわす。博はそう呼んでほしい等と宣言している訳ではない。ましてや王宮の人間は、
もちろん博の心中は戸惑いしかなかった。六足の魔物を殺し尽くせという命令もさることながら……かつての自分では考えられないような力が眠っている事を知ってしまった。博は前に、国王から一振りの宝剣を武器として下賜されていた。所謂ブロード・ソードの類であるが、屈強な衛兵が二人がかりでようやく運べるような重量だった。博はそれを楽々と持ち上げ、あまつさえ振るう事が出来てしまった。体育の授業でバトミントンのラケットを振るうのにも四苦八苦していた博が、である。
自分が自分の知らない何かに変貌しているのではないか――箒のように軽い宝剣を振るいながら、博は心中穏やかではなかった。しかし自分は勇者であると見做され、仲間たちからも慕われている。なればおのれの本心を押し隠し、それに見合った振る舞いをするべきだ。博はそう思っていた――そう思わなければ潰れていただろう。
何しろ、重たい宝剣を持ち上げただけで勇者であると満足してもらえるほど、この世界は甘くはないのだから。
※
朝食を済ませると、勇者一行は侍従たちに促され庭園の一角に進んでいった。庭園は普通に植物が植わっている個所もあれば、噴水や彫像で飾られた場所もある。話好きな侍女や一部のクラスメイトによると、書物ばかり集めた建物や調度品や武器を収める蔵などもあるらしい。
ちなみに一行が向かっているのは庭園内にある訓練場だった。動きやすく、尚且つ景観を損ねぬように訓練場には白い石畳が敷かれている。しかしよく見れば、その石畳のそこかしこは薄い青緑で染まっている。訓練後は外働きの下男や下女たちが掃除を担って綺麗にしてくれるのだが、石畳のデコボコした表面の汚れを完全に落とすのは難しいらしい。薄青く見える石畳を見るたびに、博はおのれの所業を思い出すのだ。
訓練場で行われている訓練。それは六足の魔物の討伐だった。王宮お抱えの狩人が、夜の間に捕獲しておいた六足の魔物をこの訓練場に放つのだ。勇者たちはそれぞれの権能を用いて六足の魔物と闘う経験を積む。そのための訓練だった。
訓練や経験と言えば聞こえはいいが、そこで行われているのは一方的な虐殺行為だった。もちろん、六足の魔物を討伐しろと国王に命じられている事は博も知っている。博が宝剣を振るって六足の魔物を殺す度に、王宮の面々――大抵は狩人や侍従たちが観衆だが、時々国王やその娘たちも見学にやって来るのだ――が褒めそやしてくれるのも事実だ。
恐らくは、この国では六足の魔物を殺し、その経験を積む事は善い事なのだろう。それでも博は訓練に馴染む事が出来なかった。六足の魔物を屠ってから、気持ち悪さと悍ましさに嘔吐した事も何度かあるくらいだ。
それでも博は勇者としての役目を放棄するつもりはなかった。むしろおのれが率先してこの行為に手を染めなければならないと気負っているくらいだった。六足の魔物を殺す事に強い嫌悪感を抱いているのが、何も自分だけではないと気付いていたからだ。生徒の半数ほどは、異形の魔物を嬉々として狩り、時に弄んで殺すのを愉しんでいた。しかし中には――彼らの苦痛を思って涙を流す生徒らもいたのだ。マトモな感性を持つ仲間がいた事に安堵する一方で、博は昏い決意を固めてもいた。
――王様は俺ら全員が経験を重ねたほうが良いと思っているけれど、この中では俺が一番強いんだ。だとしたら、俺が六足の魔物を殺すのに慣れて、実戦でも殺しまくったら良いんだ。そうすれば……マトモな連中はこれ以上苦しまなくて済む。
おのれが何故勇者なのかは博にも解らない。しかし仲間のために最強の勇者としての役割を演じようと博は思うようになっていた。訓練の間でも、積極的に六足の魔物を追い詰め、恐るべき宝剣でその生命を刈り取った。
純朴であるじに忠実な侍従たちはそんな博の事を褒めそやしたが――その彼が心中で血涙を流し続けている事に、果たして誰が気付いたであろうか。
今朝も宝剣が振るわれ、絶叫と共に青緑の血飛沫が虚空に舞う。この訓練場でのひと時こそが、悪夢よりも悍ましい現実だった。
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