第10話 ふたりの朝
佳彦は結局、玉藻と名乗る狐娘がおのれに侍る事をみとめた。好みの美少女が傍らにいる事にやにさがったからではない。それはある意味打算的な物が入っていたし、後は玉藻が心細く思っているであろう事を察したためでもあった。
異世界に来てから度々自分に的確な助言を行ってくれたのは玉藻だった。今は受肉――厳密には
玉藻と別れて単独行動をすれば、十八時間以内に死ぬ。野垂れ死ぬか中毒死か獣の餌になるかはさておき、生活力ゼロの自分が異世界の、それも獣や奇妙なカップケーキが棲息するようなこの場所で生き延びられるとは思えなかった。
無論玉藻の存在も怪しくそこはかとない禍々しさを感じてはいた。だが――生き延びるには彼女を頼るほかないと判断したのである。自分本位で不純極まりない考えである事は、佳彦も十二分に解っている。
だが、ある意味利害が一致した状況であるともいえるし、玉藻も玉藻で自分の傍にいたいという事は、取り澄ました彼女の言動の節々から読み取れた。「胡喜媚」が死んでから輪廻転生を繰り返す今日に至るまで、玉藻は(どういう御業かはさておき)おのれに憑き従っていたのだ。
※
目を覚ました佳彦は、自分が死んだように眠っていたのだと悟った。既に朝を迎えているらしく、洞穴の出入り口から明るい光がこちらにも差し込んできている。植物たちは光を浴び、黄緑色や黄金色に輝いていた。
「おはよう、キビ」
起き上がると聞きなれた声が鼓膜を震わせた。玉藻は佳彦から少し離れて、しかしちゃんと視界に入る位置に座していた。昨晩のワンピース姿ではなくて、地味だけど機能的そうなブラウスとズボン姿である。
玉藻を見つめていた佳彦だが、その視線は彼女の斜め横に吸い寄せられた。初め、それらはフワフワした塊のように見えた。数秒してから、それらが動物である事に気付いたのだ。
「キビは疲れ切っていたみたいだったから、寝ている間に私が狩りをしたの。昨日からきちんとしたものを食べてないでしょ? 違う世界に飛ばされたと言っても、食事は大切よ」
佳彦は玉藻の言葉を素直に聞いていたが、思わず首をかしげてしまった。彼女の見た目と発言に幾許かの齟齬を感じたためだ。玉藻は自分と同い年の少女にしか見えない。しかし発言内容は保護者とか、うんと年の離れた姉のそれにむしろ近かった。
「確かにキビにもやるべき事、やりたい事はあると思うわ。あなたを迫害した王国や、そんな国王の術中に嵌ってしまった間抜けな連中を打ち滅ぼすとかね。だけどその前に健康を保って生き延びる事が先決よね」
「打ち滅ぼすって、そんな物騒な事……」
玉藻は献立の内容を相談するような、さも気軽な様子で言ってのけていた。佳彦は確かに王国の人間に無能と見做され、ついでクラスメイト達からも疎まれてこの場所に飛ばされてしまった。無論彼らに対して思うところはあるが、打ち滅ぼすなどという考えは頭に無かった。
もっとも、無闇に人を恨まないような善性の強い少年であるというよりも、様々な未知の体験に直面し、当惑した状態が続いているだけとも言えるのだけど。
「だけどあの王国が掲げている、六足の魔物を討伐するっていう目的については私も胡散臭いと思っているわ。そもそも、彼らはキビの仲間たちを懐柔させるために興奮剤を焚いていたんですから」
「興奮剤、ですか」
佳彦の言葉に頷きつつ、玉藻は動物の一匹を持ち上げる。既に絶命しているらしく、乱雑に頭を持ち上げられてもピクリともしない。兎とモルモットの合いの子のような姿に見えたが、その毛皮は青緑の粘液で所々汚れている。
「キビも、あなたの仲間たちも討伐とか狩り何かとは縁遠い暮らしを送っていたでしょ。いくら違う世界に飛ばされたと言ってもすぐにその要求をのめるとは思えないのよ。
まともな相手なら、まずきちんと事情を説明して頼み込むというのが筋だと思わない? そりゃあもちろん、国王が召喚したあなた達の事を格下だと思って侮っているという可能性も考えられるけれど……」
それでも何か引っかかるのよ。玉藻はまつ毛を揺らしながらそんな言葉で締めくくった。
彼女が疑問を抱くのならその通りかもしれない。佳彦もそう思った。盲目的に彼女の考えを信じているという訳ではない。伝承による玉藻御前と眼前の玉藻とを照らし合わせてそのように判断したのだ。玉藻御前、九尾の狐の最大の武器は、豊富な知識と卓越した知性であるという。簡単に言えば物知りでとても賢いという事だ。その彼女が懸念しているというのならばやはり何かあるに違いない。
「ひとまずは、この世界がどうなっているか確認しないといけないわね。そのためにも、食事の準備を始めないと」
そう言って玉藻は、持ち上げている小動物の死骸を佳彦に見せつけた。青緑の粘液で毛皮を穢すその小動物は、確かに六足を具えていたのだ。
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