第9話 転生者キビ

「こんにちは、いえ夜だからこんばんはになるかな、キビ」


 親しげに話しかける少女を、佳彦はしげしげと観察していた。心臓の拍動は早く、ありていに言えば緊張していた。美しい少女が姿を現した事に興奮しているという悠長な話ではない。異世界への召喚に始まりスキル無しだの六足の魔物だの実際の狩りの目撃だのと、佳彦は見慣れぬものを目撃し過ぎた。今回の少女とて、死んだとされる狐の肉体に何かが宿り、こうして化身しているのだ。驚かぬ方が無理、というものであろう。

 少女は一見すると人間のように見えたが、無論異形である事には間違いない。おのれの本性を示すように、背後では金色の三尾が控えている。服装は袖のあるワンピースで、襟元にはさりげなくフリルがあしらわれ、首許はリボンの先に丸いポンポンの付いた、洒落たアクセサリーで飾られていた。

 少なくとも敵意は無さそうだ、と佳彦は思った。笑みを絶やさぬ様子でこちらを窺っている。但しその笑みには単純な友好の色だけではなく、郷愁の色も見え隠れしていた。


 常識的な、扇情的とは程遠い露出の少ない衣装を身にまとっていた彼女は、実は佳彦の好みに合致した美貌の持ち主に化身していた。あどけなさと妖艶さを破綻も矛盾もなく持ち合わせ、それでいて近寄りがたい雰囲気は過剰でもなく親しみやすい。

 恐らくは佳彦の思考を読み取って、「こんな娘が傍にいれば」というイメージでもって彼女は顕現したのだろう。とはいえ佳彦は、現時点ではその事には気付いていなかったけれど。


「こ、こんばんは……」


 佳彦の口からまず出てきたのは挨拶の言葉だった。いったい何者なのか何が起きているのか。無論質問したい事は山ほどある。しかし疑問が多すぎて、却って何を言えば良いのか解らないでいた。不穏な気配を感じるものの脅威ではなさそうだ。佳彦は辛うじてその事を推測するのがやっとだった。


「うふふ」


 眠気も忘れて少女を凝視する佳彦に対し、少女はたおやかに微笑んだ。


「戸惑うのも仕方が無いわ。今のあなたにとっては、私は見ず知らずの相手ですものね。しかもこちらは勝手知ったる顔でいるわけだから、尚更居心地が悪いでしょう」


 少女の目が明るい琥珀色である事に佳彦は今更ながら気付いた。ついでに言えば瞳孔の形も縦長である。

 彼女は尻尾を揺らすと、胸に手を当てつつ口を開いた。


「私はかつて、千年狐狸精や金毛九尾と呼ばれていたわ……人間の世界で遊んでいた時は、蘇妲己そだっき華陽夫人かようふじん褒姒ほうじと色々名前を変えていたけどね。多分、玉藻御前たまもごぜんとかもポピュラーかもしれないわね」

「た、玉藻……!」


 佳彦は思わず後ずさった。彼のサブカル知識は偏ってはいるものの、玉藻と名乗る狐がどのような存在であるかは一応知っている。

 玉藻は妖狐の中でも格別の力を持った大妖怪である。ついでに言えば人間の心を惑わし国を傾ける能力を具えているともされている。

 そんなとんでもない存在が何故自分に寄り添っているのか……佳彦はここにきて事の重大さを思い知った気がした。


「大丈夫。あなたの事は術で籠絡なんかしない。私に残ったこの尻尾に誓って言うわ」

「……どうして俺を選んだのですか」


 玉藻が言葉を終えたタイミングを見計らい、佳彦は問いかけた。自分はごく普通の高校生に過ぎない。霊感も特にないし、妖怪に詳しいとかそういう職業の人間が身内にいるという訳でもない。というか妖怪が実在するというのもたった今気づいたようなものだ。


「それはあなたが胡喜媚こきびの生まれ変わりだからよ」


 コキビ。万感の思いを込めて玉藻が発音するその名は、佳彦にとっては聞き覚えがあるかどうか思案しなければならないような代物だった。だがそれとともに、彼女がキビと呼んでいたのは、吉備佳彦の吉備ではなく、コキビのキビであるのだと悟った。


「胡喜媚は私の義妹、妹みたいな存在だったの。私は八百年前に殺生石として封印されたけど、胡喜媚は私を救い出そうと最期まで頑張ってくれたわ」


 佳彦の前世だったという胡喜媚なる妖怪が殺生石の一部を持っていたために、玉藻は佳彦に憑依する事が出来たのだ、とも言っていた。


「胡喜媚は、前世のあなたはそれだけ私の事を思ってくれていたという事でもあるのよ。であれば、私も義姉あねとしてそれに応えるのは当然の事よ。

 もちろん向こうにいる時から、それこそキビが生まれた時から私はキビの傍にいたわ。だけど向こうでは私が動く必要性は無かったから大人しくしていたの」

「そうだったんですね……」


 佳彦は恬淡とした声でそういうのがやっとだった。玉藻と名乗るこの狐娘が、胡喜媚の事を想っている事は痛いほど伝わって来ていた。きっとそれは、おのれの前世だという胡喜媚も同じなのかもしれない。

 しかし――その事を理解するだけで佳彦は精一杯だった。前世に繋がりがあるという玉藻と出会い、玉藻の話を聞きはした。それでも前世の記憶が蘇るとか、そのような気配は特にない。


「だけど俺、前世の事なんて何も覚えていないんです。それでも良いんですか玉藻さん」

「前世の記憶が無いのは仕方のない事よ」


 脳内で膨らんでいた疑問を口にすると、どうという事は無いと言わんばかりに玉藻が応じる。


「私たちは悟りを開かない限りはほぼほぼ転生を繰り返す運命にあるのよ。確かに前世の記憶があるという話もあるし最近では転生者の夢物語も出回っているわね。

 だけど、転生を繰り返してその前世を覚えているなんて事の方が実はまれなのよ。玄奘三蔵なんかは玄奘三蔵に生まれる前に九度も経典を取得しようと失敗し、最期には沙悟浄に喰い殺されているのよ。それでも臆せず彼が天竺に迎えたのは、やはり前世の記憶が無かったからに他ならないわ」


 それにね。玉藻は琥珀色の瞳を輝かせながら言葉を続ける。


「キビも胡喜媚からあなたになるまでに、何度も転生を挟んでいるの。私はどうにかそれに憑いて行く事が出来たけれど、転生に転生を重ねたあなたが私との日々を忘れているとしても、誰も咎めはしないわ」

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