第7話 野性の饗宴
ここが何処か見定める。内なる声にそう促された佳彦は、ズボンに収めていたスマホを半ば反射的に取り出していた。特に深い意味はない。佳彦は所謂デジタルネイティブと呼ばれる世代に相当する。赤ん坊の頃からウィーチューブは既に稼働しており、物心ついたころから携帯電話ではなくスマホがすぐ傍にあった。
本来の電話やメール機能のみならず、手の平に収まるソレは使い手の望んだ情報を教えてくれる便利なツールであり、暇つぶしにうってつけの道具でもある。
しかし今回ばかりは、流石にスマホもお手上げだったようだ。第一に圏外だった。ならばとばかりに方位磁針のアプリを呼び出してみたがこちらも駄目だった。どういう作用なのかは定かではないが、方角を示してくれるはずの針は、画面の中でむなしく回転を続けるのみである。
「やっぱり、駄目か……」
時計回り、反時計回りと不規則に素早く動く針を見つめながら佳彦はぼやく。冷静に考えれば、方角が解ったとてどうにもならないのだ。着の身着のまま異世界の王宮に召喚され、今は追放されて何処とも解らぬ場所にいるだけだ。佳彦は純然たる根無し草であり、目的地は無いのだ。厳密に言えば現世に戻るべきなのだろうが、何をどうすれば戻れるのか皆目解らない。あの召還魔法を操った宮廷術者のいる王宮ならば何か手掛かりが掴めるかもしれないが……おのれを冷遇しまくったあの空間に戻る事を考えるとぞっとした。
――キビ。そんなしょうもないいたっ切れに頼らなくても私がいるでしょ
ちょっと呆れたような塩梅で例の声が聞こえてくる。呆れの内にも親愛の情が滲むような、そんな声音だった。
――確かに私もこんな事に巻き込まれるのは初めてよ。だけど、私が付いていながらキビをまざまざ野垂れ死にさせたりはしないわ。ええ、女※様に誓うわ
ノイズ交じりのその声は、ひと先ず食料を探すようにと促した。実のところ佳彦は今空腹ではなかったし食欲も無かったが……彼女の言う事もまた正論であるとは思っていた。
※
一行(?)は小休止を挟みつつ歩を進めていた。獣道や道なき道というものではない。低木こそあれど見渡す限り背の低い草木が茂る、半分草原と呼んでも遜色のない場所だった。明るい緑や橙色の草が葉を茂らせているものの、歩きづらいという事は無かった。
また、開けた場所という事もあり何かが潜んでいるとか、佳彦たちを狙っているという感じも無かった。
見かける動物も、すばしっこい小動物ばかりであり、六足の魔物はおろか、飢えた猛獣や獰猛な山賊、或いはマッドサイエンティストや体罰教師などと言った佳彦の脅威になり得るような者たちは特にいない。
食べられそうな果物も発見したが、正直な所腹が膨れる代物とは言い難かった。テニスボール大の、薄紫の表皮に包まれていたそれは、見た目とは裏腹に殆ど味のない、誠に水っぽい代物だった。強いて言うならば味のないスイカと言った所である。果肉は妙にさらさらしており、食べるというよりも固まった水を飲んでいるような気分になった。
内なる声は、この果物からは水分を摂取できるだろうと言ってはいたのだが……
ちなみに他にも果物を見かけた事は見かけたのだが、渋みがひどい物や辛みが強すぎる物ばかりであり、そのまま食べられるような代物ではなかった。ちなみに佳彦が食べるのを断念した果物も、現地の小鳥たちはついばんでいた。用心深い小鳥たちの姿を見定めるのは難しいが、色々な種類の鳥がいたようだった。独特の配色と翼をやけにばたつかせるのが特徴的な見慣れない小鳥もいれば、何処からどう見てもセキセイインコにしか見えないような小鳥もいた。
それでもなお歩を進めていると、佳彦は思いがけぬものを目撃した。
彼の眼にははじめ――大きなカップケーキが幾つも転がり落ちているように映った。草原の上に横たわる丸いベージュ色のそれは、実に美味しそうなスイーツに見えてしまったのである。
とはいえそれは無理からぬ話だった。カップケーキの周囲には金平糖のようなパステルカラーでキラキラした小さな玉が跳ね回っていたし、何より本当に出来たての焼き菓子のような甘い香りが漂っていたのだから。
――ああ、異世界なんてくそったれだって思ってたけれど、まさか、無料であんな美味しそうなカップケーキが食べ放題だなんて。異世界万歳!
人気のない草原の上に無造作に転がるカップケーキたち。小学生でも怪しむであろう光景であったが、佳彦はこれを見て異世界の良さというものをひしひしと感じていたのだ。恥ずかしいからと思って少し隠してはいたが、佳彦は甘党だったりする。もっとも、甘党でなくとも歩き続け、口にするのは味のないスイカとくれば、きちんとしたカップケーキを見て興奮しない物はいないだろう。
「ん……?」
今しも歩み寄ってバレーボール大のカップケーキをゲットしようとしていた佳彦であったが、視界の隅を飛蚊症のように何かが横切ったのを見た。それは飛蚊症ではなく小動物だった。ネズミやイタチに似ていたが、佳彦の見知った動物とは何かが違う。胴体が妙に長いし、前足と後足の間には妙にだぶついた皮があった。
――少し様子を見ましょ
内なる声はそう言って、歩みだそうとする佳彦を押しとどめた。佳彦の関心は今や野生のカップケーキではなくネズミモドキに向けられていた。ネズミモドキは細長いひげを震わせて周囲を見渡し、そして臆することなくカップケーキへと向かっていった。
「チュッ……ギィィッ!」
事態が一変したのは一瞬の事だった。ネズミモドキの鼻先がカップケーキに触れようとしたまさにその時、カップケーキが文字通り裂けた。避けた内側からは青緑色の触手が顕現し……そのままネズミモドキを絡め取ってしまったのである。
その光景は、ちょうどイソギンチャクが小魚を捕食するさまとよく似ていた。但し件のカップケーキは触手に毒を具えている訳ではなく、もっぱら触手と本体で獲物を圧殺しているようであるが。
――あれは罠だったみたいね
ひどく淡々とした様子で内なる声が告げるのが佳彦の中で響く。小枝を折っていくような音とともに、カップケーキはそれ自体が頭であるかのように伸び縮みする。カップケーキの表面は、油のような粘り気のある青緑の液体で汚れていた。
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