第5話 追放の裏に涙あり

「そうか、この少年は無能なのだな」

「スキルが無いという事ならば、単なる肉袋に過ぎないではないか」

「我らは六足の魔物にただ怯えるだけではない。六足の魔物の襲来に打ち克つよう、強き者のみが残らねばならないのだ――弱き者は不要だ」


 佳彦を白眼視し始めたのは、まず王宮に仕える者たちだった。やはり衛兵は血の気が多いのだろう。彼らは猛禽のごとき眼差しを佳彦に向け、堂々と彼の存在を非難し始めた。

 次に目の色を変えたのが生徒たち、佳彦の級友たちだった。暗に佳彦の処分を口にする衛兵らの言葉に怯むどころか、両の瞳を異様に輝かせ始めたのである。


「なぁんだ。キビノって大人しくて地味だと思ってたけれど、まさかなーんにも持ってなかったなんてな」

「クラスでもいるかいないか判らなかったけれど、こんな局面でも使えないなんて役立たずじゃないか」

「ほんとだ。何でおれたちの所にくっついているんだろう」

――愚…………劣愚劣! 興※※を染み込ま……香での…………裸の猿どもめ。彼の本を……※※……知らぬからこそ、よくぞそ………………な。この※※※※……が彼にあると知ってもなお、そんな事が言えるのか!

 口角に唾の泡を溜めながら佳彦を罵る生徒らの声は、はっきりと佳彦にも聞こえていた。しかしそれに呼応するように、佳彦の内側からまた声が聞こえた。女の声だと思いたかったが、今回は幾分様子が違っていた。一応は人間の言葉を発しようとしているようなのだが、獣の唸り声のようなノイズが所々に入り込み、全てを明瞭に聞き取る事は出来ない。

 佳彦はただ戸惑うほかなかった。いくら異世界の出来事を書物で知っていると言っても……あまりにも物事が唐突に起きすぎている。嬉々として佳彦を罵倒する彼らの言葉が、実は本心からの言葉なのではないかと思い始める程に。


「いや諸君。キビノ君はぞ」


 モビング行為よろしくさえずり合っていた生徒らを、ウルム八世が一喝し黙らせた。佳彦はそこで安堵の息を漏らした。ウルム八世は国を愁い民を護ろうと決意している善き王なのだ。だからこそ、スキルの無い佳彦を役立たずではないと言ってくれたのだろう。

 感謝の意を込めて佳彦はウルム八世に笑いかけた。しかし佳彦の笑みは一瞬で凍り付いた。ウルム八世も笑っていた――ぞっとするような、酷薄な笑みをたたえて。


「異世界よりやって来る勇者たちは、はじめのうちは訓練が無いと魔物を斃す事すらもためらうという話を聞いていたのだ。曰く、勇者と言えども元の世界では我々とは異なり殺しとは縁遠い世界に身を置いているためだそうだ」

 

 ウルム八世は級友たちに視線を向け、それから佳彦をもう一度見た。佳彦は既に、何故国王が自分を役立たずではないと言ってのけたのか悟っていた。


「このスキルの無い少年を使って、諸君らに殺しの味を覚えて貰おうか。止めを刺したのちは動く骸になって貰う事になるが、仲間が実際に殺しを行っているのを見るだけでも、諸君のになるだろうから」


――嗚呼、俺の命運もここで尽きたのか。

 ひとかけらの慈悲も見せぬウルム八世の姿を見て、佳彦はおのれの末路を覚悟した。これがもし、クラスメイトらに死ねとか殺すと言われたのならば、佳彦も徹底的に反抗し、文字通り活路を拓こうとあがいただろう。ウルム八世はまごう事なき国王だった。異世界の王の威信を佳彦たちは正しく知っている訳ではない。しかし君主は君主、支配者は支配者であるという事を思わしめる何かが国王にはあった。その何かが、佳彦に反発する気概を奪い、おのれの命運を受け入れさせようとしていた。

 既に衛兵たちは級友たちのために武器を運び始めていた。初めて見る殺しの道具を、彼らは楽しいおもちゃでも見るように見物し、あまつさえ手に取り始めている……


「待って、待って下さい国王様!」


 狂乱の宴の準備が進む中、甲高い声を張り上げる者がいた。その声の大きさ、そして切羽詰まった気配に驚き、その場にいた全員が声の主に視線を向ける。

 声の主は佐藤博だった。宮廷術者が狂喜乱舞するほどのスキルを持つ、勇者と見做された男である。


「どうしたのかな勇者サトウよ」

「あっ、あの……」

 

 博は緊張しているような素振りで口をもごもごさせていた。先程の威勢の良さは何処かに失せている。それでも彼はウルム八世に何かを伝えようと奮起していた。半ば震えながら指し示しているのは、佳彦だった。


「吉備君を……いえそこのスキル無しの男ですが、このままここで殺しに慣れる道具として使い潰すのは勿体無いと思うのです」

「ほう…………」


 ウルム八世は目を細め、博のたどたどしい主張を聞いていた。


「勇者殿。もしかしたらにはより良い利用方法があると。そう申すのだな」


 そうです。勇者博の声は半ば裏返っていた。


「いっその事、六足の魔物が今はびこっているという場所に彼を連れて行ってはどうですか。王様の話では、魔物たちは僕らのような存在を烈しく憎んでいるとの事ですよね。彼にはスキルはありませんが、勇者の一味だと思って隠れている魔物どもをおびき寄せる役目を果たせるかもしれません」

「成程、そういう事だな。確かに生餌を用意するのも一興かもしれん」


 是非ともそうしてください。お願いします。博は赤べこのように頷きながら国王に懇願している。一体どういうことなのだ……? 博の言動に疑問を抱いていた佳彦だったが、博の両目が潤み始めている事に気付いてしまった。


 博の要望はすんなりと聞き入れられ、佳彦は転移魔法によって宮殿から遠く離れた林の奥へと飛ばされる事になった。

 獲物を逃した級友たちは残念そうに佳彦を見つめていた。

 その最前列にいたのは博だったが、彼は泣きそうになるのをこらえて佳彦の顔を見つめていた。

――俺の事を恨んでも良いよ、吉備君。護ってやれなくてごめん。

 博の動いた唇からは音は出なかったが、彼がそう言っているように思えてならなかった。

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