いないはずの猫

梓馬みやこ

第1話 保存された学び舎

ナー。


「いないはずの猫」が鳴く。


静かな、本当に静かな、古くも美しくも、小さな町の資料館に「私」が派遣されたのは夏も終わろうとしている頃だった。



* * *



その資料館は片田舎にあり、学校がそのまま移築されたものだった。

木造の、美しい平屋建てだ。それは芝の張られた斜面の少し上から堂々と眼前の芝生広場を見下ろしていた。

広場の周りには広葉樹が植えられ、その光景は田舎では珍しい、都市型の「憩いの場」のようだ。


とはいえ、過疎化の進んだその町で、中央広場と呼ばれる広大な芝の上に憩う人は滅多にいない。

毎日がおおよそ、静かだった。



派遣された「私」の仕事は館内の所蔵品をすべて見直すこと。

台帳も古く、これをデータベース化してすべて整理し直したいらしい。

元々は役場の職員が兼任で5,6年ほどかけて仕上げるつもりだったらしいが、資料の分類から整理、画像撮影、更にデータベースにするとなるとどうにも一介の職員では無理らしい。


この「資料館」が古き学び舎から資料館となったのは昭和の時代。その当時から一度もそんな作業がなかったらしいことを聞けば、いろいろな意味で納得もいった。


「学校であったもの」だから、中もクラシカルだ。正面玄関から入ると左手に受付、旧い木製のカウンターの上にやはり木枠の小さな窓。かちこちと柱時計の音が響く。

今では考えられないくらい、開ける度にガタガタと音がしそうなレトロな窓のその奥に、受付の職員は一人。

たった一人。隔日でここで働いているという。


そこから古い学校を思わせるクラシカルな「玄関」があって、スリッパに履き替えて上がると、歩くたびにミシリと言いそうな年経た古木の廊下が待っている。

いかにもな木造の学校を思わせるが、東向きの建物の北半分は相当改修がされていて天井はトラス工法になっていた。


大分前に世界遺産になった富岡製糸場で有名な、三角形を基本単位にして組み合わせ、天井を広く、強く支える造りだ。壁の白と柱の茶のコントラスト、そして幾何学模様が美しい。


外観は平屋建てだったが、表から見た斜面の部分が地下になっていて実際は二層構造の展示室。トラス工法の真下は吹き抜けで一階は口の字型に展示物が並ぶ。

そこから地下の、土器や刀など歴史的な展示物がこちらはいかにも「博物館」といったガラス張りの展示ケース内に見える。


地上部分は、近代の民俗学……古い教科書や地元にゆかりのある人物の資料、農工具、わら細工、とにかく昭和より以前の生活用具などなど。

建物の南側は、当時の教室がそのまま活かされていて部屋として区切られていた。


所蔵品は二千点ほどになるらしい。目録を眺めながら「私」は案内をひとしきり受け……


「ナ~」


猫の鳴き声をきいた。


「?」


今日の当番は細谷さんという壮年の女性だった。たった一人でここに一日いるせいかよくしゃべる。おかげで初日の案内で大体のことはわかったが……


ちりりん


今度は小さな鈴の音だ。飼いネコだろうか。館内から聞こえた気もする。

廊下の民芸品はむき出しで並べてあるし、この建物自体が登録文化財なので爪でも研がれたら困るだろう。なんとなく見回しながら私は尋ねた。


「猫の声がしませんでしたか?」

「猫ですか? 中にはいないと思います。ここは外からの音もよく響いて入って来るから、それかもしれませんね」


はきはきとした口調と笑顔でそう言われ、その場はそれでただ終わった。それだけの話。


だがしかし。






「ナ~」


また、聞こえた。

廊下で収蔵品を確認している時だった。なんとなく聞こえた方を見ると……猫がいる。


(やっぱり、入り込んでたのか)


「私」は静かに立ち上がって、そちらを向いた。今日も細谷さんが受付にいるが大騒ぎになっても困るので黙って捕まえて外に出すことにする。


「ナオ~」


少し小ぶりな、三毛猫。人の姿を見るなり逃げる気配はないので、近づくが……やはり猫だ。こちらから近づくと、離れる。背中を向け、ととっと廊下を奥に向かって行ってしまう。捕り物劇をする気はないが、少し早足になって追いかける。

その奥はわら細工だとかの民芸品で隠れるところも多いので、困る。


口の字型の建物の北側。角を曲がると、ちょうど展示物の置いてある棚の上に動く影があった。

影は影のままスッと消える。


「……ねこやぐらか……。お前、猫なのに袋のネズミだぞ?」


ねこやぐらはわらで編まれたかまくらのような民芸品だ。造りはしっかりしていて、狭くて暗い場所に入りたがる猫の習性をよく理解して作られている。

インテリア性も高いので、これもまた近年、猫好きの間でブームになっていた記憶がある。


「私」はちょうど中央付近にある猫やぐらの入り口を片手で塞ぐようにしてそっと持ち上げた。


「?」


だがしかし、妙に軽いそれは空だった。

……猫というのは不思議な生き物で、こちらにいたかと思えばあちらに、あちらにいたかと思えばいつのまにかいなくなっていたりする。

気配も足音もしない。


そういうことなのか。


その後も猫の姿はなく、細谷さんに報告しようかと思ったが、鈴の音でまたわかるかもしれないし、玄関が開け放たれているから勝手に出ていくかとも思い、私は耳をそばだてながらも、作業を続けることにした。

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