21

寮室に戻ると、繁夏は2人のブラウスを回収して、1階へと持っていってくれた。あの寮母と顔を合わせたくなかった桔花にとっては、ありがたいことだった。


「それにしても災難だったよね。あんな、洗脳みたいなこと」


ベッド脇のサイドテーブルを片付けながら、知里が言う。


「洗脳?」

「そうだよ! すごく怖かったよ、あの人。目の色変えて、小窓見ろって。あの時の桔花ちゃん、ぼーっとしててさ」

「……知里は見たの? 小窓」


1番気になっていたことを聞くと、さっきまで饒舌に話していた知里が口ごもった。


「見たの?」


うつむく彼女のそばまで行って、もう一度問う。しばらく逡巡してから、知里は一言だけ発した。


「分からない」

「分からないって……」


咎めているつもりはなかったが、言葉の端に滲んでいたようだ。知里はそれを敏感に感じ取って、何度も謝罪の言葉を口にする。


「役に立てなくてごめんなさい。何もできない子でごめんなさい。迷惑かけてごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」

「やめてよ。私、そんなこと言ってない」

「それでも謝らなきゃ。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

「やめてってば!」


何を言っても謝罪しかしてこない知里に、桔花は我慢ならなくなった。思わず声を荒げると、更に彼女は縮こまる。両手で頭を守るように抱えて、また言うのだ。ごめんなさい、と。

その格好はまるで、暴力を振るわれてきた人間のそれだった。桔花は自分が手を振り上げているのではないかと不安になり、右手と左手を交互に確認した。ぶらんと自然体に身体の横につけてあるのが分かると、泣き出したくなるほど安堵した。


「ごめんね、知里ちゃん。強く言い過ぎた」

「ううん、私こそ。あ、ごめんね、腰抜けちゃった」


彼女は小さく笑うと、桔花の手を借りて立ち上がった。

その時を見計らったように、ノックの音がした。繁夏が戻ってきたのかもしれない。返事をしながら扉を開ける。瞬間、目に飛び込んできたのは闇だった。それが女の長い髪だと気づくのに、時間は必要なかった。桔花は悲鳴をあげることもできず、櫛の通っていないボサボサの髪を見つめ続けた。その奥にある瞳がふいにのぞくことを恐ろしく思いながらも、目をつぶるところまで考えが及ばなかった。身体が動かない。指の先1つ動かせない。


「桔花ちゃん、誰が来たの? 繁夏先輩?」


知里が近づいてくる。これを見たら、気絶してしまうんじゃないか。どうにかしてあげたかったが、相変わらず身体はぴくりともしない。

ついに、その瞬間が訪れる。


「あっ」


桔花のすぐ後ろで、知里が息をのむ音がした。

ああ、間に合わなかった。何もできなかったことへの後悔の念が押し寄せてくる。

が、知里は意外にも冷静だった。塩をぶつけるでもお札を持ってくるでもなく、静かに扉を閉めた。


「関わらなきゃいいだけ、だもんね。大丈夫だよ」


元気づけるために言ってくれたのだろう。だが、ちっとも安心できなかった。

関わってはいけない女に遭遇した時点で、それはもう関わったことになるのではないか。

どこからが関わったとされるんだろうか。よくよく考えたら、何一つ正確なことが分からない七不思議だと思った。

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