22

それから30分後、繁夏が戻ってきた。


「遅かったですね。何かあったんですか?」

「学長から呼び出し。せっかく早く帰れたのに……。ま、手土産くれたから良しとしましょうか」

「わっ、美味しそうなクッキー! ね、桔花ちゃん」

「うん、そうだね。それに高そう」


無理して出した声は、情けないことに震えていた。それに気づかないほど、繁夏は鈍感じゃない。知里を手招きすると、2人で部屋の外に出る。事情を聞くのに桔花を選ばなかったのは、包み隠さず、全てをきちんと説明できるか考えた結果だろうか。繁夏は、今の桔花にはそれが望めないと判断したんだろう。

1人残された桔花は、ソファーに寝転んだ。気を紛らわせたくても、脳裏に焼きついた女が邪魔をする。


「あの子がね、見てたの」


寮母の声が鮮明に蘇る。


「この子、この子をよ!」


どうして私がこんな目に……。

桔花は頭がおかしくなりそうだった。ついには感情が爆発し、その矛先を物に向ける。手始めに頭に敷いていたクッションを投げた。ほんの少しスッキリしたが、まだ足りない。

テーブルの上のクッキーに目がいく。真っ赤なジャムがのったそれは、宝石みたいに輝いていた。誘われるように手を伸ばす。床に叩きつけてしまいたい。形が分からなくなるまで粉々にしたら、もっとスッキリするはずだ。

自分ではどうすることもできない欲求に襲われて、それしか考えられなくなった。早く、早くクッキーを……。


「たっだいま戻りましたー! って、あれ? きーちゃんだけ?」

「鳴見さん……」

「あ、美味しそうなクッキー。さては独り占めする気だったな?」


慌ただしく帰ってくるなり、にんまり笑いながら冗談を口にする。鳴見の底抜けの明るさが、太陽のように部屋を、桔花の心を照らした。


「食べていいんだよね、コレ? うげえ、学長のサインカード入りじゃん。気色悪っ」

「あの、繁夏さんが持ってきたんです。だから、勝手に食べたら……」

「1つや2つ減ってるくらいじゃ、バレないバレない」

「でも、表に14枚入りって書いてますし」


箱にはその分、仕切りがついている。食べてしまったら、そこだけ不自然にあいてしまう。バレないわけがない。いくら言っても、鳴見は伸ばした手を引っ込めない。

クッキーを2つつかむと、その包装を破り捨てる。


「いただきます。はい、こっちはきーちゃんの」

「私はいいですから」

「疲れている時は甘いものって、相場が決まってるの。先輩命令です、付き合いなさい」

「そんなしょうもない……」

「しょうもないことが大切なんですー。それを楽しめなくなったら、心が弱ってる証拠」


人差し指で桔花の鼻をちょんと突いて、鳴見はクッキーを頬張る。その顔があまりに幸せそうで、あの時、粉々にしなくて良かったと桔花は思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る