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黒のスキニーにグレーのパーカー。その上に、派手なアロハシャツを組み合わせた、おかしな格好の男が、無邪気に手なんか振っている。男の人。女子寮なのに。桔花は目を瞬かせた。
「あなた、まだいたの?」
繁夏が呆れたようにボヤく。彼女の知り合い、だろうか。だとしても、彼を寮に入れたことがバレたら、それなりの罰を受けることになるはずだ。
「あのぅ、大丈夫ですか。この人……」
「大丈夫じゃない。とっとと出て行ってくれないと、私、退学になっちゃう」
「まあまあ、バレないようにやりますから」
鋭く睨む繁夏に、まるで悪びれていないその人は、ソファーに寝転がる。自分の家にいるかのようにリラックしている。彼は一体、何しにこんなところに。不思議な顔をしている桔花に、繁夏が端的に説明した。
「
「変な話?」
「そ、興味ある?」
ガバッと起き上がった渓等は、戸惑う桔花を手招きした。
「付き合ってあげて。そうでもしなきゃ、いつまでも居座る気だから」
「そうそう。おいでおいで」
自分の隣に置いてあったクッションを床に投げて、1人分のスペースを空けた渓等。その横に遠慮がちに腰掛けると、急に肩を抱かれた。異性からこんなことをされたのは初めてで、桔花の頬はあっという間に真っ赤に染まった。
その様子を面白がるでもなく、彼は至って真面目な顔をしている。離してほしいと伝えるのも憚られるほどだ。桔花はどうすることもできず、ただ彼が話し出すのを待った。
どのくらいの時がたっただろうか。自分のつま先をじっと見つめていた桔花は、ふいに視線を感じて顔を上げた。渓等が横から覗きこむように、こちらを見ている。深くまで見透かされているような、真っ直ぐな目。近い。さすがに黙っていられず、桔花は抗議の声を上げた。
「あの! 話、しないんですか」
「いつまでそうしてるのー」
後ろで何やら作業中だった繁夏が反応した。それをきっかけに、渓等はふっと表情を和らげた。
「ごめんね。観察しちゃった」
ペロッと下を出してみせてから、ようやく体を離してくれた。桔花は気づかれないように、胸を撫で下ろす。良かった。あまりに脈が速くなったから、このまま心臓が止まってしまうんじゃないかと心配だった。
「じゃあ、変な話しようか。変な話、って言うとアレだね。要するに、都市伝説やおばけの、つまりはホラー系の話をね、集めているんだよ。
それから、生きている人間が1番怖いんだよ的な話も」
「口裂け女とか、トイレの花子さんとか? 学校の怪談みたいなものなら少しだけ知っています」
「いいね、大好き。そういうこと」
渓等はアロハシャツをガバッとまくり、パーカーのポケットからスマホを取り出した。不便そうだ。アロハシャツを脱ぐか、中に着るかしたほうがいいんじゃないかと思いながらも、桔花は余計な口を挟まない。画面をタップしたりスクロールしたりする、彼の長くて細い指を見つめていると、繁夏がやって来た。目の前の1人がけソファーに座り、ラックからファッション雑誌を引っ張り出した。
渓等の相手をする気は微塵もないようだ。
「あ、あったあった。まずはこの話をしようか」
スマホに表示されたのは1本のショート動画。小学生らしき男女数名が円になって、何やらはしゃいでいる。楽しそうに見えるのに、どこか不気味さを感じる。半紙に墨を垂らしてしまった時のように、一点からじわりと滲んでいくような恐ろしさ。
無音のその動画を眺めていると、その内に気が狂ってしまうんじゃないかと不安になってくる。
正直、あまり見ていたくない。
「気持ち悪い」
桔花の口から思わず、そんな言葉が漏れる。
「うん、気持ち悪いね。これは隣町の、とある小学校で撮影したものだよ」
「この子たちは何をしているんですか。何かを囲っているみたいですけど」
「『マザルユメ』って呪いを行なっているところだね」
マザルユメ。初めて聞いたはずの呪いなのに、体がゾクリと震えた。触れてはいけない、関わってはいけないと無意識下で警告されているようだ。
こういう時にすべきことを、桔花は知っていた。
目を閉じ、耳を塞ぐことだ。
「大丈夫? ちょっとヘビーだったね。最初にする話じゃなかった」
動画が閉じられ、霧のかかった街の写真が表れる。ホーム画面に戻ったのだ。渓等はにっこり微笑むと
、おもむろに手を叩いた。パンパンと乾いた音が部屋中に響く。
「良かったねえ、ここには何もいないみたい」
青ざめたままの桔花の頬を両手で包み、親が子にするように優しく言い聞かせる。
「大丈夫、大丈夫。ここに呪いはこないよ。もちろん、おばけもこない。そんなものよりね、君が恐れるべきは人間」
「人間?」
「うん。きっと、君は困るよ」
彼が何のことを言っているのか、桔花には理解できなかった。学園生活を送る中で、人間関係に悩まされるという意味だろうか。そうじゃないような気がして、答え合わせはできなかった。
「じゃ、そろそろお暇しようかな。お世話になりました」
「どういたしまして。帰り道、お気をつけて」
雑誌から一度も顔を上げずに、繁夏が返事をする。
桔花は彼女に代わって、渓等を見送ることにした。
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