芙蓉を刺す

砥石 莞次

爽籟館と男

名門、架秋かしゅう女学園に入学が決まった1週間後。留守桔花るすきっかは、母の運転する車で、これから生活する寮へと向かっていた。


「それにしても、本当に良かったわ。留守家の女の子はね、代々あの学園に入る決まりなの」


何度となく聞いた話に、適当に相槌を打って、桔花は外の景色を眺める。すっかり殺風景になってしまった。さっきまで見えていたビル群は姿を消し、代わりに田畑が広がる。どこまでも続くそれは、彼女の心を憂鬱にさせた。こんなところ、来たくなかったのに。何もない、つまらない山奥。唯一の救いは、電波が通じていることくらいだった。


「いつまで不貞腐れてるつもり? いい加減にしないと、ママ怒るよ」


形のいい眉毛をキッと上げて、ミラー越しに睨んでくる母親に、桔花は慌てて首を振ってみせた。


「不貞腐れているわけじゃないよ。ちょっと、不安になって」

「そうね。環境が大きく変わるんだもの、無理はないわ」


返事に満足したのか、それ以上、追求の手は伸びない。そっと胸を撫で下ろして、再び窓の外を見る。

古めかしい外観の、大きな建物が近づいていた。

女子寮、爽籟館そうらいかんだ。オレンジがかった壁には蔦が這い、どこか物悲しい雰囲気が漂っている。重厚できらびやかな装飾が施された扉だけが、真新しくて浮いて見える。

近くの駐車場に車をとめ、持てるだけの荷物を抱えた2人は、ひいひいふうふうと荒い息をしながら、入り口に向かった。

簡易な机とパイプ椅子が置かれた受付に、2人の女子生徒がいる。


「ようこそ、爽籟館へ。新入生ね」


髪を無造作に結んだ女子生徒が、優雅に立ち上がった。

美しい人だ。桔花は、挨拶することも忘れて、彼女の顔をまじまじと見つめた。歪みのない、左右対称の顔。鼻筋は高く、同じ日本人とは到底思えない。ハーフなんだろうか。


「桔花? 何、ボーッとしてるの」


母の咎める声で、ハッと我に返った。


「すみません。あの、留守桔花と申します」

「はい、ご丁寧にありがとうございます。じゃあ、案内するね。お母様はこちらのほうで」


彼女の言葉を聞き、別の生徒がすかさず書類を差し出した。入寮の説明があるようだ。


「あなたはこっち。さ、荷物貸して?」

「あっ、大丈夫、大丈夫です!」

「いいから。ちゃっちゃと運んじゃいたいでしょ?」


平謝りに平謝りを繰り返して、1番軽い荷物を渡す。細々とした雑貨系が入った鞄だ。

また後で、と母に手をあげて、先を行く彼女の後を追う。

爽籟館の中は薄暗かった。太陽の光が微かに入り込み、なんだかぼんやりした印象だ。目が慣れてくるにつれて、周りの家具や調度品の輪郭がはっきり見えてきた。古くて品のある、高級そうな物ばかりだ。ぶつかって壊したらと思うと、ゾッとする。

サーッと青ざめた桔花の耳に、くすくすと笑う声が聞こえてきた。


「ごめんなさい。あまりに心配そうな顔をするから面白くて」


くすくす、くすくす。口元に手を添えて笑う。

上品で大人な彼女の姿に、桔花の顔は一気に赤くなった。恥ずかしい。子どもだと思われた。


「大丈夫。ここにあるものは全て安物だから」


壊しちゃっていいよ、と冗談めかして言う。それでも、安心することはできなかった。彼女の「安い」が自分の「安い」と同じだとは限らない。細心の注意を払いながら、荷物を2階へと運ぶ。

爽籟館は4人で1部屋を使う決まりらしい。先輩、後輩関係なく、ごちゃ混ぜになる。桔花が割り当てられた部屋は、長い廊下を進んだ最奥にあった。

扉には、既に3人の名前が書かれたプレートがかけてある。


  室長 3年 八重樫やえがし 繁夏はんな

 副室長 2年 紺野こんの 鳴見なるみ

メンバー 1年 照井てるい 知里ちさと


「ちなみに、八重樫繁夏は私のことよ」

「えっ!」

「よろしくね、桔花さん」


繁夏はスカートの端をちょんとつまんでお辞儀する。バレリーナみたいだ。桔花はまたも見惚れてしまう。それを知ってか知らずか、繁夏はくるりと一回転して見せた。長いスカートで隠れていた膝小僧が、一瞬だけ露わになって、すぐ隠れた。


「遊んでる場合じゃなかったね。荷物、入れようか」


繁夏の手で大きく開かれた扉の先に、いてはならないはずの先客がいた。

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