記録:私、型3

 安定は長くは続かなかった。

 振り子の振れで、気力の増減がある。

 振り絞ってみても、出ないのは出ない。

 全く何もできない不幸を考えてみる。

 動く。

 押し上げるように足を左右に出して歩く。

 思ってもいない思いが身体をここまでしてくれるとは思わなかった。

 普通からは下なのだ。

 下限から出られない幅をさすらいつつ、せんを探す。

 無事を確かめたい。

 このような自身で他人を案じるのはお門違いか。

 それが私を下支えするひとつなのだ。

 理想の関係ではないかもしれない。

 一を聞いて十を知りなさい的なところはあった。

 呟きの切れ切れの掠れ音。

 垂水の滴りの秘めやかなどこかともなく。

 秘境の密林の水飲み場を思わせた。

 せんが小さい。

 すぐそこにいたのだ。

 ちょこちょこ近寄ってきていた。

 あまりにもこじんまりなので見逃すところだった。

 何か喋っているが聞き取れない。

 雲を払って手のひらを差し伸べる。

 なんとかよじ登って手の中に収まる。

 そのまませんをちっちゃくした。

 耳を近づけようとして鼻息で吹っ飛びそうになるのを危なげに堪えている。

「…みつ」

 何?

「ひみつ」

「キミの…ヒミツを…知ってしまった」

 どういうことだろう。

 さらけ出していると思い込んでいるだけだったか。

 聞き出そうとして、消え入るようにかき消える。

 沈黙ではない。

 こもって、立ち消えている。

 悩んで、手のひらに書いてもらうことにした。

 ストロークが短いのではっきりいって難解そのものだったが、神経を集中して、たどたどしく読み取っていった。

 ヒミツを知ってしまったが、暗号のように解くことができない。

 まるで雲がかっているみたいだ、と評していた。

 何を知り得たの。

 それがなんだというの?

 キミはどうやら普通とは違うらしい。

 特別かどうかは如何ともだけど。

 病人という点ではみんなと同じだ。

 人間というのもこれまた合っている。

 少女もまたその通りだ。

 では何か?

 普通とは言い表せられない普通があるにはある。

 量子の重ね合わせのような。

 そうでもあるし、そうでもない。

 そうであろうとすると、次の瞬間にはひっくり返っている。

 秘密はヒミツだ。

 ただし、知り得そうな秘密と、そうじゃない秘密がある。

 ヒミツを暴くのはまだまだ先になりそうだ。

 その時が来たら開示されるだろう。

 厳かそうに言うせんはミステリアスだった。

 それよりも、この状況だ。

 雲隠れしたい気分だ。

 コーヒーの色が紐のように空間を漂っている。

 どんな不可解なことも身近なもので出来上がっている。

 これは先程の言葉を現出させているのではないか。

 雲隠れ。

 そうしたい気分だったためにこのような物語がこさえられた。

 確証はないが、手がかりはある。

 隠れているもの。

 見えないもの。

 小さなせんは、どこかへいってしまいそうな表れ。

 なあんだ。

 わかってしまえば、あとはコーヒーの色と共にもとへとキリキリ巻き戻せばいい。

 おっかなびっくり半自動で巻き戻した。

 通常サイズのせんが立っている。

「いやはや、キミはスゴいことをするね」

「どういうこと?」

「キミがさも普通のように取り行っているそれぞれが、他の少女からすれば限界値を突破しているといっていいんじゃないかな。こう言い換えてもいい、キミは他の少女がやってないことをやっている」

「えっ、これって毎日を乗り越えていくためにみんながみんなやっていることじゃないの?」

「うーん…大抵の少女は巻き込まれている、飲み込まれているんだよ、物語に」

「物語の提示するまま、運命の示すままにあらゆる行動を行なっている。それが普通なんだ」

「型が抗ってことでしょ?ならせんも同じじゃん」

「守・破・離。すでにキミは破って離れている。ボクが想定する型をもう超えてしまった。

 免許皆伝だよ、キミはキミが思うままに進めばいい。こんなに型を使いこなしてくれているなんて、考案者冥利に尽きるね」

「それでも私は、自分がまだ型を使いこなしてるとは思っていないよ。せん、私を鼓舞するために盛ってはいない?」

「型は渡したらその人のもので、あとは手助けはするけど自由だからね。手助けが必要ならまだするさ。教えられることもあるかもしれない。お互いのまだ知らない情報の交換みたいにね。もともとそういう狙いがあった、というとあざといかもしれないが、もともと学ぶってそういうものなんじゃないのかね。一方通行だけじゃない、教える側も何かしら受け取っている。もともとはつくり合う意味合いが強かったんだ、単純そうに見えてその行うは見えづらいから、もともとそういう性格は持ち合わせていた、これはいわゆる暗黙知と言えるかもしれない。おっと」

 喋りすぎた、とでもいうように。

 ほんわり抱きしめられる。

 一切を含む。

 それゆえにこそ悲しみが込み上げてきた。

 対等に近い関係があろうとしていた。

 戸惑いもある。

 今の今まで先生とその弟子、だったのだから。

 先の見えない淡い期待もある。

 新しい向き合い方とは、どんなものだろう。

 それでも、なんとなくだが、見えていた。

 垣間見える新しい道。

 それに、共有の要素が加わった。

 それで、いい。

 そんなものなのだ。

 劇的にではなく、流れのうちに、日常的にしろしめされてゆく。

 せんは型だけではない。

 なにしろ生き方の先輩なのだ。

 そこに気後れ的後ろめたさも遠慮もすれ違い的違和感もあるはずもない。

 向き直ってみると、伝わってくる。

 それが合図だったかのように。離れて。

「コーヒーでも飲まないかい?」

 合わせてくれた。

 返事は言わずもがな。

 今日の添え菓子は何にしよう。

 外の雲がいっそう映えていた。






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