記録:私、型2

 そんなに遠くない。

 この居宅内だ。

 だらだらの身体に鞭打って、フンと、一念、起き上がる。

 ダメだ、まだ調子悪い。

 こういうときどうすればいいんだろう。

 ミイラ取りがミイラになってはいけない。

 慎重に行動しなければ。

 壁にもたれかかりながら、さて、聞き耳を立ててみる。

 こぽり。

 水が溜まっていて、張って、そこから空気の塊が一筋水面に立ち上った音。

 どういうことだ?

 扉の向こうは水の中?

 さらに聴いていると、ぐぽっぐぽっ。

 もがいている?

 だとしたらすぐにでも出て行かないとダメだ。

 こういうときどうすればいい?

「せーん!」

 声がけしてみる。

 しーん。

 なんの反応もない。

 ときおりぽこぽこと聞こえてくる以外は。

 扉を開けようとしてみる。

 重い。

 やっぱり向こうには何かが満ちているみたいだ。

 雲を間からするすると通す。

 感覚をつなげたクモの糸だ。

 伝わってきた感覚は水のそれではない。

 空の中をかき切る手触り。

 ねっとりとまとわりつくように何かがふれている。

 動きが緩慢だ。

 密度が高いのだろうか。

 ダークマター?笑

 でもそうじゃないかと思ってしまうぐらい、未知の感触なのだ。

 ほんの先まで糸を伸ばしてみたが、同じようなが続くばかり。

 埒があかない。

 この目で見てみないと。

 だけど、手は塞がっている。

 閉じこもって、グダっていたい。

 それしかないのか。

 家が揺れた。

 意識も揺さぶられる。

 揺さぶられついでに、考えも揺さぶられる。

 篭れれば、いいじゃないか。

 雲が足元から沸き始める。

 足元をまとわりつき始めて、ぐるぐると巻き上がる。

 そのまま、その身を包み始める。

 もくもくもくもく

 どんどん雲で覆われて、やがて雲の鎧となって固まるように固定する。

 呼吸してみる。

 雲から供給されているみたいだ。

 動いてみる。

 多少鈍重だが取り回しは悪くない。

 扉を重々しく開いてみる。

 真っ黒で墨のような物質が大量に流れてくる。

 所々キラキラ輝いている。

 なんだこれ?

 そのまま廊下へのそり出る。

 周りは真っ暗。手探りだ。

 触りで壁、感触で床はわかる。

 にじるように前へ進む。

 頭の中にこの邸宅の地図は入っている。

 ここから近いのはトイレだ。

 いるとは思えなかったが向かう。

 何かが、前へ進むことを躊躇わせた。

 第六感だ。

 すぐ目の前が、塗りこめられた。

 そうとしか、言いようがない。

 空間ごと、ハレーションした。

 そこには私の書いた文字はなかった。

 真っ白というか、何もないことがそこにあるだけだった。

 心拍数が激上がりした。

 心を整えるのに、呼吸だと気がつくまで混乱した。

 扉を閉めたがったが、諦め、呼吸を整えつつ、息を殺すというなんだか矛盾した行為に出ていた。

 行くか戻るかしかない。

 雲をもこもこ押し出してみた。

 何も起こらない。

 時間をおいて、もう一度。

 やはり何も起こりはしない。

 だっ、と前に飛び込み、前転した。

 背後で空間が熱死する音がした。

 そのまま、転がりながら流れでそちらの方向へと進んでゆく。

 書いてみたが、理解不能だ。

 飲み込めるギリギリの理解力で前へと押し出されている。

 空間が違う、というのは簡単だ。

 どう違うのかと述べるとすれば、法則から説かねばならぬかもしれないことに、目眩さえ覚える。吐き気か。

 それでも吐き出してみたのは、単純明快な答え。

 気持ち悪い。

 よろしい。

 振り切って離れていく。

 ここでは私はストレンジャーか。

 雲が麻薬であるかのように、鼻から吸い込まれ、冷静さを取り戻してゆく。

 雲からの見えは厚みを増してぼやけているが、フレームははっきりしている。

 私は、見える。

 赤外線かもしれない。

 X線かもしれない。

 磁力線かも。

 その世界は、ドーパミンを放出していた。

 次々と情報を剥ぎ取っている。

 見えてくるようで見えない。

 もどかしいけど了承する。

 ビデオゲームの世界ととる。

 そうすると射程は安定する。

 肉は浄化される。

 サイバー物語率42%。

 頭の中で歌が鳴り響いている。

 ニシ・トリリオン、初期ラベルオープン。

 圧縮度65。

 モデル:イベント:クラウド・ホライゾン

 グラスが知らぬ間に展開していた。

 画面上を点が移動して歩いている。

 疑問は抱かなかった。

 そういうもんだ。

 これがそうか。

 目の前の遠景と、手元のと、交互に見比べながら避けて慎重に歩く。

 断然違う。

 スイスイスイとはいかないもので、歩みがカタツムリ並みになってしまった。

 こうなってくると、テンションを維持するのが億劫になってくる。

 型か。

 頼りすぎるのは引け目だけど、使えるから使っていこう。

 型にはどうにもならない時のやり方もあることがわかってきた。

 型があるのを前提に、楽しみが滲み出しているのを積極的に、時には消極的に享受するのだ。それは呼吸でしか応えられない時もあろう。

 自家発電しているのを信じて、とにかく感じるようにする。

 風のそよぎだけを心地よいと感じていても、それは身体の奥底からこぼれ落ちてきている。

 そして、やってきたことを肯定してる。

 そうすれば、そのうち幾らかは前に進めるきっかけがやってくる。

 その時すぐさま反応できるかはわからないけど、心根はスイッチできているはずだ。

 そうなったら、後はタイミングが解決してくれる。

 ある意味、永劫回帰。

 もっとひどい時、発作にかかりきりの時は、その滲み出しから、起きている事態を面白がる。楽しみがあれば、なんとか動く頭があれば、面白がれるはずだ。

 脳がぐっちゃんぐっちゃんのグデグデみそっかすスープみたいになっていても、知性のかけらさえ残っていれば大丈夫。

 のろのろでも、動き、流れが煌めきを持つ。

 そこに生きようとする力さえあれば、みっともない醜態を晒すことになっても、結果として、どんなにわずかでも踏み出せているはずだ。

 今がそうかもしれない。

 脳に圧迫感を知る。

 あんまり上手く働かせそうにない。

 何かに寄りかかりたかだったができないので、その場に座り込み、とりあえずの状態をつくる。

 ちゃんとピンチってくるもんなんだな。

 どんなに追い込まれていようとも、さっき考えていた型があるならば、やり過ごせそうな予感はしていた。

 実際そのようにやってみると、面白がれることさえもできない時がある。そういうのは、流れに身を任せてみることで、型を信じていることで通せそうだった。

 いやはや最後は信じることしかないとは。

 信頼、信用と言い換えてもいいかもしれない。

 寄りかかってもいい。

 すがっていてもいい。

 それによって保てているのなら。

 暴風に晒される葦のように私はその場に釘付けにされた。

 移動している点からは離れていた。

 というより、私を認識していないみたいだ。

 スニークしているわけではない。

 私の今のあり方が認識阻害を生み出しているらしかった。

 認識阻害はいい間違えだ。

 認識自体ができないのだ。

 私は、言葉の意味で、いない。

 レイヤー遷移3.258632

 深度5/3/2

 グラスの表示の示すもの。

 潜っているのか。

 ここではとどまるものがとどまり、しずめるものがしずまっている。

 緩まっている。

 広がっていくのが窺い知れる。

 その広がりがじんわり。

 身体全体で温む。

 時間の過ぎゆくままに身体を放り出した。

 そうすると、自分が知性体になったかのような錯覚が起こる。

 思考しているわけでもなく、かけらのみがあるだけなのだが、浮いている。

 感覚が奇妙だ。

 意思するのみというのは行っている間は気にしないので普段通りだが、ちょっとでも離れるとどうにも居心地が悪いものだ。

 それでも沈めるようにそこにいるとやがては安定してきた。

 立ち上がる。

 海面より顔を出すような実感。

 自分を取り戻すデジャヴ。

 周りを掴み取ろうとする。

 気を吐いて、現状を認識する。

 動く点は、鳴りを潜めていた。

 微かな振動するドットとして、見えるか見えないかの姿をその場にとどめている。

 近づくと塗込めようとする。

 私に迷いはなかった。

 投げ出すように踏み込み踊り、空気の流れのようにしゃっきり抜ける。

 自然にできた体捌きだ。

 伝うように部屋へと渡る。

 ばたん。

 もう一度やれと言われてもできない。

 無我の境地、至福の時だ。

 ランドリーだ。

 ごうんごうん動いている。

 誰もスイッチ入れてないはずだけどな。 

 洗濯物を綺麗に洗っている。

 雲があらわれるようだ。

 そこから私は洗うという動態を得た。

 そろりと扉を出ると、集中してドットを洗う。

 ドラムの中で洗われて、すっかり何もなく落とされた。

 水を得た魚で、絨毯爆撃で捲り上げて次々に消していくのだが、相手も怯まず、ブワッと広がって、対象領域を拡大した。

 私は鳴門の渦潮をなぞって連続的に撃ち、対抗していくと、急速に動きを早めてきているのもある。

 ついていけず、身をかすっていく。

 体温を急速に奪われていく。

 この窮地を面白いと思うことにした。

 全ては通ずる。

 不安はないわけではない。

 いつも病気に対するうらみと付随する現象に悩まされるやれやれ感、人生自体への倦怠感といったものに、どうなるかわからない不安はある。

 明日を生きていこうというより、今、こなしてゆこう。

 そういう気持ちで踏み締めている。

 言葉はブラックボックスからするすると引き出されてゆく。

 見極めようとしていた。


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