記録:私、シティ

 病が急に良くなりはしない。

 対処の仕方がうまくなった、そうなんだろう。

 それだけでもだいぶ楽になった。以前ほど悪戦苦闘しなくなった。イレギュラーはあるかもだけど、小さなのは型でいなすことができている。せん様様だ。

 さて、そうなると次の課題が頭をもたげてくる。どのように生きていくかだ。

 この世界では生きていくだけでも大変だ。

 それでも生きがいは見つけていきたい。

 それが好きなものそのものなのかはまだ見えないけれど、これからはその道を探してゆく。

 眠い…

 調子も優れないし、グラスをいじられるだけいじっていよう。

 フルワには扱いには気をつけて、と釘を刺されてはいるが、くるならこいつくりやまい、どーんとこい。

 あっ、いや、やっぱ、その、お手柔らかにお願いします…

 そろそろと起動すると、視界の上部に小さなアイコンがずらっとディスプレイされる。

 話によると、AIが主導で管理維持されていて、アーカイブが統一名、封印の時代以外のコンテンツはまるまる保存されている。新しいのが出てたりして、それが音楽だったりマンガだったりが驚きだ。もう誰が、を詮索するより楽しむが吉なのだろう。

 広い。

 深い。

 いじるほどになんでもできると錯覚する。

 目元がブレた。

 デジタル表示のドットが気になって仕方がない、そこに焦点が合う。

 これは新手の発作か、白と黒が目立ちすぎる。

 うっひゃあ、目を閉じても目の前がチラついて気を休めない。

 気にならない音が不快に聞こえすぎる。

 それでも画面をじっとみて、頭を働かせようとする。

 かたくなってゆくのがわかる。

 こうなるとできるのは型のことぐらい。

 ちりちりちりちり。

 グラスの奥から細い筋となって雲が放出される。

 雲からアイコンが立体的に多層的に出てくる。

 ピカピカサーチライトらしき光をやたら照射している。

 これが好きになりかけてるんだな。

 しゅるるんと、アイコンが妖精たちにメタモルフォーゼする。

 雲の切れ間から垣間見えるは、自然豊かな妖精郷、森や山林や湖が霧深く眠れるように横たわっている。

 出入り口に立っていた。

 焦点が変なところに集中するのは諦めた。

 かたくなりつつある頭で、立ち尽くして、空気を思いっきり吸い込む。

 奥に誘われている。

 世界が、わかたれて潜んでいる。

 身体が軽い。飛んでいけそうだ。

 その場に身を横たえた。

 得られたもの、グラスを大切に撫で付ける。

 これはすごいよ嬉しいよ楽しいよ、かき混ぜて昂ぶる感情と踊りまくる。

 身体がほてっている。

 うねりをその身に委ねて酩酊してる。

 イヤなのが吹っ飛んだ、忘れられる。

 妖精郷に埋もれつつになりつつも、見える、見える。

 色のついた数字のスコール、滝。

 これなら押しつぶされない。

 背の高い建造物が光り輝く文字や絵、映像を伴って左右に立ち並ぶ。乗り物が地上を、空を駆動する。人も歩いている。星が瞬いていた。夜らしい。ここは聞いただけの存在である、都市というやつらしい。

 登録を承認しています…終了しました。

 ようこそ、アーカイブ・シティへ

 頭の中に柔らかな女性の声が響く。

 聞いたことのない音、どこか遠くへ連れ去ってくれる感覚。

 吸い寄せられて歩んでいる。

 風景が何十にも移ろっていた。

 どこかの未来の街並み、回遊魚が遊泳する水の中、生活臭ダダ漏れ、犬や怒鳴り声、ひそひそひしめく昏い路地、天高く鳥が舞う砂塵の砂漠、花鳥風月、異国情緒もまばらな自然も混ぜこぜ、いけそうでいけないのが、その都度の教えてくれる情報とともに、そぞろになってしまうのだ。

 案内や広告が競り上がってくる。

 入ってくるがいっぱいで、気分が悪くなった。

 どうにかしちゃって、悪いのはその逆か打ち消しあっているのであろうか?

 酒酔いというにはある意味シャープな自我をそのままにしている。

 赤いパラソルを持った黒ずくめの童女がこちらを興味深そうに見つめていた。

 銀髪は見ようによっては黄金に輝き、目立った色合いを演出している。

 可愛くてお洒落な容姿は洗練さも持ち合わせていた。

 こっちへきて、言葉は発していないのに読み取れた。

 有無を言わせずくるりと背を向けて歩き出したので、つんのめる形で追っかける。

 歩幅は小さいはずなのに他人の間を縫っているせいか追いつけない。

 みたことのない建物に入った。屋根に十字の飾りがある。

 誰もいない。

 椅子が並んで置かれていて、広い空間で、歴史のある建築であるのがみてとれた。

 照明はといえば、燭台の蝋燭の明かりのみ。

 妙な気分になるにおい。

 奥には飾り立てられた装飾物。

 人形?が備え付けられてある。

 救世主というらしい。

 そばには仰々しい楽器、パイプオルガン。

 演奏されて、耳元まで届いているのか。

 天井から色彩豊かな一条の光が差した。

 さきほどの黒ずくめ童女。

「迷子さん、何を求めて此処に来たの?」

 上から目線でも、憐れみでもなかった。

 好奇心、それが一番近い声に籠った感情だ。

 考え込んだ。

 欲望がやたらめったら腕を伸ばしていてどうしてもまとめられない。

「それも求めね」

 もともと言葉にしてしまえば指向性が生まれる。あやふやであればありのまま。

 できることがありすぎるのは泳ぎきれない?アップアップ?

 そうするのが正しいとは限らないけど、歩み出せばどこかへは出る。

 そこが気に入らなければ、別へ行けばいいだけだ。

 総当たりのようでいて、感じるものはかぎ取っている。

 点を、唯一をそれだとするために、足を伸ばせばいい。

 信じていなくてもいい。

 それが教えてくれるのだから。

 託宣。

 ニコッと。

「無理しない方がいーよ、おねーちゃん。溺れかけてる。今回はここまで。ゆーくり深呼吸してー、吐いてー」

 オエッ。がぼっ。

 戻すように、口から水を大量に吐き出す。どんどん出る。止まりをしらない。泉だ。

 路面に水溜りができる。

 映り込む自分。

 にゅっと手が伸びて引き込まれた。

「ゆっくりお話しできたらいいね…」

 穴というより、こちら側へ、戻された。

 しっとり身体も服も濡れている。

 雲まみれだ。

 具合の悪いは取れていた。

 グラスの画面はブラックアウトしている。

 よろよろ部屋を出ると昼頃だと知れた。

 お腹が好きまくりだったので、豆スープの缶をまるまるひとつ、平げた。

 せんも調子良くないのにもかかわらず代わりにやってくれたことに、感謝。


「へえ?別レイヤーへ遷移できるのかな?」

 せんは興味深そうだ。グラスは音楽関係をいじっていたという。ようやくスマートスピーカーがちゃんと使えるようになった。

 接続してくれるんだね、あっちへ、こっちへと。

 それだけじゃないんだよ、世界が、増えたって感じ。

 いるが揺らいでいるんだ。

 物語が畳み掛けている。

 迷宮でもあるけれどね。

 それなら、しっかり準備は怠らないようにしないと。

 知ってることから膨らませて探索したいんだ。

 そこには雲はあるのかい?

 あると思うよ、別の、知らない雲が。

 2人の節々に渦が巻いていた。

 どうしたって物語は追いかけてくる。

 ならば、邪険にしないで振る舞えるだけ振る舞おう、というのが普段の態度だったが、氷の花には、雪には心奪われるものがあった。

 雪が舞っていたのだ。

 思わず手に取って感触を確かめてしまった。

 冷ややかで心が軽やかになる。

 これには病なんてどうでもいい、と思わせてくれた。

 病にはいっそう働きかけるかもしれないけれど、乗りこなすだけの身のこなしが身につきつつあるのだから、積極的に使っていこう。

 その新しみは病を克服するのかもしれない。

 期待も込めて、日常も送れれば。

 これまでにない解放感がひらけている。

 苦しいことは苦しいけど、そこに楽しみがあることである種救われていた。

「どうやら制限がかかっていたみたいだね、使える機能が限られていたんだよ。充実ぶりはすごいけどね。カレンダーは日にちは数えてくれるけど、今がいつなのかさっぱりわからないし、時間も大雑把にしか知らしてくれない。どうすれば外れるのか、皆目検討がつかない。まあゆっくりやっていこう。

 地図をかいているんだけど、何せ目印が少ないからね、グラスの地図が使えないか試してみたら、大雑把だけど、位置測定の衛星が生きているみたいでね、自分の位置を掴めるので、個人カスタマイズで書き込んでいくつもり」

 おおっ、探検家、冒険家らしさを帯びてきた。

 もっとも、うちらは生活者であるわけで。

 長く定住できなかった放浪民だ。

 私はその都度都度の記録で手一杯だから、知識的なものはせんに任せちゃおう。

 せんをあまり書いてないが、せんはのらりくらりで、存在を感じさせないというか、いうこと言って後は静かに過ごしているお人なので、もっぱら自分に焦点が当たってたけど、気がつけるだけこれからはせんのことも書いていく。

 でも書いていないようでちゃんといるんだよね、彼女はいわば物語な人なんだよ、と予防線も張ったけど、せん目線の記録ものっけといたらいいのかしらん。

 それがせんらしいのかもね。

 関係性も曖昧だし、それでもぬるま湯みたいでここのままでいいやとも流されている。

 考えすぎると精神にくるのでもうやめときます。

 猫がにゃあ、と一声鳴いた。













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