2-6

 僕はテーブルに置いてある一枚の紙切れをじっと見つめている。名前を書いて判を押すだけ。僕はあいつとこの紙切れ一枚でつながっている。そしてこの紙切れ一枚であいつと別れることができる。

「別れる」ではなくて「分れる」なのかなあ。すっかりさよならしてしまうわけではない。それぞれ自分の道を行くだけ。書類上の言葉は「分れる」ではなく「離れる」。一つになったものが二つに分れて離れていく。現実的にはもう別々の道を歩いて離れてしまっている。離れていったのはあいつだけれど、僕も追いかけることはしなかった。もう一度結ばれることはないだろう。そもそも僕たちは結ばれていたのだろうか。あくまでも契約でしかなかったのか。契約を結ぶ。そうかやっぱり結ばれてはいるんだ。それなのに感じるこの違和感は僕だけなのだろうか。事実この紙切れが僕の自由を妨げている。単に手続き上の問題であっても。

 僕は自分の名前を書いて、その後ろに判を押した。フミちゃんはドアの外で様子をうかがっている。由利子から僕に宛てた封書をフミちゃんが受け取り、さっきドアのところで僕が受け取った。

「別れてなかったんだ」

「手続きしてなかっただけだよ」

「あいつが何も言わずに出て行ったのは事実だし」

「由利子さんっていうんだ」

 フミちゃんは僕の向かいのソファーからテーブルの紙切れを覗いている。

「これを出した後に、すぐに婚姻届けって出せるの」

「出せるよ」

「出せないって聞いたことがある」

「そうだね。僕は出せるけど、由利子は出せない」

「女の人はダメなんだ」

「子どもの父親を判断するための配慮なんだけど現実的ではないよね。そういう相手はいないみたいだけれど」

「よく知ってるね」

「ゴミの片付けに行ったし、それ以外にも何度か会っているから」

「そうだよね。そういう人がいたらできるだけ早く手続したいものね」

「ゴミの片付けに行ったのは、ナナさんのところでしょう。ナナさんが由利子さんだったんだ」

「フミちゃん、あいつに会ったことあるの」

 フミちゃんは黙ったまま。


どこまでわかっているのだろう。


「それより、コウちゃんはすぐ結婚できるんだよね」


「まあね。さっきも言ったけど」


「でも、そうするとまた紙切れ一枚で拘束されちゃうんでしょ。


せっかく自由になれたのに」


「そうだね、少し自由でいたいかな」


僕はテーブルに置いた紙切れを封筒に戻した。


「いつ出すの」


「明日にでも」


「いっしょに行っていい」


「かまわないよ」

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