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社長さんはまるで帰る気配がなく、何やら陽気に話をしている。ちょっとくどそうな感じもしたけれどカウンターからでは内容まではわからない。あいつの意外な面を見たような気がした。
「ナナちゃん、こういう商売はかなりベテランらしいの。表の顔じゃなかったみたいだけど。知らなかったでしょう」
ママは僕があいつの元ダンナだってことは知らないようだった。今になって考えてみると思い当たらないわけでもなかった。僕はほとんど家にいなかったし、もちろん僕と知り合う前のことはわからない。
ミミちゃんがアイスの追加でカウンターのほうに戻ってきた。
「今日は社長さん、ナナを放さないみたい」
「ここに来る前からのお客さんみたいだし」
ミミちゃんはそう言って意味ありげに笑いかけてくる。僕は残っていた水割りを飲み干した。
「ママ、また来てみますよ」
「悪かったわね。ナナちゃんほうから呼び出したんでしょう
「ごめんなさいね」ミミちゃんがぼくの肩をたたく。
「あたしでよかったらお相手するけど」
「どうしよう」
「いいのよ、無理しなくて」そう言った後、ミミちゃんが僕の耳元で囁いた。
「ママは知らないけど、ミミは知ってるから」
「ねえ、どう。ミミ彼氏いないみたいだし、あなたのこと気に入ったみたい」
「どうしようかな」僕がそう言うと、あいつはニヤニヤ笑いながら僕を見ている。
「あたしだってあなたの好みぐらい知ってるのよ。ミミはタイプじゃないでしょう。ナシゴレンを食べた彼女と違って」
「そんなんじゃないよ」
「別に悪いとか言ってるわけじゃないの。でも、あそこにだけは連れてきてほしくなかったなあ」
あいつは思わせぶりの笑みをうかべながらパスタを口に入れる。
「カルボナーラ好き」
「好きだけど」そう言いながらあいつは僕の目を見ている。
「知ってるくせに。はじめて会った女の子と話してるわけじゃないのよ」
「でも、何かそんな感じだから」
「あたしのことなら何でも知ってるでしょう」
「そうでもないみたいだし」
僕はミディアム・レアーのステーキを口に入れた。久しぶりに食べるステーキの感触。あいつがおごるってくれるって言ったから。
「ねえ、神戸のステーキ屋のこと覚えてる」
「レアのステーキ食べたら中が冷たくて」
「神戸牛にしては安かったよね、あそこ。コーヒーはインスタントだったけど」
「何でいなくなっちゃったの」
「わかってるくせに」
あいつは口のまわりについたソースを紙ナプキンで拭っている。僕は次に何を言おうか迷っていた。沈黙っていう方法もあるけれど。
「いいじゃない。あなたすごく幸せそうだもの」
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