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 ジャズともR&Bともつかぬ不思議なシンガーだけれど、少なくともベツレヘムからデビューして、コルピックスでレコーディングしていた頃まではジャズシンガーといってもいいのかな。そもそもジャズとR&Bの境界って曖昧だし、ニーナ・シモンはその境界のあたりに位置するシンガーだから。

 コンサートピアニストを目指していただけあってピアノは凄く上手い。ジャズピアニストとしても十分やって行けただろうけど、歌ったほうがギャラがよかったらしい。もちろんシンガーとしても一流だけれど。

 コルピックスの一枚目「アメイジング・ニーナ・シモン」を聴きながら、さっき受けた電話の客を待っている。

 あたりを見渡して、あらためて殺風景な部屋だと思った。もともと片付けが上手いほうではない。長年の経験から物を持ち込まないことを覚えた。捨てることが苦手なのも片付けが下手な原因のひとつ。片付かなくなってしまった物は一か所に集めておくことにしている。その場所はこの部屋ではなく奥の部屋。

「あたしのこと覚えていますか」スラリとした髪の長い女性は、ソファーにすわるなりこう言って僕のほうを見ている。端正な顔立ちの美人だけれど、残念ながら美人過ぎて僕のタイプではない。ただこれだけの美人を覚えていないはずはなかった。

「ごめんなさい、覚えてません」

 僕は女性の目を見ながらサラリと答える。女性の表情が一瞬だけ変化した。

「それじゃこの人は知ってるかしら」

 女性は写真を一枚テーブルの上に置いた。その時お湯を沸かしていた電気ポットのスイッチが切れた。僕はポットの置いてあるテーブルまで歩いて行って、用意していたコーヒードリッパーにポットのお湯を注ぐ。

「いい香りですね」客の声が背中から聞こえる。ドリッパーにお湯を注いでいる間、僕はずっと黙っていた。部屋に漂う緊張感をニーナの歌が少しだけ解きほぐす。客は僕の答えを早く聞きたいのだろうか。

「ブラックで大丈夫ですか」

 客は返事をせずに僕の置いたコーヒーをひとくちすすった。僕も彼女の向かいにすわってコーヒーをすする。

「知りませんね、この女性も」

 彼女は表情を変えずにコーヒーをもうひとくちすすった。

「それで、依頼はこの女性の関することですか」

 客は持っていたコーヒーカップをテーブルに置いた。

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