175 予兆

 ――○○国 大森林の洞穴どうけつ


 岩山の麓にできた薄暗い穴。その奥の奥。光も届かない穴の奥に一体のグロリアが横たわっていた。

 食事を行っていないのか、体はやせ細り、骨と皮だけが見えるようなそんな細い脚。人間のような腕は無く、その両手は空を舞うための翼であったのだろうが、今はその翼にほどんど羽根は残っていない。


 じっと横たわっており今にも天に召されそうなそのグロリア。ただ一点、餓死する直前というには不可解な部分があった。

 それはそのグロリアの腹。まるで妊娠しているかのように大きく張り裂けんばかりに膨れているのだ。


 僅かながらに鼓動している大きな腹。

 それは生命の息吹が宿っている証に他ならなかった。


 それまで閉じられていたグロリアの目がゆっくりと……そして僅かに開く。


「ねぇ……オルデ。満足に栄養を与えてあげられないウチを許して」


 そう言うと自らの大きな腹を羽根の抜け落ちた翼でゆっくりと愛おしそうに撫でた。


「あれからもう5年。ウチがオルデを身ごもってから5年。イーグレイドはお腹の中じゃなくて卵で子を産むけど……ウチは愛してもらうために人に似た姿に変えてもらった……。だから人間のお母さんのようにオルデをお腹の中に感じる……」


 消えるような声。

 そしての声に返事をするものは誰もいない。


 イーグレイド。空を矢のように飛行する中型の鳥グロリアの事だ。だが彼女の姿はそのグロリアからは程遠い。


「勘違いしないでね。ウチはお腹で産むのは初めてだけど、卵も産んだ事無いんだから。お父さんが初めて……。ウチにとってオルデは初めての子供なの。だから早くオルデを生んであげたいと思ってる……。5年もお腹の中に閉じ込めてごめんね……」


 暗い洞窟の中を静けさが包む。

 そして再び愛おしそうに自らの腹を撫で始める。


 5年前。放浪の果てにここにたどり着いたころはまだ空を飛べていた。その時は狩りをしたり背の高い木々に生る果物を採る事が出来た。だがお腹の中の子供が成長するにつれて、自らの体が重くなり飛べなくなったのだ。


 それから状況は悪化していった。

 獲物も捕れず空腹の毎日。それでも子供オルデに栄養を与え無くてなならない。口に入れられるものはあらかた口にした。毒のあるキノコ、雑草、落ち葉、熟れすぎて腐り落ちた果物、そして……。


 それでも腹の中の子供オルデに与える栄養には足りなかった。

 子供オルデは母体の栄養を吸収し続け、母体はやせ細っていった。

 それは飛ぶことはおろか、歩く事も困難になることを意味していた。


 通常のイーグレイドであれば1か月と経たずに卵から雛がかえる。だが彼女の体の構成は人間に近く、子宮で子を育てている。イレギュラー故に出産までにどれくらいの時間が必要なのか見通せない上、栄養不足も相まって5年の月日が流れているのだ。


「お父さんはね、凄い人だったの……。人間なのにどんなグロリアにもひるまず向かって行くの……。もちろん強かったわ。ウチが悪い人間に捕まっていた時、お父さんが助けてくれたの……。だけど……その時のウチは人間への憎しみと、人間に助けられたことでプライドを傷つけられちゃったこともあってね、お父さんに襲いかかったの……。でも簡単にのされちゃってね……。ウチ、それまで誰にも負けた事無かったのよ」


 彼女は腹の中の子が僅かに動いた事を感じて、そこで一息ついた。

 5年もこの薄暗い洞穴で過ごすことが出来ているのは、子供が自分の話を聞いてくれていることに気づいたからだ。

 中でも父親の話をすると喜んでいるかのように反応してくれることで、愛する夫の事を共有できる喜びを得て、なんとかこれまでを生き抜いてきたのだ。


「お父さんはね、グロリア達を救おうとしていたの……。その力ですべてのグロリアを従えて、いずれは王になるはずだった。ウチもそう思って着いて行ったの。だけどあの時……。悪い人間とグロリアに襲われて、お父さんはなんとかウチを逃がしてくれた。オルデ、あなたがいれば夢はついえないって言って……」


 彼女の目から一筋の涙が零れ落ち、地面に吸い込まれていった。


「だからオルデ。あなたは強い子に育つのよ。すべてを従えるグロリアの王になるの。あなたならなれるわ。だってお父さんの子なんだから」


 何度この話をしたのだろうか。

 何度涙を流し悲しみに暮れた事だろうか。

 それでもあの人の子がお腹の中にいて、いずれあの人の後を継いでくれる。そう思えばこそ、彼女は自らの役目を果たそうとしているのだ。


 そんな彼女の話を聞いて、オルデはまた動く。


「ふふっ、今日は良く動くのねオルデ」


 いつもよりも元気な子の状態に笑みがこぼれる。


 だが――


「ど、どうしたのオルデ!?」


 いつもならそこで終わるはずの動きが、今日は激しく、そしていつまで経っても終わらない。


「お、落ち着きなさいオルデ! そんなに動いては体に毒よ!」


 今までに無かった内側から腹をつつくような感覚。初めてのその感覚に彼女は取り乱す。


「ま、まさか、あなた……だ、だめよ、まだだめ。分かるの……まだ生まれるには早いのよ。まって、もう少し待って!」


 だがオルデの動きはさらに激しさを増していく。今まさに彼女の腹を突き破らんとして。


「あなたは強い子になる! だけどまだ早いの! もう少し待って、ウチを信じて……。ああーっ!!」


 洞穴内に絹を引き裂くような悲鳴が響き渡った。


 彼女の大きく膨らんだ腹は裂け、そこから人間ともグロリアとも形容のつかないモノが這い出して……ズリズリと洞穴の出口を目指して這いずっていった。


「お……おるで……」


 子供の気配を感じる方向へと力なく手を伸ばす。

 痛みで意識は混濁し、光の差し込まない洞穴であることも相まって彼女の眼はオルデの姿を捉える事は出来なかった。




 ――ルーナシア王国 僻地の森林地帯


 人里離れた森の奥深く。到底人が住むような場所ではないそんな所に二人は隠れ住んでいた。

 男の名はカスケール。かつてルーナシア王立学校に通い風紀委員長エクスキューショナーズマスターをしていた。もう一人はシラセ―。同じく王立学校でアルダント美少女四天王と呼ばれた美女だ。


「カスケール、お昼ご飯が出来たわよ」


「ああ、ありがとうシラセ―」


 丸太で作られた粗末な家の外。そこには申し訳程度に耕された畑があり、彼カスケールはそんな畑で農作業をしていたところだ。


 対立する敵同士だった二人は許されない恋に落ち、着の身着のまま逃げ出して駆け落ちしたのだ。


 彼らが駆け落ちしたのは6年も前。着ていた一張羅の服はボロボロに破れ、今や煌びやかな貴族であった頃の見る影もない。幸い気候は温暖であるため全裸であっても過ごせるのが救いだった。


「ごめんなさいね。いつも同じメニューで」


 カスケールを迎え入れたシラセ―は申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「なに、それは言いっこなしさ。キミには辛い生活をさせて申し訳ないと思っている」


 丸太の上に置かれたファントムターキーの肉とビッグキューカンバーの実。

 どちらもグロリアが生み出してくれる食の恵みだ。

 そしてこの6年間ずっと食べ続けて来たものでもある。


 カスケールの契約するファントムターキー、シラセ―の契約するビッグキューカンバー。この二体がいたからこそこんな森の中で生活することが出来ているのだ。

 火を生み出してくれるファイアポット、飲み水を供給してくれるアクアリザードの存在も大きい。


「シラセ―、おいで……」


 食事を前にしてカスケールが愛する人の名を呼ぶ。

 恥じらった表情を浮かべたものの、シラセ―は何も言わずに彼の傍へと寄る。


「んっ……」


 二人は目を閉じて長い口づけを交わす。

 これからもこの愛と情熱で生き抜いていこうと、そう二人は思っていた。


 ――キリキリキリキリキリ


 愛の語らいを邪魔するかのように、外で光合成をおこなっていたビッグキューカンバーが大きな鳴き声を上げたのだ。


 ほとんど鳴く事のないビッグキューカンバーの声に、二人は何事かと思い、外へと視線を向ける。


 地面に埋まっていたビッグキューカンバーは鳴き声を上げながらブルブルブルブルと小刻みではあるが振幅の大きな、見るからに異常と分かる程に体を震わせていた。


 二人がその様子にあっけにとられていると、ビッグキューカンバーは地面に埋まっていた足の部分をズボッと抜いてズシンと地の上に立って……先ほどまでの鳴き声がさらに重く大きくなったかと思うと、ゴワゴワと体が膨らんでいく。


「な、なんなんだ……」


 そんな様子を唖然として眺めていた二人だったが、同じような鳴き声が小屋の中からも聞こえ始め、今度はそちらへ目を向ける。


 二人の目が捉えたのは、またもや異常な光景だった。

 ファントムターキーはあり得ない速さで分身体を生み出していき、ファイアポットは自らの穴と言う穴から火柱を噴き上げて、アクアリザードはのたうち回って小屋の壁に体をぶ付け続けている。


 何が起こっているのか理解できず、お互いの体をぎゅっと掴みながら立ち尽くす二人だったが、アクアリザードの体当たりによって小屋が崩壊し、土台部分から転げ落ちるように畑に放り出された。


 咄嗟の事ではあったが、最愛のシラセ―が怪我をしないように体を包み込むように動いたカスケール。

 シラセ―に傷が無い事を確認して安堵したのもつかの間。

 目の前のビッグキューカンバーの姿はいつの間にか、上位ランクであるストロングキューリへと進化していた。


「進化、した……? い、いや、これは!?」


 ストロングキューリはさらにゴワゴワと体をうごめかせて姿を変えようとしている。通常の進化では無い事は明白である。


 崩壊した小屋の残骸が燃え上がる。

 それと同時に水しぶきも吹き出して、炎と水がお互いを打ち消し合う音と何かがぶつかりあう音が聞こえてきた。


「カスケール、あれ、見て!」


 シラセ―が指さす先、そこには炎の塊と水の塊がぶつかりあう姿があった。

 ファイアポットはチャッカールに進化しており、アクアリザードはドラドーンへと進化し、狂ったようにお互いの体をぶつけ合っていた。


 ファントムターキーは大丈夫なのかと、辺りを回すカスケール。


「ひっ!」


 すると真後ろに巨大な鳥グロリア、いや鳥の頭、牛の体、豚の尻尾を持ったグロリアがぬうっと立っていたのだ。


「と、トライミート! まさかファントムターキーなのか!?」


 契約者マスターであるカスケールの事を忘れたのか、トライミートは二人を踏みつぶそうと、大きく足を振り上げる。


 そんなトライミートにワサワサと長い蔦のようなものが絡みついていく。

 その蔦の発生源はストロングキューリ……だったものだ。今やその面影はなく、体中から蔦をはやしてすべての物を取り込もうとしている。


 ――くっくどぅるどぅるどぅー


 一際大きな鳴き声を上げたトライミートが体を震わせるとその体が膨張し、ぶちりぶちりと蔦がちぎれていく。巨大な体がなおも巨大になり続けているのだ。


 何が起こっているのか分からない。

 ただ、ここにいては危険だということは理解できる。


「シラセ―、逃げるよ。立てるかい?」


 トライミートとストロングキューリが争い始めた事で抗争相手候補から外れた二人はその場から逃げようとするのだが――


「あ、足が、体が……」


 カスケールが手を伸ばすものの、シラセ―は立ち上がれずにいた。

 だが、彼女は足がすくんでいたり腰が抜けたりしたのではない。


「くっ……」


 立ち上がったもののカスケールもまた、めまいを起こしてふらつく。


 この体の異常感の原因についてカスケールもシラセ―と同じことを感じていた。

 自らの輝力が、この暴走するグロリア達に極限まで吸われているのだと。


 急激な体内の輝力の減少によって自らの体の動きも悪い中、それでも何とかシラセ―の体を背負ってその場を離れ、どうにか巻き込まれない所までやってきたと言う所で、力尽きて地面に倒れ込んだのだった。

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