169 とある吟遊詩人の放浪記

 吟遊詩人。それは音楽を奏で歌を歌い伝承や英雄譚を語り、各地を渡り歩く人々。


 ルーナシア王国の片田舎。

 一人の吟遊詩人が自らの歌を、声を広めようと歩を進めていた。


 彼の名はトクレスカ。

 ガルガド帝国出身の28歳。若くして吟遊詩人として活動を始め、帝国内はあらかた回りつくした彼が次に選んだのがルーナシア王国だった。

 切り立ったダグラード山脈にて隔たれた帝国とルーナシア王国。それ故に帝国内ではルーナシア王国のことはあまり知られておらず未知の国と言ってもよく、自らの見聞を広めるためこの地を訪れているのである。


 緑色の外套を身にまとい頭には羽根のついたとんがり帽子が揺れている。彼は相棒であるグラスランドスライムと共に次の目的地である小さな農村に向かって歩いている。


 自由気ままな一人旅。いや、相棒と一緒ののどかな旅。急ぐ予定も必要もない。この国の風景を、匂いを感じながら歩いている。

 夜になると夜風を感じ星空を眺め、余すところなくこの国を楽しみ、そして眠りにつく。


 そうして何日か後、とある農村にたどり着いた。


 取り立てて何かあると言う訳でもない小さな農村。一目した所、娯楽施設はなさそうであり、酒場どころか宿すらもなさそうなそんな農村。

 おそらく村人たちは娯楽に飢えており、トクレスカは自分のような吟遊詩人の出番であると確信していた。


 とにもかくにもまずは飲食、そして寝る場所の確保を行わなくてはならないと、村人に話を聞くため足を進めるトクレスカ。

 少し歩いたところで物珍しそうに彼の姿を見つめる少女に出会った。


「あー、すらいむだ。ねえねえおじさん、すらいむだよね」


 ぴょんぴょんと跳びはねるように近づいてきた少女は、彼の横でぷるぷると振るえているグラスランドスライムの前でしゃがみこみ、指でツンツンと突きだした。


「あたしすらいむ大好きなの。おじさんもすらいむ好きなんだよね?」


 確かにスライムの事は好きだ。一目見たときからこのフォルム、このシルエットに虜になったものだ。

 だがそれは他人から見れば変わっている、変人扱いされるものでもあった。

 この年頃の少女であれば気持ち悪いといって石を投げつけてきても不思議ではない。

 だからこそ少女の発言には驚いた。


「このまえね、びゅーんって走ってたんだけど、でっぱってる石でこけちゃったんだ。すごくすごーく痛くてえんえん泣いてたら、すらいむがね痛いのなおしてくれたの。あの時のお姉ちゃん、元気かなぁ」


 どうやら怪我をしたところをスライムに治療されたらしく、そのおかげでスライムの事が好きになったのだと言う。


 少女と別れた後も腰痛を治してもらっただとか、肘の曲げ伸ばしら楽になっただとか、スライムに世話になったという人が続出し、そのおかげでスライムを連れていたトクレスカは村長さんの家に泊めてもらえることになり……さらには帝国内では人気の無かったスライム物語を夜の宴で披露したところ、村人一同の大うけだった。


 帝国とは違ってルーナシアでは皆こうなのだろうか。変わった村もあるもんだとトクレスカはそう思った。




 次に彼が訪れたのはとある田舎町。

 この町には酒場も宿もありそうだなと街中を散策していたところ。


「おや、スライムじゃないか」


 と、老婆から声をかけられた。

 ちょうど良いと思い世間話を始めたトクレスカだったが、思わぬ話を聞くことができた。


 小さいながらも小綺麗なこの町だが、少し前までは酷く荒れており、街路樹はなぎ倒され家の壁は破損し割れたガラス窓には木の板が張られているような、そんな有様だったそうだ。


 その原因は素行の悪い若者たちの集団だった。素行の悪さは不満の裏返し。都会から距離もあり移動するには少々立地が悪いこの町。商人の出入りも必然的に少なくなり停滞したような閉塞感が若者たちをそうさせてしまって、町はすさんでしまっていたという。


「あの子はこの町の救世主なんじゃよ」


 どうやらそこにスライムを連れた少女がやってきたそうだ。

 その少女は不良少年少女たちを片っ端からなぎ倒し、彼ら彼女らを改心させたのだという。


「おう、ばあちゃん。庭の草むしりは終わったぜ。次はなんだ? ゴミ拾いか?」


 脇まで見える袖なし服を着たガタイのいい青年。目つきは鋭く、太い腕には黒色のマークがついており、その発言がなければ老婆の言う素行不良の少年だと思ってしまうのも致しかたない、そんな風貌だ。


「おっ、スライムじゃないか。あんたもあの方に出会って改心したくちかい?」


 彼はトクレスカの連れたグラスランドスライムに気づくと、人懐っこそうな笑顔を見せてそう言った。


「同士なら大歓迎だぜ。今日は一杯やろうじゃないか」「なに? 朝まで飲み明かすのかって? まさか、そんな事はしないぜ。そんな不健康な事をしたらあの方に嫌われてしまうからな」


 そう言いながら青年はトクレスカを引っ張って行き、何十人かが入れる集会所のような建物へと案内した。


 しばらくすると青年と似た風貌の男女が続々と建物内に入ってきて、相棒のグラスランドスライムを見て、やれあの方のスライムどうだった、だのあの方の笑顔は素晴らしかっただの、と語りだして。


 そんな彼らに以前の村で大人気だったスライム物語を聞かせると、そんな話よりもあの方の話を広めてくれと言われ、こんこんとあの方とその相棒のスライムの事を聞かされたのだった。


 青年たちにわやくちゃにされたものの、この国ではスライムが市民権を得ていることに嬉しくなったトクレスカであった。





 トクレスカの旅は続く。

 次の町まではまだ数日かかる距離だ。トクレスカは地図を見ながらそう思った。

 彼が手に持っている地図は隣国で購入したものだ。帝国ではルーナシアの地図が手に入らなかったからだ。


 このまま進むと毒の沼地があり、日も落ちた中を進むのは危険なためこの辺りで夜を明かすかな、とそう思い寝床の確保を始めた矢先……明かりを持ったグロリアの後に続いて歩く人の姿を見かけたのだ。


 一人だけであれば自分と同じような旅人だろうと思う事も出来たトクレスカだったが、そうではなく二人、三人。それだけでは終わらず点々と明かりを灯した人の列が、波が毒沼の方へと進んでいるのだ。


 一体何事なのかと思いその後をつけてみたトクレスカは、そこで驚くべき光景を目にすることになった。


 まるで昼間のように煌々と照らされたその場所。立ち並ぶ煌びやかな宿。行きかう人々の波は帝国の首都かと見間違える程。

 そこには地図には記されていない活気あふれる町があったのだ。


 宿から出てくる人は皆、マントのように羽織るような衣服を身に着けて、手には木製の桶とタオルを持っている。

 何事かと思い手近な人に話を聞いてみると、「お前さんも早く着替えなよ。温泉はあっちだよ」と回答して行ってしまった。

 温泉とはなんなのか、それを知るために町を歩いてみると、いたるところに少女の像とスライムの像が建っているのが目についた。一際人通りの多い大通りには観光地らしい土産物屋がずらりと並んでおり、スライムまんじゅうやスライムせんべい、そしてスライムと少女の柄がついた食器などが並んでいた。


 帝国では見かけなかった不思議な光景に首をひねっていると、年老いた男性が声をかけてきた。


「おや、スライムをお連れですな。あの日の事を思い出しますのう」


 そこから老人の昔語りが始まった。

 長い話を要約すると、かつてこの場所は人が寄り付けない広大な毒沼が存在していたという。毒沼の影響で村は滅びる寸前だったそんなある日、スライムを連れた少女が訪れて一晩のうちに毒沼を浄化したのだという。

 それだけではなく、毒沼跡地からは温泉が湧き出るようになり、その温泉は健康と美容に良いと評判になり、毒沼に苦しめられていた村は一転、大人気の観光地に変わったのだという。

 その功績を後世に伝えるため、そして感謝を忘れないためにと町のいたるところに少女とスライムの像を作って崇めているのだという。


 話を聞いて温泉とやらに入ってみたいと思うトクレスカだったが、旅の身であり金銭的に余裕もない。

 健康にも美容にも効果があるような水なのだ、さぞ高額なのだろうと諦めていたものの、老人の話によると温泉は屋外にあって誰でも入ることが出来るのだという。

 それだけではなく、救世主様への感謝を示そうと、最上級のおもてなしをしようとして、救世主の少女と同じくスライムを連れている契約者マスターは宿から引っ張りだこになるということだ。それも無料らしい。


 「それで、どうですかな? うちの宿に一泊していきませんかな?」と老人に誘われて。こんな素敵な事があるのかとトクレスカは夢見心地で温泉に浸かったのだった。




 時はルーナ歴266年。

 スーがオランドットと戦いを繰り広げてから2年の歳月が流れていた。

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