155 こんなザルみたいな その2

 その瞬間、ブワッと風が吹いたかのように周囲に充満していた赤い麻痺ガスがきれいさっぱりと無くなった。


 あ……あいつは。


 俺の視覚がメガサーペントの横にいる男の姿を捉えた。

 ターバンを巻いた髭面の男。


 先日隠れ家的な酒場でケロラインにセクハラを働こうとしたあのおっさんだった。


「なぜ……おまえが……ここに……」


「愚問だな自由騎士ウルガー。俺はあの時言ったはずだぞ。必ずケロラインを手に入れると。

 まあこんなザルみたいな罠にあっさりとかかるとは思わなかったが……自由騎士っていうのは名ばかりか?」


「ぐぬぬぬぬ!」


 ウルガーが気合で麻痺を解こうとしているが、膝立ちのままそれ以上立ち上がる事ができない。


「無様だな。本当に強ければこんな麻痺などものともしないし、そもそも麻痺ガスをくらったりはしない。お前は弱いんだよ、ウルガー。

 そんなお前にケロラインは相応ふさわしくない。

 何か反論があれば聞くが?

 まあ麻痺ガスが回って口を開くこともできないだろうがな。うわっはっはっは!」


 あのターバン髭おやじ好き勝手な事を!

 だけどその油断が命取りだ。俺の麻痺解除能力を甘く見たな!


 くらえ! 五月雨連撃!


 俺はその場からノーモーションで髭おやじに向かって体当たりを繰り出す。


「なんだと!?」


 驚いたその顔面に一発入れてKOを狙ったが、残念ながら技の威力もスピードも足りず、ひらりと回避されてしまった。


 だがこのまま連撃を続ける!


 後方にはメガサーペント。だが密着して攻撃を続ければメガサーペントも攻撃はしてこれまい。このおやじを巻き込む危険があるからだ。


「こ、このっ、オスのスライム風情がっ!」


 密着重視の攻撃で威力もスピードもほとんどない。

 だが、軽いジャブでも積もればノックアウト出来る。

 クリーンヒットとまでは行かないものの、俺の攻撃は少しずつ男に当たっている。


「そこまでよ!」


 なんだ!?


 俺はその場に響いた女性の声に視界を向ける。


「攻撃を止めなさい。さもないと……」


 そこには先ほど助けた女性がケロラインを抱き上げ、喉元に刃物を突き付けている姿があった。


 しまった……これが罠だというならあの女も仲間だって、なんで気づかなかったんだ! 一緒に麻痺ガスを受けていたから敵じゃないってミスリードされた!

 おそらく麻痺しないように事前に体内に抗体を取り込んでいたのだろう。


 してやられたっ!


「よし、よくやったぞスピカ。さあスライム離れてもらおうか」


 ぐぬぬ、仕方ない。


 俺が髭おやじから距離を取ったところで、バチリとメガサーペントの尻尾が俺をはたいた。


「おいおい、俺に敵意を向けたからってあまりいじめてやるなよミーシャ。だけどお前のそう言う所、俺は好きだぜ」


 ぐぎぎ、おのれメガサーペント! ケロラインさえ人質にとられていなければ。


 強気な事を考えていても、今の一撃で俺の体は動けないほどのダメージを負っている。再起動には10分は必要だ。


 そんな俺を尻目にスピカと呼ばれた女性が意気揚々と髭おやじに近づき「こちらを」とケロラインを手渡しする。


「ふはははは、手に入れたぞ! 触れてみて改めて分かる! すばらしい肉体だ。この腕、この体、この足!」


 完全に麻痺しているケロラインは抵抗もできず、男の手がぬめった皮膚の上を何度も往復する事になされるがままだ。


「や、め……ろ…」


 ウルガー! そうだ、お前がやらないと、だれがケロラインを助けるっていうんだ!


「驚いた。まだしゃべれたのか。さすがは自由騎士というところか。なら急いで退散するか……。いや、まてよ、そうだな……しゃべれるのならお前の口から別れを告げてもらうとしよう」


 別れってどういうことだ。そんなことウルガーが言うはずもないだろ。


「さあケロライン、キミは生まれ変わるのだ。より俺にふさわしい姿にな」


 ケロラインの体に触れているおやじの手がまばゆく光ったかと思うと、ケロラインの体全体がそれに呼応してぽわっと光り出した。


 あれは、輝力の光か?


 クラテルに出入りするときの光の粒子に似ているが……いや、それよりもあれだ、進化の光だ。あれのほうがしっくりくる!


 ケロラインの体が球状の光に包まれ見えなくなり、そして球状の光の直径が二回りほど増して……。


 やがてその進化の光が収まってきたとき、その中に現れたシルエットに俺は驚きを隠せなかった。


 現れたのはカエルではなかったのだ。

 そこにはすらりとしているが鍛え上げられた長い足と長い腕。六つに割れた腹筋とその上には女性特有の二つの胸。さらに首があって、そして……人間の、それも美少女といっても過言ではない顔があった。


 これだけ伝えるとまさに人間になったかのようだが、人間かと言うとそうではない。


 その肌は緑や黄緑、薄黄色であり、その肌を粘液だろうか、ところどころ光に反射して光っているものが覆っている。

 手足には指の間に水かきがあって……。尻にはおたまじゃくしからカエルになる際にうしなわれたはずの尻尾が短いながらも伸びていたのだ。


「おぉぉぉ、ケロライン、見事だ、美しい……。やはり俺の見込んだ通りの女だ!」


 目を閉じて人形のように直立したままのケロライン。


 擬人化……。

 ケロラインを女の子に変化させたっていうのか?

 あいつ何者なんだ?


 グロリアを進化させるというのなら、自らの輝力を与えることがトリガーになって進化する場合もあることはある。

 だがこれは全くの別物。体の構成組織がまったく変わってしまっている。


「け……ケロラインっ!」


「見たかウルガー。ケロラインは俺に相応ふさわしい美しさになった」


「ふざけるなっ! 元に戻せ!」


「お断りだ。ケロラインはもうお前のグロリアではない。クラテルを見て見ろ」


 ウルガーがもぞもぞとクラテルを取り出す。


「くっ……」


「そうだ。お前とケロラインの契約は解除された。最後に別れを述べさせてやろう」


「ふざけるな! ケロラインを返せ! 元にもどせ!」


「ふん、違うセリフは言えんのか。まあいい。いつまでもその声は耳障りだ。帰るぞミーシャ、スピカ」


 髭おやじはそう言うとメガサーペントと襲われ役の女性に手を触れる。


 するとみるみるうちにメガサーペントは人間大の大きさに縮まり……さらに上半身が人間の女性へと変化する。

 かたや襲われ役の女性はその体に羽毛のようなものが現れて、その腕はまるで鳥の翼のように変化した。


 あの二人、グロリアなのか?


 メガサーペントの女はミーシャと呼ばれていた。

 黒い鱗を持つ蛇の尻尾。腹からしたの下半身は先ほどのメガサーペントと同じと言ってよい。上半身は人間と変わらない肌の色で、胸部を保護するためか金属製の胸当てを身に着けている。

 蛇であるからか鋭い目つきをしており、その視線は体に突き刺さりそうだ。その方面の趣味の男なら一瞬で虜にされるだろう。波打ったソバージュの髪を含めて美人であることに疑いはない。


 もう一人、スピカと呼ばれた女。

 先ほどまでケロラインを抱きかかえていた腕は大きな翼となっており、手指は無くなっている。足も細くなっており、鳥のようなその足の指先には鋭いかぎ爪が付いている。身に着けているポンチョで見る事ができないが、体もあばらが浮くくらいに細くなっているに違いない。先ほどとまで同じくウェーブのかかったショートボブには違いないが、顔は人間のようにツルツル素肌ではなく、短めの羽毛が覆っている。目は大きめで童顔と言ってよく、こちらもまあまあ美人だろう。


 神カンペには人に似た形容のグロリアは記載されているものの、ここまで人間に近い姿のグロリアは見たことがない。

 この二人もケロラインと同じようにあの男に変化させられたのだろうか。

 あの男、人間なのか?


 いやあの男が何者であろうともケロラインを奪い返さなくてはならないのだが……俺はまだ数分動くことは出来ない。

 麻痺ガスを吸い込んだレナは元よりウルガーですら動けそうにない。


 そんな俺達の前で、未だ目を覚まさないケロラインを腕に抱きかかえるターバンの男。


「ふはははは、さらばだウルガー」


 そう言うと鳥女スピカがぶわりと浮かび上がり、その鋭い爪の生えた足で男と蛇女ミーシャを掴むと、空へと飛びあがった。


「ま、待て! 待ってくれ!」


 そして、ウルガーの叫びも虚しく一行は空へと消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る