087 レナの将来

 サインを求める者、握手を求める者。そして、べとべとぬめぬめのカエルボディをありがたそうに撫でる者。ケロラインは前足で器用にペンを動かしなにやら書き込んだり、スタンプのように前足の判を押したりしてそれに応えている。


 おや? ケロラインを撫でてべとべとになった手を自分の顔や体になすり付ける奇行に走っている人がいると思ったら……確かケロラインの粘液には不老長寿の効果があるっていう噂が広まっていたな。もちろんグリーンフロッグの粘液にそんな効能は無いのだが。

 おーおー、自分のグロリアを出して塗りたくってる人もいるぞ。

 まああの強さを見るとあやかりたい気持ちも分かる。


 もちろん大人気なのはカエルだけではない。

 ウルガーも何重にもなる人のミルフィーユに囲まれていて……目をキラキラさせながら自分も自由騎士になるという子供たちの勢いにおされてタジタジのようだ。


 そんな様子を俺はリリアンの治療をしながら眺めていた。

 レナは俺の横で静かに座っている。


 すごい人気だな。子供たちは強いグロリアに憧れるからな。

 なあレナ。


 ……レナ?


 俺の呼びかけに答えずぼーっとウルガーの方を眺めているレナ。


 お、もしかしてこれは恋する乙女の表情か?

 いや、憧れの眼差しかな。


 恋も憧れも分からんこともない。あんなピンチの場面で助けに来てくれたんだ。おとぎ話に登場する白馬に乗った王子様と完全に一致だ。


 レナにはちょーっと年上のような気がするけど、これで男の子に興味を持ってくれると嬉しい。


「あれ?」

「ウルガー?」

「消えた……」


 おや、なんか様子が。ざわついているが。


「俺は賑やかなのは嫌いでね」


 おわぁ! びっくりした。急にウルガーが背後に現れたのだ。


「こんな所に居やがったのかこいつは。まったく怪我まで負って、世話の焼けるやつだ」


 ウルガーは倒れているリリアンを見下ろす。

 そしてちらりと俺の方を見るとしゃがみ込んだ。

 

 ウルガーとリリアンは知り合いなのか?


「こら、いつまで寝てるんだ。人様に、いやスライム様に迷惑をかけてるんじゃねーぞ」


 そういうと懐から何かを取り出し、寝ているリリアンの口の中に突っ込んだ。


 虹色に輝く鳥の羽のようなものだ。これもしかして……フェニックスの尾羽おばねじゃない!?


 『フェニックスの尾羽おばね:Sランクグロリアであるフェニックスのしっぽの羽。不死であるフェニックスの特性をいくらばかりか宿しており、体内に取り込むことにより再生・治癒効果を発揮する。あまりに高い効果のため常用するのは危険。追記:頭痛がひどいからと言って朝昼晩と摂取するのは止めましょう』


「ほれ、早く飲み込め。ほれほれ」


 ウルガーは水筒を取り出すとリリアンの口の中に水を流し込み、彼女の頭頂と顎を持って人力で咀嚼そしゃくさせる。


 あー、この人こういう人なんだ。おおらかというかおおざっぱというか……。


 そんなこんなで尾羽おばねを飲み込んだリリアン。

 体内の輝力量が格段に増えたと思ったら、瞬く間に傷が再生していった。


 そもそも傷は浅かったし俺も治療してたし、尾羽おばねを遣わなくても一般に流通しているヒーリングヒポポタマス軟膏でもなんとかなったからね。

 いや待てよ……乙女の肌に衆人環視の中で軟膏を塗りこむのは良くない、そこまで考えてのフェニックスの尾羽おばねなのかな。考えすぎか?


「あ……、ウルガーさん!」


 リリアンが目を覚ましたぞと思った瞬間に、ガバっと起き上がったリリアンはウルガーへと抱き着いた。


「やめろ気持ち悪い」


 ウルガーはリリアンを引きはがすと冷たくあしらった。


「気持ち悪いってなんですか、もう」


「言葉通りの意味だ。それとも何か? 言ってもいいのか?」


「それはダメですけど……。それより遅いですよ。今まで何してたんですか」


「悪い悪い。ちょっと道に迷ってな。ようやく到着したと思ったら大臣たちが逃げてるじゃないか。とりあえず全員ふんじばっておいたから、万事おっけーだろ?」


「…………」


 逃走した大臣が捕まったのか。

 街の被害も最小限で済んだし、確かにウルガ―の言う通り終わりよければ全てよしなのかな。


 そんな事をいうウルガ―に、無言でプルプルと震えているリリアンだったが。


「時間をきっちり決めて約束しても一度も時間通りに来た事がなくて、ルーズだから気を利かせてご飯を持って行っても、もう食べたからって言われるし、すぐ厄介ごとに首を突っ込んで散らかすだけ散らかすし。本当に、ぐうたらで適当で方向音痴で集団行動に向かない性格で――」


「おいおい、本当の事だけど本人の前で言う事じゃないだろ」


「ええ。だけど誰もが憧れる無敵の自由騎士。あなたはそれでいいんですよ」


 後ろの方で住民の歓声が沸き上がる。

 燃え上っていた建物の火を消すために兵士隊が到着し、グロリアによる放水を始めていた。


 そんな中、放置されていたザンメアが息を吹き返して、吹き返したと思ったらいきなり口から血を吹き出して。ウルガーに罪を問い詰められるザンメアが昔語りを始めて。大臣の薬のせいで死にそうなのに、まだ大臣の肩を持つって言いだして。

 レナは死んじゃだめだと説得するし。俺は俺でザンメアが吹いた血を浴びて毒の成分を分析できたけど、ウルガーの前でレッドスライムから逸脱した行為をするわけにもいかないから、レナの説得にウルガーが気を取られている隙にザンメアの鼻の穴に解毒薬を打ち込んで。

 その影響で気絶したザンメアが医療班に運ばれて行って。


 そんなてんやわんやの中、レナも重要参考人として兵士達から事情聴取されて。

 襲って来たのは四天王だったのかとか。他国から金で買われたグロリアだったのかとか。そんな事を確認したかったようで。


 ひととおり事情を聴かれた後、知らせを聞いたマーカスパパがすっ飛んできて。涙と鼻水にまみれた顔でレナにほおずりして無事を確かめていて。そうして慌ただしくその日が終わった。


 それから数日がたった。


 ルクセにはガサ入れが入ったようで、レナを誘拐した犯人についての情報が送られてきた。


 グロリア窃盗事件の実行犯はザンメア、四天王、ごろつきで、それぞれがバラバラに行っていたらしい。

 調査の結果、俺達を襲ったのはごろつきで、ルクセがターゲットとしていた高ランクグロリアを所持していたわけではなかったのに狙われた理由は、大臣の息子ガジャールのせいだったとのことだ。

 他国から買ったAランクグロリアストロングギガントを倒したという俺の存在。それが息子から大臣には伝わってはいたけど強奪は実行されなかった。

 息子はしびれを切らし、とにかく嫌がらせがしたかったのでごろつきに襲わせたということだ。


 そんな重要な話も上の空。

 レナはあれからずっとぼーっとして、ともすればため息をついて。心ここにあらずという感じが続いている。


 上の空のレナに文通相手のエミルちゃんからの手紙がきている。


 『あの自由騎士ウルガーにお会いしたんですの? うらやましいですわ。あのお方も未婚。私の結婚したい殿方リストの上位に入ってますの』


 うーん、エミルちゃんはおじせんだからな。

 な、レナ。……レナ?


 手紙に一通り目を通して、何をつぶやくともなしにレナは手紙を閉じた。


 歯を磨いて寝る用意をして、いつもどおりベッドに入る。

 俺も温かいレナの体温を感じながら眠りにつく。


 お休み、レナ。


 ◆◆◆


「ねえスー。レナの話聞いてくれる?」


 ベッドに入ってからいくらかの時間がたって。

 眠ったと思ったレナが俺にささやきかけてきた。


 どうしたんだレナ。


「うん。あのね。そのね。自由騎士の人、凄く強かった。それにFランクカエルさんも……」


 ああ。強かったな。


「レナ……騎士になろうと思うの」


 騎士か。それはまたどうして?


「あの時、カエルさん皆に大人気だった。女の子にも……。

 これはすごく不満な事なんだけどね、前読んだ雑誌にね、残念グロリアランキングっていうのがあってね。スライムと競うように上位にいるのがカエルなの。毎年毎年上位なんだって。みんなにあまり好かれてないの。

 なのに、凄く人気だった。それでレナ思ったの。レナも凄く強い騎士になって、スライムは可愛くて素敵なんだって皆にわかってもらうんだって」


 なるほどな。


「でもねもう一つ。強い騎士になりたいのはもう一つ理由があるの」


 それは?


「レナ気づいたの。レナはいつもスーに守ってもらってばかりだったんだなって。守ってもらってばかりの弱い子だったんだなって。だからザンメアさんも、転んだおじいさんも、それにスーも助けられなくて……。

 だからレナが強くなりたいの。皆を、スーを守ってあげられるくらい強くなりたいの」


 なるほど。


「でもね。レナ心配なの。心の中では絶対強い騎士になるって思ってるんだけど、レナは騎士になれないんじゃないかって。グロリア研究家の時みたいに、うまくいかないんじゃないかって、そんな考えがずっとぐるぐるしてるの。ご飯を食べてもベッドにはいっても。なりたいっていう思いとなれるかなっていう不安がずっと」


 そうだったのか。それでここ数日ずっと上の空でため息をついてたんだな。


「レナ、スーと離れ離れになって凄く寂しくて不安だったの。ぽっかりと開いた穴から涙がこぼれだすような感じで、ずっと泣きたかったの。泣いて泣いて、泣いたらスーも帰ってきてくれるかなって、そんなヨワヨワだったの。でも、スーが戻ってきてくれて、スーが隣にいてくれて。開いた穴にスーが埋まってくれて。レナ、それからもう怖くなくなったの」


 そっか。


「ねえスー。レナに勇気をちょうだい。絶対に騎士になれるっていう勇気を。レナ、スーがいれば、スーと一緒ならなんでもできると思うの。だからお願い。ずっとレナと一緒にいて。レナに勇気をちょうだい」


 ああ。レナが望むなら俺はずっと一緒にいるよ。

 二度と離れたりしない。

 そのために俺もレナと一緒に強くなるよ。

 何があっても二度と離れ離れにならないような強いスライムに。

 お互い強くなろう!


「ありがとうスー。大好きよ」


 おれも大好きだよレナ。

 

「明日、お父様とお母様にしっかりと伝えるわ」


 ああ、ちゃんと俺がそばについているからな。


「うん。ありがとうスー。それじゃあおやすみなさい」


 おやすみ、レナ。


 

 かくして、ルーナシア王国史上に残る国家転覆未遂事件は幕を下ろし、少女は自らの将来を強く明確に定めたのであった。

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