072 1億歩くらい譲って その1

「お前がレナ・ブライスか?」


 目の前には一人の少年と二人の少女。

 俺達が学校内を歩いていると突然その少年に声をかけられたのだ。


「そうですけど……あなたのお名前は?」


 女子校舎に本来いるはずのない男子学生がいる。それだけでかなり不審に思ってしまうが、さらに上から目線の言葉や態度がこの男子学生が普通ではないと警戒するのに十分だった。


 寝ぐせのままのような茶色の癖っ毛。しばらく散髪をしていないのか伸びた前髪は彼の黒い瞳の半分ほどを隠している。

 この年代の男子の平均的な身長よりはやや低いくらいで、太めの体形をしている。

 制服は着ているもののいくつか校則違反のアクセサリを身に着けている。それら見ただけで安物ではないことが分かる。


「ふん、レイキのやつが熱を上げる女がどれほどのものかと気になってみれば……。背は低いがなかなかいい女じゃないか。気に入ったぞ。レナ、お前も俺の女になれ」


 たった二言目でまともな人間じゃないのが分かってしまった。


「お待ちくださいガジャール様、こんなチンチクリンなんかよりも私の方がいい女ですわ」


「そうです、あんな小娘をかわいがるくらいなら私たちを可愛がってくださいな」


 取り巻きの女子学生達がレナをあざける。

 

 このヤバイ男の子はガジャールっていう名前か。

 名前くらい自分で名乗る礼儀は持ち合わせて欲しい。自発的とはいかないまでも、聞かれてるなら答えようよ。


 それに女の子達も言いたい放題だな。チンチクリンに小娘か。

 さすがまともじゃないガジャール君の取り巻きだ。レナを馬鹿にするこの二人も悪人判定だ。


「なんだお前達、今日はいやに積極的だな。ふはは、お前たちがいい女なのは知っている。だがな、毎日豪華なフルコースを食べていたら飽きもしよう。たまには違うものが食べたいというもの」


 ガジャール君の声が遠く離れていく。

 つまりはレナが俺を抱えたままその場を離れているということだ。


 いい判断だ。関わると絶対にろくなことにならない。

 なんていうか貴族社会の闇の匂いがプンプンする。

 レイキ君もそうだったけど、この学校こんな男の子しかいないのかよ。要注意人物との遭遇率高すぎだろ。


「おい、ちょっと待て!」


「ああん、ガジャール様、あんな子は放っておいてあちらで遊びましょうよ」


「こら離せ、レナが行ってしまう。ええい!」


「きゃっ!」


 後ろを気にするべくもないが、群がる取り巻きを振り払ったのだろう。

 手を上げたのではないと信じたい。

 取り巻きの子も悪女とは言え女の子。男子たるもの女の子に手を上げるなど言語道断だ。


「おい待て!」


 俺は意識を後ろに向けるとドスドスと後ろから走り迫ってくるガジャール君の姿を捉える。


 これは面倒くさいことになりそうだ……。


 手をこちらに伸ばすその姿からするとレナを捕まえようとしているのだろう。レナはか弱い女の子。男の子に捕まったら流石に逃げるのは難しい。


 レナはレナで走って逃げるわけでもなく、あくまでも校舎内で求められる素敵なレディの振る舞いを守って速足で離れている。つまりもう追いつかれる寸前なのだ。


 伸ばされたガジャール君の手がレナの肩に触れようとした時――


 ――ぱんっ


 俺は伸ばした体でその手を払った。

 不埒ふらちな手でレナに触るんじゃない。


「この俺を無視するとはいい度胸じゃないか。気に入ったぞ。お前を妻にしてやろう。めかけじゃないぞ正妻だ。どうだ嬉しいだろう」


「お断りします。レナはスーと結婚するんだから。それにあなたの事全く知りませんし。名前ぐらいおっしゃったらどうですか?」


 レナは俺が手を払ったアクションには気づいていて、それでもあえて彼を無視していたのだが……結婚の話を持ち出された事についつい反応してしまったのだろう。


「婚約者がいるのか? 俺の親父に言ってその仲引き裂いてもらうか、くくくくく」


「スーはこの子よ。べーだ!」


 レナ、相手が誰であろうともおしとやかに。

 今までせっかくいい感じで来てたのに。


「なんだと? 冗談とはいえ俺よりもその下等なスライムを選ぶというのか?

 馬鹿にしやがって!

 俺よりも、そのスライムの方がいいって言うのかぁっ!!」


 うわっ、キレてしまった。

 最近の男の子は本当にこらえ性が無いな。レイキ君もそうだったけど。お金持ち特有の事情か?


 とりあえず逃げるぞレナ。

 職員室まで行って先生に助けてもらおう。


 ちらちらと後ろを振り返りながらも全力疾走するレナ。

 やばい表情で追いかけてくるガジャール君。

 

 ここで大きな問題が一つ。実は職員室は逆方向だ!


 何とか校舎を出たものの、職員室に向かうためには別の入口から再び校舎に入らなくてはならない。


 レナそこを右だ。確かそこに扉が。


「スー、閉まってるよ!」


 し、しまったー。


「追いついたぞ。俺のグロリアで痛めつけて屋敷まで連れ帰ってやる!」


 ピクリ。

 俺のこめかみが動いた感じがした。俺にこめかみは無いのだが。


 いいかガジャール君。いや、ガジャール。

 1億歩くらい譲って、レナに紳士的に話しかけるのは許してやろう。5兆歩くらい譲って清潔に洗った綺麗な手でレナに触れるのは許してやろう。もちろんレナが同意したのならば、だが。


 だけどな、無理矢理、力づくでレナをどうこうしようっていうのなら、俺は容赦しない。

 例え君がまだ子供だろうと、どこかの権力者の息子だろうと容赦はしない。


 これが最後の警告だ。

 ここで引き返して穏便に終わらせるというのなら見逃してやる。

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