067 秋田犬に秋田犬という名前を付けるのと同じ

 先ほど湖に潜って二人してキャッキャしていた時とは打って変わって、辛そうな悲しそうな、そんな表情を浮かべるサイリちゃん。

 そんなサイリちゃんに、レナも素直に喜びをぶつけたりはしない。何か事情があるのだろうと静かに続きを待っている。


 サイリちゃんが握りしめているのは円柱型のクラテル。

 リゼルが使っていたイングヴァイトのクラテルと同じだ。


「出てきて……ギラルドン」


 クラテルを湖に向かってかざすと、中から大型のグロリアが現れた。

 首長竜のような大きなグロリアが湖を泳ぎ始める。前足後足が退化して出来た大きなヒレで水をかいてスイスイと進むこのグロリアは、Eランクのギラルドン。サイリちゃんが呼んだ名前と同じだ。


 個体名に種族名をつける人もいないことはないけど、珍しいっちゃあ珍しい。

 秋田犬に秋田犬という名前を付けるのと同じことだからな。


 まあ名前の事は置いておいて、サイリちゃん、思ったよりもごつくてでかいグロリアと契約してたのね。この子のオドオド感からすると想像もつかなかった。もっと小さめの、そうだな……水系だと、水をはじくもこもこの毛でスイスイ泳ぐフロートシープとか、3本のモフモフの尻尾をスクリュー替わりにして水に潜るカワウソのようなトライテールオッタ―とか、そんな小さくてかわいいおとなしめのグロリアだと思ってたよ。これはおじさんの偏見かな。ごめんね。


 そうか、でもギラルドンね。それなら湖の底まで潜れるかもしれない。ギラルドンは深海にすむ魚グロリアを好物としていて、水中深く長く潜ることが出来るのだ。

 肺呼吸のギラルドンがどうやって長時間潜ってるの、と言う所だが、空気を貯めた自分よりも大きなシャボン玉のような泡を作ることが出来るので、それを自分の体にまとわせて長時間の潜水を可能としているのだ。


「あの、その、ぎ、ギラルドン……さん。私達を乗せて、欲しいの」


 消えてしまいそうなサイリちゃんの声。

 えらく控えめなおねだり。自身のグロリアなんだからこうもっとぱーっとだね。


 契約者マスターの声が聞こえていないのか、ギラルドンはスイスイその辺りを泳ぎ続ける。


「あの、ギラルドン、その、あの……」


 そんなギラルドンの様子を見てサイリちゃんから続きの言葉が出なくなった。


 いったいどういう事だ?

 グロリアが契約者マスターの言う事を聞かないなんて。


 まあ実際の所、契約したての頃なんかはそんな感じの事もあるんだけど……。


「やっぱり、だめです……。ごめんなさい……」


「こらー、ギラルドン! サイリちゃんの言う事をききなさーい!」


 そんな様子を見かねたレナが大きな声で叫ぶ。

 レナ、お嬢様お嬢様。おしとやかにね。


 その声に反応したギラルドンは、前ヒレを大きく動かして、俺達に水の塊を飛ばしてきた。


「きゃっ」


 ぐわぁぁぁぁ! 塩水塩水!


「服がびしょぬれに。レナちゃんごめんなさい、ごめんなさい」


 塩水をぶっかけられて体がビクビクしている俺はレナに抱きかかえられて、そんな中、平謝りしながらギラルドンをクラテルの中にしまっているサイリちゃんの姿をちらりと目撃した。


 チリチリ、ピリピリと体に衝撃が来てぐにゃりとしている俺。

 そんな俺の代わりにレナとサイリちゃんは必死にオールを動かして岸辺に戻るのだった。


 ◆◆◆


 塩分と結合する物質を作り出して体の内側から外側へと送って、ちょっとずつだが体内に入った塩水を無効化する。

 そうやって岸辺に戻るころには何とか体内に侵入してきた塩を排出することが出来た。


 いやぁ死ぬかと思った。塩水怖い。


 さてさて二人共びしょぬれだな。ゴムボートの中にあった服も塩水まみれで、これでは着替えて帰ることも出来ない。


 俺は板の様に体を薄く広く平らに伸ばすと地面に横たわった。

 その上に濡れてしまった服をおいて、日の光を当てて乾かす。

 もちろんそれだけではない。

 俺は自分の体温を上げていく。熱と太陽光ですぐに乾かそうというわけだ。もちろんアイロンの様に熱くなりすぎて焦がさないように細心の注意を払っている。

 塩まみれのまま乾かすと服が傷んでしまうので、応急処置として先ほど体内で作った塩と結合する物質の液体をかけておく。

 塩と液体まみれできちゃないって? そう言ってくださるな。


 くちゅん、とレナがくしゃみをしたので、俺の上に乗るように促す。乾かす効率は落ちるけど俺の体の温度をアツアツ温度からあったか温度まで落として床暖房代わりに使ってもらうのだ。


 無言で座っていたサイリちゃんの手を引いてレナが俺の上に乗って、そして寝っ転がる。

 サイリちゃんも寝っ転がっていいんだよ?


 だけどサイリちゃんは寝っ転がろうとはせず、膝を抱えて無言で座っている。


 そんな気分じゃないんだろうな……。

 とりあえずお尻だけでもあったかければいいけど……。


 どう声をかけたものか、と思案していると、レナが身を起こしてサイリちゃんに声をかけた。


「ねえサイリちゃん、ギラルドンの事教えてくれる?」


 あくまでも優しく、そして傷つけないようにと、そんな声で。

 

 それから一呼吸、二呼吸、三呼吸ほど置いて、サイリちゃんは口を開いた。


「私も、もしかしたらやれるのかも……そう思ったの……」


 ひねり出してくれた言葉はその一言だけだった。


 そのため俺とレナの頭の中は疑問符で一杯だ。

 だけど俺達はじっと静かに待つ。サイリちゃんの次の言葉を。


「私、小さいころ、やんちゃで……今の私からは想像つかないかもしれないけど……。その……仲のいいお友達と遊んでる時に、その子にグロリアで大怪我をさせてしまって……。私がしっかり止めなかったから……。私のグロリアは契約を解除させられて……怪我をさせてしまった友達、私の事を嫌いになったんじゃないかって、そう思うと怖くて謝りに行けなくて、友達はその後すぐに引っ越してしまって。その事がトラウマになって、それ以来グロリアの事が怖くて……何かやるたびに失敗してしまうんじゃないかって思うと、何もできなくなって……。


 ギラルドンはお父様が連れてきたの……。グロリアが怖くて召喚できなくて……。そんな私に半ばむりやりにギラルドンの契約者マスターにさせられて……。グロリアと契約したらまた誰かを傷つけてしまうかもしれないのに……。だから怖くて……それでも頑張ってみようと思ったけど、怖くて、ギラルドンは大きくて、こんな私の言う事なんか聞いてくれなくて……。


 ごめんなさいレナちゃん。レナちゃんとスーを見てたら、私でもうまくやれるのかなって……勘違いして、ギラルドンはやっぱり私の言う事を聞いてくれなくて、レナちゃんを傷つけてしまったらどうしようって怖くなって……」


 雪崩のように胸の内に秘めていた思いを口にしたサイリちゃんだが、そこで言葉は止まってしまった。


 思った以上に複雑な事情があった。必要以上にオドオドしたりもじもじしたり、レナへの応対にも脅えが見える場面があるのも、俺の事を恐れているのも、それが原因か。


 うつむいて涙し始めたサイリちゃん。

 そんなサイリちゃんにレナは。


「サイリちゃんは優しいんだね」


 その小さな体でサイリちゃんをぎゅっと抱きしめて、そして彼女のこれまでを癒すかのように、抱きしめたままゆっくりと頭をなで始めた。


「サイリちゃんは優しいよ。ずっとお友達が傷つかないようにって、そうならないようにって思って来たんだよね。大変だったよね、凄くしんどかったよね」


 うっうっとすすり泣く声が聞こえる。


「でもね、辛かったのはサイリちゃんだけじゃないんだよ」


「ひっく……、どういう、こと……」


「ギラルドンはずっとそんなサイリちゃんと一緒にいたのよ? 本当なら優しくしてもらえるはずの契約者マスターに、ずっとずっと怯えた様な目で見られて拒絶されて……。そんなサイリちゃんの心は全部ギラルドンに伝わってるの。だからギラルドンだって怯えて、怖くなって、サイリちゃんとどう接したらいいのか分からないんだよ」


「ギラル……ドン……」


「お友達の、レナ達の事を想ってくれるのは嬉しいよ。でも、もっと身近な、ずっと一緒にいるギラルドンの事も想ってあげてくれると嬉しいな」


「ギラルドンの事……全然考えてあげてなかった……。私、自分の事しか考えて無かった……」


「大丈夫。今それに気づいたから大丈夫。サイリちゃんなら大丈夫だよ」


「うん……」


 サイリちゃんを抱きしめていたレナは最後に背中をなでなですると、ゆっくりと離れた。


 サイリちゃんがギュッと円柱形のクラテルを握りしめる。

 その目は先ほどまでと違って、少しだけ強い物になっていた。


「出てきて、ギラルドン!」


 先ほど見た灰色の巨体が陸の上・・・に呼び出される。

 ギラルドンは4つのヒレを動かすことで陸上でも移動できる。動きは鈍くなるとは言え、一応水陸両用なのだ。肺呼吸だしね。


 呼び出されたギラルドンは、サイリちゃんの姿を見るや否や、暴れるかのように地面にヒレを叩きつけて移動し、一目散に湖に駆け込んでしまった。


「ギラルドン……ごめんね。ずっと辛い思いをさせてたんだね」


 体の前で両こぶしを握り、まるで神に祈るように、そんな様子で湖にいるギラルドンの方へと歩をすすめる。


 ――ばしゃっ


 そんなサイリちゃんを拒絶するかのように、ギラルドンが水を飛ばしてきた。せっかく乾きかけた水着が再び塩水にまみれてしまう。


「ぎ、ギラルドン……」


 ――ばしゃっ


 続けざまにもう一回。

 心にこたえたのだろう。サイリちゃんはその場にしゃがみこんでしまう。


「サイリちゃん! サイリちゃんが怯えちゃうと、あの子はもっと怯えちゃう! 二人は長い間ずっとそうだったのよ。そんなに簡単に行くと思ったらだめ。でも諦めちゃだめ! きっとギラルドンも分かってくれる!」


「レナちゃん……」


 レナの応援でサイリちゃんに火が着いたようだ。

 立ち上がると再びギラルドンの方に進んでいく。


 ばっちゃん、ばっちゃん、ばっちゃん。

 それを拒むようにギラルドンは水をかけ続ける。

 それに怯むことなくサイリちゃんは足を進める。


 頑張れサイリちゃん!


 あと少し。あと少しでギラルドンにたどり着く。


 ――ばっしゃぁぁぁ


 一際大きな水の塊がサイリちゃんにぶつかって、サイリちゃんは水圧に押されて尻もちをついてしまう。


「あっ……」


 何かをつぶやいたと思ったら、きびすを返してタタタと俺たちの方に戻ってきた。


「サイリちゃん……」


 さすがにいきなり心を通わせろっていうのは12歳小6っ子には難しかったのかな……。


「大丈夫。大丈夫だから!」


 俺達の心配をよそに、サイリちゃんの目は死んでいなかった。

 自分の荷物から何かを取り出すと握りしめて……そして再びギラルドンの方に走り出した。


 ギラルドンの水による防衛が激しさを増す。

 だけど一歩一歩確実に歩みを進めるサイリちゃん。そして……。


 至近距離に近づいたところで、水を起こそうとした前ヒレにぎゅっと抱き着いた。


 ――ぎゃうぅぅぅ


 ギラルドンが一鳴きする。


「大丈夫、大丈夫よギラルドン、落ち着いて。痛かったね」


 そうか。持っていったあれは傷薬。

 どうやら先ほどギラルドンが湖に駆け込んだ時に石を踏んづけて怪我をしてしまったようだ。

 ギラルドンの事を理解しようと、よく見てあげようと、そう心を決めたサイリちゃんだからあの傷を見つけられたんだな。


 傷の手当てをするサイリちゃんに、ギラルドンもどうやらいつもの彼女じゃないと感じたのか、その身をゆだねて大人しくしている。


 もう大丈夫だろう。すぐにはわだかまりも解決しないかもしれないけど、あの二人ならやっていけるはずだ。俺とレナもそうやって絆を育んで来たのだから。

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