066 塩水怖いの
「司書さーん。イーバお姉さーん」
サイリちゃんを連れ立って図書館にやってきた俺達。
相変わらず入口のカウンターには誰もいない。
ここの蔵書はかなりの量があるため素人はとてもじゃないが目当ての本を探し当てることは難しいだろうし、ワンダーブックに襲われる可能性もあるので、やっぱり司書さんの力が必要になる。
圧倒されるほどの多くの本棚の前で立ちすくむ俺達。
その光景にサイリちゃんも眼鏡の奥で目を丸くしている。
そんな時、ゾクリと悪寒を感じたので背後を振り向くと……。
「あら、レナさん、スーさん。それと、初めましてかしら」
今まで全く気配を感じなかったのに、まるでそこにいたかのようにイーバさんが後ろに立っていたのだ。
「イーバさんごきげんよう! この子はサイリちゃん。お友達なの」
「あの、その、サイリ・カーバライトです」
ぺこりと礼をすると、すっとレナの後ろに隠れてしまった。
「よろしくねサイリさん。私はイーバ・イース。この図書館の司書よ」
挨拶を終えたレナは、図書館に来た目的はこうなんだよ、かくかくしかじかと事情を説明する。
「なるほどわかりました。そうですね、こちらに……」
本棚の奥へと案内される俺達。
相変わらず薄暗い図書館の中。レナが言うお化けが出そうな雰囲気がある。
レナは俺をぎゅっと抱きしめながら、それでいて横にいるサイリちゃんの手をしっかりと握っている。
イーバさん同伴なのでワンダーブックに襲われることもなく目的地へと到達。
すっと上に揚げたイーバさんの手に一冊の本が舞い降りてくる。
その本をぺらぺらとめくりだすイーバさん。
何度見ても神秘的な感じだな。
それにイーバさんが本を見ている姿は実に絵になる。
ミステリアスではあるが物腰が柔らかく美しいイーバさんはレナが目指す淑女の姿といっても過言じゃないな。
「これはいかがでしょう。その昔、大きな地震と、大雨とが一度に襲って来た事が書かれています」
おおっと、見とれてしまっていた。
なになに、大地震が発生し、地は裂け山は崩れ落ち、エルゼ―の地は大きな被害を受けた。その後追い打ちをかけるように大雨が降り、川は氾濫し、家は流され、畑は水に浸かり、エルゼ―の人々をどん底に突き落とした。これほどの災害はこれまで起こったことは無く、神の怒りか、悪魔の復活か、とまことしやかにささやかれた。……とな。
被害の大きさは載っているけど、
「あの……、司書さん。年代ごとの地図が分かる本はありますか。出来たらこの災害の前後の……」
「ええ、お安い御用よ」
そう言うとイーバさんは、例のごとくその場から一歩も動かずにお目当ての本を手にし、どうぞ、とサイリちゃんに手渡す。
「あ、ありがとうございます」
まだイーバさんに慣れていないのか、オドオドとしながらお礼を言って、そして受け取った地図を開くサイリちゃん。
なんだなんだと俺とレナはそれを覗き込む。
サイリちゃんは無言のまま凄く集中した目でその地図をペラペラと、同じページを行ったり来たり、とすると先ほどの地震と洪水の本を見たりして……。
「どうサイリちゃん? 何かわかりそう?」
何が何だか分からないレナが待ちきれずに声をかけた。
「はい。思った通りです。こことここを見てください。ここが第5の
「無くなってる!?」
俺達が登った丘の中腹。その昔、そこはさらに先まで広場が続いていたようだ。かつてはそこに第5の
それが災害で
でもあの丘の下には何かが崩れ落ちたような形跡は無かったけどな。
大昔だから撤去されてしまった可能性もあるけど、これだけの大災害があって人の住んでいない地区の復興に回す力があったのかという疑問によると、放置されたままだった可能性は高いはずだが。
「それとこれを見てください。こことここ。大雨で洪水が発生して水浸しになっています。その流れた水がどこに行ったかというと……」
サイリちゃんはつつーと地図の上の指を動かしていく。
「湖!」
なるほど。地震の後に起こった洪水で
さすがサイリちゃんだ。頼りにしてるよ!
と、俺が近くにいるのに初めて気づいたようで、すすっと体を離されてしまった。かなしみ。
「ふふふ、お役に立てたかしら?」
「はい!」
「はい」
二人はイーバさんに礼を言うと、さっそく目的地である湖の攻略方法を話し始めるのだった。
◆◆◆
次の日。
「綺麗だねー」
「思ったよりも凄いです。本で読むのと全然違います」
サイリちゃんが導き出した湖の
俺達はそこに来ている。
普段人が訪れることのないような、そんな森の中にぽっかり開けた場所。森の中だというのに広い湖が横たわっているため、頭上からは日光がさんさんと降り注いでいるので明るい。その光が澄んだ水を
そんな湖の探索だ。もちろん用意はしてきている。
じゃじゃーん。ゴムボート!
こいつに乗って湖に出て、沈んでいるはずの第5の
レナやりたい! とゴムボートを膨らませるのに興味深々だったので、とりあえず譲ってみたけど、途中で無理だと気づいたのか、もうだめー、と言ってダウンした。
じゃあ俺が続きをやるか、と言う所でサイリちゃんがもじもじしているのに気付いた。
もしかしてサイリちゃんも膨らませてみたいのかなと思ったら、やはりそうだったようで、がんばってぷうぷうと息を入れ始めた。
頑張っていたけど、顔が真っ赤になってきたところでダウン。
うんうん。そうだろうな。このゴムボート大きいもの。普通は膨らませる器具とか使う大きさだからな。
満足そうな二人の横で俺はスライムとしての真価を見せるべく、体を膨らませて取り込んだ空気を一気にゴムボートへ流し込むのだった。
しばらくして……まだかまだかとお待ちのお嬢様方の横でようやくゴムボートを膨らませ終えた。
それでは、と、ゴムボートを水の上に着水させたとき、俺は大変なことに気づいてしまった。
跳ねた水が俺の体に付着し、体にピリピリと刺激が走ったのだ。
この湖の水、淡水じゃなくて塩水、つまり塩湖なんだよ!
「さあいくよー。ほらスー、何してるの? 早く乗って乗って」
いつの間にかゴムボートの上に乗っている二人。
行くよって言われてもね、ちょっと事情が……。
塩水怖いの。
いろいろな液体や物質を作り出せるようになった俺だけど、未だにダイオウカエルの油のような塩水を通さない物質を作り出すことは出来なくて……。
つまりは塩水怖いからボートに乗りたくない!
かといって二人だけで探索させるのは危険だ。保護者としてはそれは看過できない。
と言っても塩水怖い。落ちたら確実に死ぬ。死なないかもしれないけど、あの体の中身を吸い出されるような感覚はもう死んでいると言っても過言ではない。
「ほーら、スー。おいで」
あわわっ! レナに掴まれてしまった。もはや逃げられない。
ええい、ここは心を決めて死への旅路を受け入れようじゃないか!
――ぱっちゃんぱっちゃん
俺は器用に2本のオールを前後させてボートを漕いでいる。さすがに力のいる作業なのでレディ達にやらせるのは厳しいだろう。
ゆっくりと進むボート。それもそのはず、水が跳ねないように細心の注意を払ってオールを動かしているからだ。
綺麗な湖の景色にはしゃいでいるレディ達。これだけで来てよかったなって思えるな。
サイリちゃんも大分慣れてきたのか、笑顔を見せてくれることが多くなっている。まだオドオドすることも多いけど、彼女はそこが魅力なんだとも思う。
さてレディ達、ここに来た目的を忘れちゃいないだろうな。ちゃんと湖の底に沈んでいる
はーいとレナから元気な返事があった。俺は漕ぐのに必死だからそっちは任せるぞ。漕ぐのに必死だからな!
そんなボートは湖の中心近くへと進む。
すると急に水深が深くなったのか底のほうが見えないと二人は言う。
「何かありそうなんですけど……」
水面を目を凝らして見ているサイリちゃん。ボートから落ちないように気を付けてね。
「レナ潜ってみるよ」
えっ!? ダメダメ、危険だ。溺れたりしたらどうするんだ。だーめ!
でも水の中に入らないと沈んでいるかどうかわからないよ。と言いながら服を脱ぎだす。
下には水着を着ているのは知っている。だから水に入ると言い出すのは時間の問題だったんだけど……。
ね、サイリちゃんも止めてよ。危ないから。
だけどサイリちゃんも、わ、私も行きます! とレナに触発されてしまっていた。
まってサイリちゃん、君は眼鏡外したら見えないでしょ。だめ、だーめ!
ちょっと二人共脱ぐのをおよしなさい。
ぽいぽいとボートの上に服が積み上がっていく。
二人共学校指定の紺色のワンピース水着だ。俗にいうスクール水着。教育としてこのスタイルに行きつくのはどの世界でも同じなんだな。恐るべしスクール水着。
感心していると二人はすでに脱ぎ終わって湖に入ろうとしていた。
待って待って!
水着になったからって準備運動しないと!
と言ったが最後、ボートの上は準備運動をする二人の振動で大揺れ。
俺はボートから死のダイブをしないように必死にしがみついていた。
もはやこの二人を止められない。そう悟った俺は、妥協案を出した。
その案とは俺の体を紐状に細長く伸ばして二人の胴体に括り付け、命綱とすることだ。
いざという時はそれでボートの上に引っ張り上げるという寸法だ。
紐状とは言え俺の体は俺の体。
塩水につかるとあの恐怖の感覚が襲ってくるけど、そうもいっていられない。俺が二人を守らなくてはならない!
「水、しおからーい」
「辛いです」
水に入ったところでようやく塩湖であることに気づいてくれた。
そう、俺は怖いんだよ?
とは言え、水が塩辛い事くらいで二人のレディは止まらない。
行ってきます、と言って水の中に潜っていった。
気を付けるんだぞ。やばくなったらすぐに紐を引っ張るんだぞ。反応が無かったらこっちから引っ張り上げるからな。と伝え終わる前に行ってしまった。
本当に大丈夫なんだろうか、とそわそわしながらボートの上で待っているだけではない。
二人の胴体に巻き付けた俺の紐状の体から心音とか拾いながら二人の状態把握を怠らない。俺が二人を守るのだ。
そうこうしているうちに。
「ぷはっ」
息が切れたサイリちゃんが先に水面に戻ってきた。
何も見えませんでした、と残念がっているが、眼鏡をはずしたらそりゃ見えないよ。
続いてレナも戻ってきて。
「何かあったけど、深くて息が続かないよ」
とのご報告。俺の紐体を結構伸ばしていたからかなりの深さがあると思われる。
息が続かないほどの深い所に沈んでいるんだったら、これは調査はここまでかな。
「えー、ヤダヤダヤダーっ! せっかくここまで調べたんだよ。最後のも見つけたいよ」
そうは言ってもな。深い所に潜るには専門のグロリアでもいないことには難しいよ。
ほら、諦めて帰ろう。な?
「ううーっ」
納得したくないという表情。
サイリちゃんもね。諦めてさ。ん? どうしたのサイリちゃん。
「私なら……出来るかもしれない。でも……」
いつの間にか銀色のクラテルを手にしていて、サイリちゃんはそれを両手でぎゅっと握りしめていた。
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