048 side story カミャム・ニルール その3

 少し進んだところではぐれグロリアの群れを発見する。Cランクグロリアのパッションプラントだ。

 植物系のグロリアで2mほどの高さがある樹木のような本体に、おいしそうな匂いを放つパイナップルのような果実がいくつもぶら下がっている。果実は人間達も食べることができる無毒な果実である。

 甘く美味しい果実がる一方、その果実に擬態した頭部が紛れており、果実を食べようとやって来た獲物を捕食するのだ。この習性ははぐれグロリアでのみ見られるもので、契約グロリアでは見られない。


「ちょうどいい相手ですね。私も好きですよ、パッションプラントの実。そのもぎもぎフルーツをいただきましょう! Qちゃん、出てこい!」


 カミャムはクラテルを掲げて自身のグロリアを呼び出す。

 クラテルから光の粒子がふわりと現れ、それが球形の物体を形作っていく。もちろん黄土色のスライムQちゃんだ。


「さあQちゃん、究極のぱわーを見せてください! ほら、あっちあっち、あのおいしそうな匂いのやつですよ!」


 Qちゃんとは契約したてだが、カミャムはQちゃんの前後を把握できている。

 スライムの前後を見分けるのは難しい。なんせ丸いし目も口も鼻もないし、ぽよぽよしているだけだし。


 Qちゃんに関してはよく見てみると分かるのだが、波打つように震えるスライムボディにはのっぺり山なりになっている側と、上部はのっぺりしているが下の方が少しへこんでいる側がある。前者が背中で後者が口のある前側だ。


 つまり今、クラテルから出たQちゃんは相手の方向ではなくカミャムの方を向いているのだ。


 それを察してなんとなく嫌な予感がするカミャムだったが……その予感は的中し、Qちゃんはカミャムへと跳びかかってきた。


「うひぃ、く、食われた―!」


 跳びかかって来たQちゃんはカミャムの右こぶしに取り付く。

 取り付かれてしまうとどうにもならない。左手で引きはがそうとしても触れたが最後、左手も消化されてしまうからだ。

 そんな大ピンチだったが、Qちゃんが突然こぶしから離れてしまった。


「ふっふっふ、思ったとおり! こんなこともあろうかと私の手には薬品を塗っておきました! きっとQちゃんが嫌いだと思ってね! 実家のかーちゃんが化粧くらいしなさいって箱で送って来たときにはどうしたもんかとこまりましたが、こんな時に役立つなんて、かーちゃんには頭が上がらないです!」


 先ほど芋虫に乗っている時に塗っていたのは虫よけではなく、やはり化粧品だったのだ。

 苦学生ならぬ貧乏研究者のカミャム。その機転が彼女を彼女たらしめている点でもある。


「さあ、私には苦い液体が塗られていますよぉ、あっちのおいしそうなのに行きましょうねぇ」


 Qちゃんは悔しそうにぷるぷると体を震わせると、仕方なしに眼前のグロリアへと向かって行った。

 相対するパッションプラントはその場を動こうとはしない。彼らの習性は果実に惹かれてきた獲物を捕食することなので、動かないことが戦闘態勢なのだ。

 残念ながら今回はそれが裏目に出た。


「うへへ、究極スライムだという私の目に狂いはなかった! すごい食べっぷりです!」


 目の前でばっくんばっくんと果実を食べるQちゃんの姿。果実だけたべるのがめんどくさくなったのか、体を大きく広げてパッションプラント全体を取り込んでしまった。

 すぐさま次の獲物に跳びかかろうとするも、仲間が丸ごと捕食された様子を見ていたパッションプラント達は、やってられるかと一目散に散り散りに逃げ出して、Qちゃんは他のパッションプラントを捕らえられずに終わってしまった。


「ほっほー! さすがQちゃんです。えらいえらい、いい子いい子してあげますよ!」


 自分の体積よりも大きなものを取り込んだQちゃん。さすがに物理法則を無視はしないのか、そのスライムボディが大きくなりバランスボール大まで膨らんでいる。


 そんなQちゃんをなでなでしようとカミャムが近づくと、Qちゃんは苦い液体を嫌ってか脱兎のごとく逃げ出してしまう。


「ちょま、まってー! 私を一人にしないでぇぇぇぇぇ!」


 こんな魔の森の中一人置き去りにされると死んでしまうので、カミャムは死に物狂いでQちゃんの後を追うのだった。


 ◆◆◆


 途中岩女の群れに遭遇し蹴散らしたQちゃん。岩は食べないんですねとか思って息を整えていたカミャムだったが、Qちゃんはさらに逃走し、遭遇するグロリアを食べては逃げ食べては逃げ、そうして大量のグロリアを食べて動きが鈍ってきたところをカミャムが追い付いてクラテルの中に戻したのだった。


「しっかし、すっかり道に迷ってしまいましたね……」


 土地勘のない山中。そこをしゃにむに駆け回っていたのだから当然と言えば当然の結果である。


 背負った野営道具にもたれかかりクッションにしながら、大の字に手足を広げて虚ろな目で空を見上げているカミャム。

 その目に映るのは生い茂った木々と辺り一帯から立ち込める瘴気のみであり、空は全く見えてはいない。


 死に物狂いだったとはいえ、けっして軽くはない野営の荷物を担いでいたのだ。インドア派でもあるカミャムは力尽きてこれ以上は動くことが出来ない状態だ。


 そうは言ってもいつまでもこんな場所でじっとしているわけにはいかない。

 とりあえず先ほど調達したパッションプラントの果実をかじって喉の渇きを潤して、木々の密集した場所ではテントも張れないからと、のっそりと体を動かし野営が可能な場所を探すのだった。


 ◆◆◆


 なんとか野営が出来そうな場所を見つけ出し、重い体に鞭を入れつつテントを張り、夜の帳が下りる前にはキャンプを始めることが出来た。

 疲労困憊なので食事をとる元気もないし食欲もない。とりあえずは寝たいから食事は明日の朝に回そうと、もう寝たいと、緩慢な動作のカミャムはクラテルからQちゃんを呼び出した。


「たくさん食べたからおとなしいものです。見張りは頼みますよQちゃん」


 カミャムの言うとおり、はぐれグロリアを沢山食べて満足しているのか、Qちゃんはぷるぷるとその体を少し震わせるだけで、逃げようともカミャムに襲い掛かかろうともしない。


 そんな様子に安心したのか、カミャムは着替えもせずに泥のように眠り始めたのだった。


 ◆◆◆


「う、うーん……朝ですかね。山の朝は冷えるかとおもったけど、なんかあったかくて……。って、なんじゃこりゃー!!!」


 と、これはカミャムの心の声。実際は「ガボガボ」という音が彼女の口から発せられただけだ。


 カミャムの視界に入ってきたのは一面の黄土色。濃緑色のテントの中に寝ていたはずが、黄土色一色。


(Qちゃんに食われてるー!)


 カミャムの体はいつの間にか、見張りをしていたはずのQちゃんの体内に取り込まれていたのだ。


(と、落ち着けマイ頭脳。右手よし左手よし、両足もよーし。五体満足確認! 昨日のグロリアのように溶けてないということは、食べて吸収するのが目的ではないようですねぇ)


 スライム細胞の中に取り込まれているにも関わらず、カミャムの呼吸は出来ている。肺の奥まで満たされたスライム細胞が酸素を運んでいるのだろう。


(しっかし、私との化かしあいに勝つなんて、見込みがあるじゃないですか。ますます将来が楽しみですよ!)


 化粧水が塗られているカミャムを嫌がる。

 おなかがいっぱいなのでこれ以上は食べない。

 これらがカミャムを油断させるための演技だったのであれば、相当の知能を持っていることになる。


(どうやらすぐに死ぬわけじゃなさそうですし、いったいこの子が何を考えているのかをここから見届けますかね。差し当たって――)


 ずぞぞぞぞと口からスライム細胞を吸い込み始めた。


(ゼリーみたいな触感ですね。味は今一つ。苦いような渋いような、それでいてのどに引っかかるような。どうやら人が食べるようにはできてないようですねぇ。栄養価は気になるところですが――)


 Qちゃんの一部を胃に落としたところで、カミャムは自分の体に違和感を覚えた。

 カミャムは気づいていなかったが、カミャムに吸い込まれて失った部分のスライムボディが再生を始めていたのだ。


(あ、これ輝力が……吸われてますね……。かなり、すごい……。い、いしきが……、もう……すこし、見せて……)


 そこでカミャムの意識は途切れた。


 ◆◆◆


「はっ! ここは!」


 勢いよく跳び起きたようなセリフだが、実際はベッドに横たわったままだ。


 カミャムの質問に答えるとすると、ここはリゼルの拠点ベース。ヒューマンイーター、すなわちQちゃんを倒した後、灼熱を操るスライムの体内で治療され、安静のために寝かされていたのだ。


「なんかとてつもないグロリアに襲われたようなそうでないような?」


 横たわったまま首をかしげるカミャム。Qちゃんの体内に捕獲されて輝力を吸われた後の記憶はあいまいだ。巨人に襲われた気もするし、炎の魔人に襲われたような気もする。どちらも秘境ダグラード山脈ならあり得る話だ。


 ぼやけていて夢なのか幻なのか区別のつかない記憶を引っ張り出すと、おぼろげながらQちゃんが自分を守って戦っていた気がする。

 そしてその後……。


「Qちゃん!」


 カミャムはふところをガサゴソする。クラテルを探しているのだ。

 指先に金属質の正四面体が触れ、急いでそれを取り出すと、中にいるであろう自身のグロリアを呼び出した。


 ゴルフボール大の白色のスライム。

 見た目は変わってしまったが、間違いなくQちゃんであることはカミャムにとって疑いようもない。


 そんなQちゃんの姿を見たカミャムはほっと胸をなでおろし、そして慌てていた自分をごまかすように口を開いた。


「なんとまあちっちゃくなって。それに色まで変わって!

 とと、冗談はおいといて、Qちゃんの正体はプリミティブスライムだったんですか。新種じゃなかったのは残念ですが、これはこれでレアですね。ふふふ、プリミティブスライムが進化しないという定説が正しいのかどうか証明できますよ!」


 縮んでしまったQちゃんをてのひらに乗せ、なでりなでりと、なでりなでりなでりと、これでもかとなでまくる。


「おや? 何やら外からグロリア達の声が聞こえますね?」


 ひとしきりなでて満足したところで、カミャムの耳に興味を引く音が入ってきた。


 カミャムは近くにあったモップのようなものに体を預けながら、その音のする方向へ向かうのだった。




 グロリア研究家カミャム・ニルール。彼女はこれからもあくなき探求心を持ってグロリアと接し続けるだろう。

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