046 side story カミャム・ニルール その1

 ここはとあるグロリア研究家の拠点ベース。街の郊外に位置しており、牧場に見られるような塔型の建物や木の枠で囲われた広場が多数存在している。まるで酪農を営んでいるかのような、そんな広大でのどかな場所。


 ここのあるじは現在出張中。留守を任された若い女性研究家が一人、晴れ渡った青空の下、広場の中心で何やら行おうとしている。


「ふひひひ、師匠の居ぬ間になんとやら。素敵なグロリアちゃんを召喚してハッピーライフを過ごすとしましょう」


 女性の名はカミャム・ニルール。ヨレヨレになった白衣を着ている彼女は、乱雑に紐で縛った腰まで長く伸びた黒髪を邪魔そうに腕で払いながら、怪しげな笑みを浮かべている。縁の黒い眼鏡をかけており一部の男性には絶大な人気を誇りそうだが、そのレンズの内側では目にクマができており、見るからに顔色が悪いため、ともすれば怪しく、そして怖さも感じるだろう。


 その手には長い木の棒が握られており、それを地面に突き刺して何やら丸を書いたり三角を書いたり、何とも言えない奇妙な文様を書いたり、この世界の言語とは異なる文字を書き込んでいたりする。


 カミャムが一心不乱に行っている作業はグロリアを召喚するための魔法陣の作成だ。

 グロリア召喚には魔法陣、詠唱、召喚者の輝力の3つが必要となる。

 どれが欠けても召喚には成功しないが、その中でとりわけ用意する難易度が高いものが魔法陣なのである。

 

 とはいえグロリア召喚に用いられる魔法陣はすべて同じで決まったものとなっている。そのためグロリア研究家にとって魔法陣はそらんじることが出来て当然のものであり、その作成もお手の物だ。


 そんな魔法陣だが、グロリア召喚は頻繁に行われるわけではなく、それでいて魔法陣はそれ相応の広さを要する。そのため一般家庭では、召喚を行う場合にはグロリア研究家を招いて魔法陣を作成してもらうことが多い。

 片や、お金持ちの子供たちが通う学校などでは召喚用の施設が常設されていることが多く、硬いコンクリートのような素材の上に消えることのない液体で魔法陣が作られている。


「うふふ、完成しましたぁ。さーて召喚の儀式を行うとしましょうかね」


 木の棒に寄りかかり、ふぅ、と一息入れ魔法陣の出来栄えを眺めるカミャム。


「この日のためにとやかく理由をつけて私のグロリアを師匠に預けたわけで……今の私はフリー状態! 所持グロリア0の女! グロリア許容量限界いっぱいまで天秤にかけられますよ!」


 グロリア許容量とは名前の通り、グロリアと契約できる輝力容量の天井値の事だ。

 大体4~5歳でFランクのグロリア1体と契約できるグロリア許容量があり、それは成長するごとに増えていき、大体20歳くらいでDランクグロリア1体と契約できるくらいのグロリア許容量をもつことになる。

 また、特訓や修行を行えばグロリア許容量はさらに増加させることも可能なのだ。


 そのためグロリアとの生活スタイルは多種多様となる。

 最初に召喚したFランクグロリアを育てて進化させてDランクにする人、進化をEランクで止めておいて、もう一体Fランクのグロリアと契約する人、進化させずに何体ものFランクグロリアと契約する人、などなど。


 もう一つ。

 召喚されるグロリアは、召喚者が現在利用していない輝力の量によって左右される。

 すでにグロリアを所持していて、残りがFランクグロリアしか契約できない輝力量ならFランクグロリアしか召喚されず、Dランクグロリアと契約できる輝力量があるなら、F~Dランクまでのグロリアが召喚される。

 グロリア許容量を超えて契約できないグロリアが召喚されることは無いのだ。


 そのためカミャムのように一部のグロリア研究家は召喚前に所持グロリアを0体にすることで、グロリア許容量限界の高ランクのグロリアや珍しいグロリアを狙って召喚を行うことがある。


「うむむ、でもいつも通りの召喚じゃあ面白みにかけますね。そう! そうです私! いやぁ、常々召喚方法がどうしてずっと昔から同じなのかっていうのは疑問だったんですよねぇ。皆さん疑問に思わないんでしょうか。文献を読み漁っても召喚に失敗した挙句異端の烙印を押された大昔の人の情報しか出てきませんでしたし。ここらでいっちょ私がやってやりますかってんだ!」


 両手を上に上げぐいぐいと上下させ、同時に膝を曲げ伸ばしして全身縮んだり伸びたりと奇妙な動作を行っている。彼女なりの気合の入れ方なのだろう。


 奇妙な運動を終え、カミャムは完成した魔法陣の前に立つと――


「ここの文字とか変えてみる。喜びを表す文字だから、怒りとかに変えてみると!」


 奇妙な文字を足で踏んで消して、その上に新たな文字を書き加える。


「ううーん、一字じゃ効果ないかもしれませんね。ここは大改修を! 私ってば天才! ここをこうして~さらりさらり♪」


 音程を一つも二つも外したような鼻歌を歌いながら上機嫌な様子で魔法陣に手を入れていくカミャム。


 ふいー、と大きく息を吐いて、完成した魔法陣の前に立つ。


「これでよし。うっしっし、どんなグロリアちゃんが召喚されるか今から楽しみですねぇ」


 顔色は悪いものの、黙ってすまし顔をしていれば美人と称されるレベルなのだが、奇行に属するアクションが多いため近寄りがたく、いまだに男っ気は無い。

 本人はそんなことは気にしておらず、人間よりもグロリアLOVE勢なので問題は無いようだ。


「おっと、集中して。まずは召喚の定型文から試してみましょうかね。学会に発表するときに場合分けを詳しく調べておく必要がありますしね。待ってろ学会!」


 カミャムはすっと目を閉じて、祈るように言葉を紡ぎだす。


「我、カミャム・ニルールは御身の寵愛を望むものなり。イーガ、ウェルマ、サルバド、ノーギス。そのすべてにおわす御身の祝福を切望するものなり。今、我の前にその姿を現したまえ!」


 詠唱と共にカミャムの体が淡く光り始める。これはカミャムの輝力が可視化されたものであり、召喚の触媒となるものだ。

 地面から吹き上がる風のように光が空へと昇り始め、カミャムの着ている白衣と雑に結んだ髪の毛の束がそれに押し上げられるようにバサバサと揺れている。まるで重力と戦って勝ち負けを繰り返しているかのようだ。


 10秒、20秒、1分、2分、その戦いは繰り広げられる。


「変ですね、成功していればとっくの昔に魔法陣にグロリアが召喚されているんですが? もしかして、し っ ぱ い ?」


 がくりと地面に膝をつくカミャム。


「いやいや、たった一度の失敗でへこたれるなんて研究者としては失格です。これはただ輝力を放出して疲れたからであって、研究者の矜持を失ったわけじゃありませえん! 再トライ再トライ、やっぱり怒りが良くなかったんですね。あんまり好きじゃないけど、愛とかに変えてみますか。愛なんてまやかしだと思うんですがねぇ」


 懲りずに再トライするが、結果は変わらなかった。

 その後も何度か挑戦し、魔法陣はもとに戻して詠唱を変えてみよう私天才! と言いながら何度もチャレンジしていたが、結局グロリアが召喚されることは無かった。


「くぅぅぅ、なんたる屈辱! この私をここまで熱くさせたのはお前が初めてだ! びしっ!」


 効果音まで入れながら、魔法陣を指さすカミャム。


「いやぁ、さすがに難易度が高いですね。書物で確認されている数百年も前から変わらず行われてきた儀式を変えるというのは。つまりは数百年の先人たちに挑戦するも等しい! いくら私が天才だと言ってもたった1日程度で追いつけるなんて、そうは甘くないですね。反省案件! まあ、召喚方法の革命は次回のテーマとしておいといて、当初の目的通りグロリアちゃんを召喚してしまわないと、師匠が帰ってきてしまいますからね。うぅぅ……屈辱!」


 あきらめと屈辱が互いにせめぎあいながら、何とか気持ちを落ち着けて通常の、数百年も綿々と受け継がれてきた伝統的な召喚を行うこととしたカミャム。


「ワレ、カミャム・ニルールハオンミノチョウアイヲノゾムモノナリ。イーガ、ウェルマ、サルバド、ノーギス。ソノスベテニオワスオンミノシュウフクヲセツボウスルモノナリ。イマワレノマエニソノスガタヲアラワシタマエ」


 なぜかカタコトで宇宙人みたいに詠唱を行うカミャム。先人を超えられないという悔しさがまだ残っていたようだ。


 そしてその正しい詠唱によって神の祝福とされるグロリアが召喚される。


 魔法陣の文字が光りだし、天へと一直線に伸びた柱のように魔法陣から光が伸びる。


「ううーむ。光の中がどうなってるのか見えるかなと思ってレンズの部分を黒く塗った眼鏡をしてみたけど……何も見えない! 光強すぎ! あと視界が真っ黒で何も見えない! こいつは失敗ですね。高かったのに!」


 カミャムはサングラスを外して自分の眼鏡にかけかえる。

 自分で買ったように言っているが、実は研究経費で落ちるだろうと思ってこっそり師匠の名義で買ったものだ。


 しばらくしてその光がはじけ飛ぶように周囲に霧散すると……そこにはグロリアが召喚されていた。


「おほっ! その出で立ちはスライム族ですね!」


 カミャムは魔法陣に駆け寄る。

 そこには丸い姿のグロリアがぽてんと顕現していた。

 大きさはバレーボール大。大半のスライムはこの大きさとなっている。

 

「きんぴか? んー、ちょっと光が足りないですね。黄土色。私のスーパー頭脳のグロリア図鑑と照合すると……」


 人差し指を頬にあてて思考に耽る。


「ネーブルスライムにしては色がちょっと濁ってるし、地層のようなストレタムスライムにしては横線が入ってないし……。該当なし? ということは……。 し、ん、しゅ!?」


 ぷるぷると小刻みに体を震わせているカミャム。


「うっひょぉぉぉ! やったやった! やりましたよ! 師匠の元で苦節10年! ようやく私にもチャンスが巡ってきましたよ! よーしよし、かわいいスライムちゃん、今から私と契約しましょうねぇ」


 抱きかかえようと手を伸ばすカミャムに対して、召喚されたそのスライムは外敵に襲われた時の様に反撃に出た。

 黄土色の体をぶわっと広げてカミャムの手に覆いかぶさろうとしたのだ。


 咄嗟に手を引いてスライムの奇行から難を逃れるカミャム。


「ひわっ、今咬もうと……いや食べようとしましたね。

 がるるるる、私を食べれると思うんじゃないですよぉ!」


 主従関係を教え込もうと、カミャムは歯をむき出しにして大きくうなり始める。


「がうっ、がうっ、がうっ!!」


 興が乗ってきたため、地面を両手でたたきながら威嚇する。


 ――ヒュッ


 そんなカミャムに対してスライムはすくみ上がることなく逆に飛び掛かる。


 反射的に体を逸らしてその一撃を回避したカミャムだったが。


「ひょええ、私の一張羅の白衣が!」


 スライムの一撃が着ている白衣をかすめており、そこがボロボロのグズグズに腐食し始めた。元々かなり汚れていたので着たきりで一張羅というのは間違いない。


「でも問題なし! 白衣はセールの時に7着買ってタンスの奥深くにしまってありますからね。何年前に買ったのか忘れたけど、虫食いになって無い事を願う!」


 死んでしまった白衣は今はどうでもよい。

 今はこのスライムの対処だが。どうやらあちらさんも高ぶっているようで、そのバスケットボール大の体をぶるぶると波打たせている。その様子は動物型のグロリアが毛を逆立てているのと同じ様に見える。


「ぬぬぬ、ここは戦略的撤退! 撤退、てったーい!」


 そんなスライムの様子を見て一筋縄ではいかないと判断したカミャムはきびすを返すと一目散に走り始めた。

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