025 リゼルとの魔境探検1

 その日もさわやかな朝だった。

 辺りがうっすらと明るみ始め、小型の鳥グロリア達は私の鳴き声が一番美しいのよと言わんばかりにさえずり始める。


 俺は寝床である木製の桶から体をだらりとこぼれさせたまま寝ていた。


 最近この桶がきつくなってきた気がする。もしかして太った?

 いや、修行がきついから無精ぶしょうで太ることは無いはずだけどなぁ、などと思いながらまとまらない思考のまま物置部屋を出る。


 修行メンバーは朝早く起きて庭に集合することになっている。

 当初はなかなか起きれずにリゼルからきついお仕置きをもらったものだ。

 数年たった今でも、疲労が蓄積して朝なかなか起きれない。

 疲労が蓄積と言ったが、そもそもスライム細胞に疲労の概念があるのかどうかは知らないが、とにかく朝は眠い。


 前方不注意のままぽよぽよと庭を目指す俺。

 途中でリゼルの部屋の横を通ったが、すでにリゼルは部屋にはいなかった。


 やばい、リゼルが部屋にいないってことは少なくても俺よりも先にいるってことで、お仕置きコースじゃないか! と、そこで俺の意識はクリアに覚醒した。


 お仕置きを回避するために庭に急がねば。

 起き抜けの体に喝を入れ、一路庭を目指す。


 建物の出口に近づくにつれ朝日の眩しさが強くなってくる。


 ごぉぉぉぉぉる!


 出口を駆け抜けた俺の脳内で誰かがアナウンスしてくれたような気がした。

 朝から一仕事やり切った達成感! を感じている暇はない。

 これでゴールではない。庭にたどり着いたとしてもリゼルがいたならば敗北なのだ。


 だが、俺の視界の先にはスパルタ美人お姉さんの姿は無かった。

 やったぞ、俺は勝負に勝ったのだ。

 俺は安堵して集合場所にスタンバる。


 ちなみに俺以外も誰もいない。寝坊したかと思ったが一番乗りだった。体内時計も当てにならないものだ。


 リゼルは部屋にいなかったし、じきにやってくるだろう。

 そう思って一息ついている俺はぼーっと景色を眺めている。


 視界の先には大きく開けた渓谷が広がっており、見渡す限りの絶景なのだ。

 遠目には鳥グロリアが飛んでいるのが見える。あれははぐれグロリアだな。

 点のように見えるそれから俺は意識を外す。


 今日の朝ご飯はなんだろうか。シテンシテン草が最近はお気に入りなんだよね。ピリッと辛みのある草で、まろやかな甘さのミルグナ草と6:4の割合で食べるのがマイブーム。

 リゼルは俺のことをよく見ているようで、俺の好みに合わせて配合を変えてくれて、最終的に配合割合がそうなったのだ。


 スライムは草食に限る。肉も食べないことはないけど肉を食べ続けると害獣系のスライムに進化してしまい命を狙われるかもしれない。そんなスライムはスライム臭もすごいらしいし、何より戻った時にレナに嫌われたくはないからな。


 なので鶏肉もノーサンキューなのだが、それにしてもあの鳥グロリア、ずっと同じところを飛んでるな。


 ぼんやりと呆けたまま渓谷の上空にある小さな点を見る。俺の視界を横切るわけでもなく、その点はずっとその場所にある。


 鳥じゃなかったのかな……と思って注意して見てみると、なにやら点の大きさが大きくなっている気がする。

 ああ、小型じゃなく大型なのね、と思考を修正するが、大きさの問題ではなかった。


 点がその場所を動いていなかったのではなく、一直線にこちらに向かってきていたためそう見えただけだった。


 あれよあれよと、小かった点が拡大していき――


 ――クアァァァァァァ!


 大きな羽を広げた10mはあろうかという黒い鳥が俺に向かって襲い掛かって来た。


 うげげ!


 足には3本の鋭い爪が光っていて、凶器のようなその2本の足が俺をつかんで引き裂こうと頭上に迫る!

 

 回避しないと!

 と思ったところで、爪は俺の頭上を通り越して背後に着地した。


「おつかれさん、長い距離をありがとうよ」


 あっけにとられる俺をよそに、鳥から人間の声が聞こえてきた。

 黒い羽毛に隠れて見えなかったが、その背には小さな人間が乗っていた。


 黒い鳥は羽をたたむとそのまま地面にしゃがみ込み、足の見えない伏せた状態になる。

 地面との距離が近くなったのを確認し、その背に乗っていた人間がゆっくりと鳥の背中から降りてくる。

 その動作はなんていうか、すごくぎこちなくてハラハラする。


 地面に降り立ったのは老女だった。

 髪の毛は白一色に染まっており、顔にも多くのしわが見える。

 もともと背は低いようだが、背中は曲がっているためより小さく見える。

 足腰が悪いのか手には杖を持っており、それを支えに立っている状態だ。

 だた、気品というか気高さというか、かつて凛としてまとっていたであろうそういう雰囲気が目の前の老女からは感じられる。


「何か凄い鳴き声が聞こえたけどどうしたんだ!?」


 聞こえて来た声の方を見ると、歯ブラシを手に持ったまま駆けてきたリゼルの姿があった。

 

「あ、あなたは!!」


 庭に駆け出してきたリゼルは現れた老女を見て固まってしまった。


 ん? リゼルの知り合いか?

 それなら危ないから鋭い爪の鳥グロリアで拠点ベースに乗り付けないように言ってくれよな。危うく引き裂かれて、スライムおろしになるところだったんだから。

 ほらほら――


「お師匠様! お久しぶりです」


 お、お師匠さまー?

 つまりはリゼルの先生ってことだよな。


「久しいねリゼル。だらしないところは相変わらずのようだがね」


 よく知ってるな。師匠というのは間違いないようだ。

 うん、そうなんだよ、だらしないんだよ。

 慣れっこになっていたが、今のリゼルの姿は上半身裸で首からバスタオルをぶら下げている。歯磨きの途中だったのだろうが、人前に出る格好ではない。


 そんなリゼルの姿を見て、お師匠様はそのしわの深い顔ににこやかな笑顔を浮かべている。


「すみません。まさかここに人が来るなんて思ってもみず……」


 そうだぞリゼル。油断しすぎだ。お師匠さんだったからよかったものの、少年やおっさんだったらアウトだよ。

 いつも言ってるけど、乙女のつつしみというか、そういうのを持った方がいい。

 うんうん。個人的に大事だとおもうんだよね。つつしみや恥じらい的なもの。


「まあよい。それよりも、はよう身だしなみを整えてきなさい。私は中で待たせてもらうよ」


 そう言うとお師匠様は黒い鳥をクラテルにしまい、杖を突きながら建物へと向かって行った。


 ◆◆◆


 食堂に集まった俺達。

 俺達と言っても、リゼルのお師匠様と身だしなみを整えてきたリゼル、そして俺の、二人と一体だけ。

 俺以外のグロリアは自主練中だ。なぜに俺だけ呼ばれたのか。


「それでお師匠様。わざわざこんな山奥まで来られるなんて、いったい何用でしょうか。

 このスーの事でしょうか?」


 暖かいお茶を師匠にお出しするリゼル。

 かしこまったその態度に、あのリゼルにも頭の上がらない人がいるんだなと、その珍しい光景を見ている俺。


「おぬしがくだんのスライムか。ふむ、なるほどのう」


 湯呑を手に取ってひとすすりした師匠は俺のほうをじっと見つめて――

 

 なんかすべてを見透かされているような、そんな鋭くそれでいて重い視線を身に受けているぞ。


 俺は悪いスライムじゃないよ、ぷるぷる。

 体を震わせながら無害アピールをすること数十秒。


「あの……」


 無限のように感じた時間はリゼルによって終わりを迎えた。


「いや、すまない。今日わざわざここを訪れたのは、そのスライムの事ではない。

 なに、お前に頼みたいことがあってのう」


「頼みたいことですか? それは一体」


「それはのう……」


 そういうとお師匠様は話し始めた。


 お師匠様のお名前はナバラ・バラン。多くの弟子を育てた名グロリア専門家で、現役引退した64歳。

 世界中に彼女の弟子が存在し、弟子の弟子、つまり孫弟子も沢山存在する。


 今回の頼み事とは、彼女の弟子のひとりロジー・ミグレスから久しぶりに連絡があったことに起因する。


 弟子のロジーは42歳の男性で、すでにナバラ師匠の元を卒業し独立しており、自身も弟子を取っている。

 ロジーは特に目立った功績を上げているわけではないが、安定した実績があり、弟子の育成も無難にこなしていると風の便りで耳にしていたらしいが、どうやら新しく入った弟子を持て余し気味のようだった。


 持て余し気味、もう少し言えば制御できていない弟子の名前はカミャム・ニルール。

 19歳の女性研究者で研究一筋、研究のためなら自分の命なんて何のそののはっちゃけ研究者タイプ。

 

 その彼女がいなくなったと言うのだ。


 正確には置手紙があったらしい。数日間の出張から帰って来たロジーは自身の拠点(ベース)に戻るとカミャムが書いたその手紙を発見した。

 手紙には、ロジーが出張中に珍しいグロリアの召喚に成功した事、学会発表までは秘密にしておきたいため、一人山奥で生態調査を行ってくると言う事が書かれていた。


「カミャムがダグラード山脈に出発してから4日経っている」


「あのダグラード山脈にですか? Bランクグロリアが跋扈ばっこし、一部Aランクグロリアが生息するというあの危険地帯に? 彼女はそれほどの実力者なのですか?」


「優秀ではあるが、所持しているグロリアはCランクじゃと言う」


「つまりは……Aランクグロリアを相手にしても問題ないほどのグロリアを召喚した、と」


「その可能性もある。じゃが、召喚したのが新種のグロリアである可能性もある。

 手紙に書かれたように学会で発表するまで秘密にしておきたいと言うのであれば、熟練グロリア専門家もめったに近づくことのない場所を選択したくなる気持ちも分かる。

 じゃが、どちらにせよ危険地帯に一人は危険すぎる。

 早急に連れ戻すべきなのじゃが、ロジーのヤツでは山脈に近づく事も出来んし、同じく引退したワシでは山脈のはぐれグロリアには太刀打ち出来ん」


「それで私の所に、ということですか」


「そうじゃ。やってくれるか?」


「わかりました。お師匠様には今なおお世話になっています。私で良ければお受けします」


 こうしてリゼルはナバラ師匠からの依頼を受けてダグラード山脈へ行くことになったのだ。

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