017 リゼルとのバカンス4
なんとか酸素を確保できたとはいえ、リゼルが触手にぐるぐる巻きで締め付けられている事には変わりない。
微塵の隙間もなく、下手すればねじ切られてしまいそうな圧力を受けているはずだ。
俺に心配をかけまいとしてか、そんな様子はおくびにも出さないリゼル。
むしろ余裕のある表情を浮かべている。
「ホルン、聞こえるか! 放電して触手を焼き切るんだ!」
俺の内側で力の限り叫ぶリゼル。
スライムボディ全体がその振動を受け止め、そして外側へと伝えていく。
水中で音が届くのか? とお思いだろう。
水の中に潜ると色々な音が聞こえてきて、水の外でしゃべっている声なんかはよく聞こえない事を経験している人も多いはずだ。
実は水の中は空気中よりも音の伝わり方は速いのだ。
つまり、リゼルの声はしっかりと
まあつまり、ここから反撃が始まるってことだ!
――キュエェェェ!
ホルンは鳴き声を上げると、その体内に電気を作り出し……そして一気に放出することで自身にがんじがらめに巻き付く触手を焼き払った。
さすがはアクアビーストだ。その体には強力な発電器官を持っていて外敵を撃ち滅ぼすのに使われる、というのは神カンペで読んだけど、まさか水中であれほどの放電が起こせるとは思わなかった。
巻き付いていた触手は焼け焦げたのではなく、消し炭のようになって水の中に霧散していったのだ。
もちろんこの光景はリゼルにも見えている。
俺の黒いスライムボディが顔全体を覆ってはいるが、リゼルの視界前面に当たる部分は薄く引き伸ばしてあり、ガラスとまではいかないが透けて辺りが見えるようになっている。
「いいぞホルン、次は真空波で触手をぶったぎるんだ!」
ホルンの角が水の中を薙いだ。
発生した衝撃波は水と水を寸断し微小な境界面を生み出しながらリゼルの下方を通過する。
リゼルを捕らえていた触手は、薄く鋭利な刃物で切られたように見事な切断面を見せた。
本体から切断されたことにより巻き付く力が緩んだようで、リゼルはもぞもぞと体を動かし、ぐるぐる巻きの触手の隙間から何とか片手を抜け出させた。
片手が抜ければ大丈夫。もう片方の腕も抜くと自由になった両手で巻き付いた触手をはがしていくリゼル。
「玉のお肌が吸盤で吸い付かれて真っ赤じゃないか。この代償はしはらってもらうからな」
リゼルの頭部にくっついている俺からはよく見えないが、ちらっと見えた腕には赤い吸盤の痕が出来ていた。
嫁入り前のうちのリゼルになんてことを!
などと怒りを燃やしている俺の視界の先に2つの動く物体を捉えていた。
あれは、
ルプシュとグラグラを捕らえていた触手も切断されて、2体は一途水面を目指していた。
よかった、あいつらはまだ溺れてなかったんだな。
下方から上方へと流れが変わったそれは、俺たちの足元から何かの圧力を感じるものだ。
そしてそれは姿を現した。
触手が放電で焼け焦げ、真空波で切断され、さすがに異常な事態だと感じたのか、暗い海の底からとうとうその本体が姿を現したのだ。
ぎょろりと光る大きな丸い目が二つ。それが付いた縦に細長い顔。いや、顔というかそれ自体が体のようだ。その目測20mにもなろうかという巨大な円柱形状の体、その上部は三角錐形状になっている。巨大な胴体の下部からは数えきれないくらい無数の触手が伸びている。触手の長さは計測が出来ないが、全長は100mはくだらないだろう。
これらはBランクグロリアのサウザンドテンタクルスの形状と一致する。
「ようやくお出ましか。船員達が見たという不審な影の正体はこいつで間違いないようだ」
最初はニードルフィッシュの影がその正体かと思っていたけど、ニードルフィッシュの大移動はこいつから逃げていたに違いない。
その証拠に、無数の触手のうちいくつかには逃げ遅れたのであろうニードルフィッシュや、大型のクラゲのようなグロリアが捕まっており、目の下にある鋭い歯の生えたすり鉢状の口へと運ばれている。
俺たちも逃げ遅れていたらああなっていただろう。
「やつめ、やりたい放題のようだな」
俺たちのことは眼中にはないのか、サウザンドテンタクルスは触手を
俺たちの前に
触手を焼き切ったから慌てただとか、異常な事態を感じただとか、そういう感じではない。
その堂々とした振る舞いから海の帝王の貫録を感じるのだ。
これだけの巨大で狂暴なグロリアがビーチに近づいたなら、どれだけの被害が出るのかわからない。
どうするんだリゼル?
「なんだスー、心配なのか? 私を誰だと思っているんだ? リゼル・クーシーだぞ?」
男前な回答が返ってくる。
リゼルは海の王者に対してまったくひるんではいない。むしろ正体が判明し刈り取る気満々のようだ。
頼もしいことだ。さすがは俺の
ゆっくりと近づいてくるサウザンドテンタクルス。食事で忙しかった触手は、手近に口に入れるものが無くなったため俺たちのほうに差し向けられる。
無数の、おそらく100本以上の触手が伸縮しながら俺たちを襲う。
「ホルン、真空波だ!」
ホルンは角から発生させた真空波で俺たちに向かってきた触手を断ち切っていくが、それでも触手の数はわずかしか減らない。
まさに
――キュエェェェ!
触手ごときに負けるかと吠えたのか、ホルンは連続して真空波を放っていき……何度も何度も放たれた衝撃波は多くの触手を屠っていった。
「いいぞ、ヤツの胴体を狙うんだ!」
――キュエッ
ホルンは気合を入れると体全体を反らして少しのタメを取り、そして渾身の真空波を放った。
その進路にあったいくつもの太い触手は無残にも真っ二つになり、 そのままサウザンドテンタクルスの胴体も真っ二つになる、そのはずだったのだが。
「くっ、さすがに距離が遠かったか……」
少しの傷はつけたものの、威力が足らず真っ二つにするには至らなかった。
そんなダメージをものともせず、巨体は向かってくる。
でかい。そんな感想しか浮かばない。20mどころじゃない。
見上げたタワーマンションのような、今にも押しつぶされそうなそんな威圧感を感じる。
だが……。
リゼルも気づいているだろう。
圧倒的な海の王者。この世に顕現してからこいつに敵はおらず、暴虐の限りを尽くしてきたのだろう。視界に入るものはただの餌。長きに渡って、そうやってこの巨体を維持してきたはずだ。
それは今俺たちを襲い続けている触手に表れている。
何度やられても学習もせず同じ攻撃を繰り返すこの触手に。
悲しいかな、こいつは今まで自分よりも強いやつに出会ったことが無かったのだ。
危険であるとか、恐怖であるとか、そういう負の感情を知らないのだ。
「手加減はしないぞ。弱肉強食、それがお前の生きている世界の
ああ。その通りだ。
力が無くては相手を蹂躙することも食べるために殺すこともできない。相手の力を上回ってこそのシンプルな理屈だ。
「ホルン! 一撃で決めるぞ。ライトニングドライブだ!」
――キュエェェッ!
リゼルの言葉にホルンが応える。
『ライトニングドライブ:一角獣族のグロリアが使用する固有技。角に電撃を集めて帯電させ、回転の力を加えて相手を打ち抜く突進技。通常の突進の威力を1とすると、角が帯電することにより2倍、回転を加えることで2倍、さらに気合を入れて突進することによって3倍の合計12倍の威力を誇る。習得難度は高く一部の優秀な個体のみ使用する事が確認されている』
さきほど触手を焼き払った強力な電撃を角に集めていくホルン。
いくらかは水に放電されているようだがそれを上回る帯電を体内の発電器官が可能にしているのだ。
帯電と同時に、頭部の角を軸に激しく体を回転させ始める。
回転が海水の流れを生み出し、やがて竜巻のように激しい水流が生まれる。
横向きに発生した竜巻がサウザンドテンタクルスの体に到達した瞬間、回転の中心であった5mの巨体が消える。
いや、あまりの突進スピードのために消えたように見えたのだ。
俺が気づいた時には、大穴の開いたサウザンドテンタクルスの向こう側でホルンが回転を止めた後だった。
力無く海中を浮遊するそれは俺たちの勝利を意味していた。
――キュエェッ
ホルンが勝利の雄たけびを上げ、力なくゆっくりと浮上し始めたサウザンドテンタクルスを横目にリゼルの元へと戻ってくる。
「よくやったぞホルン。よーしよーし」
リゼルはそのすり寄ってくる白い巨体に触れると、ゆっくりと撫で、ねぎらっていた。
◆◆◆
ビーチに戻ったリゼルは事の顛末を依頼主に報告した。
倒したサウザンドテンタクルスは船に係留して持ち帰って来た。
証拠として提示するためだ。
幸いにも船は触手に沈められておらず、横転していたものの航行可能な状態だった。ニードルフィッシュの襲撃でボロボロであることは言うまでもないのだが。
船はボロボロになったものの、依頼主である領主はリゼルの仕事ぶりを高く評価し、追加報酬としてサウザンドテンタクルスを買い取ると言ってくれた。
海のはぐれグロリアは貴重な食材でもある。
それもめったに見ない貴重なBランク
お抱えのコックによって
俺たちもそのご
それでも大量に残ったため、しばらく領内のイカ価格が下落したらしい。
こうして、俺たちのバカンスは終了したのだ。
え、何日かビーチに滞在したのかって?
なんのなんの、即帰宅して修行再開でしたよ。
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