012 リゼルとのせいかつ1

「ほら走れ! ちんたらしてるんじゃないぞ!」


 リゼルの叱咤激励しったげきれいが飛んでくる。


 ひぃひぃ、走れって言われてもさ、俺はもう必死なんだよ?

 さっきから1時間は全力疾走中だ。

 俺の後ろからは犬型グロリアのグレーターハウンドが恐ろしい形相ぎょうそうをして追いかけてきている。

 体長1mの大型犬くらいの大きさで、茶色と黒の混じった短い毛を持っており、三角の耳はぺたんと前に折れ曲がっていて可愛い。

 ……はずなのだが、そんな姿とは裏腹に少しでも速度を落とそうもんなら噛みついてやると言わんばかりに、太陽光にキラリと映える鋭い牙をアピールされている。

 あれで噛みつかれたら痛いどころでは済まない。

 いや、俺の体は噛みつかれても痛みは無いのだが、脳が人間だったころの感覚を覚えていて怖いのだ。


 そんなわけで皆さんこんにちは。

 俺は有馬健太郎ありまけんたろう。35+5歳のスライムです。

 現在修行中の身です。


 必ずジャックスライムに進化してレナの元に帰るんだ、という強い決意を持ってはいるものの……。

 先の見えない展開と、厳しい修行に心が折れそうです。


 走り込みの疲労と後ろから迫る恐怖から気を紛らわせるために、愛しのレナと別れてリゼルと苦行せいかつし始めた頃の話をしようと思う。


 ◆◆◆


 その時俺は空を飛んでいたんだ。

 大きな鳥に乗って。


 実際には俺はリゼルの腰のベルトに取り付けられたクラテルの中にいたのだが、クラテルの中から周囲の情景、空気の流れる音など、空の上である事を感じ取っていた。

 クラテルの中では飛行機に乗っている時のように離陸時や降下時に重力がかかったりすることは無いため体感としては物足りないものがあったが、どこまでも広がるパノラマ大情景は確かに空を飛んでいるのだと認識するのに十分すぎるものだった。


 ブライス家からはリゼルのグロリアであるヴァリアントホークに乗って空を旅している。

 ヴァリアントホークは全長4メートルはあるかという大型の鳥型グロリアで人を数人乗せて飛ぶことが出来る。日の光に羽がきらめいて金色に光っており、その神々しさから地方に行くと神の使いとしてあがめられているのだ。

 ちなみにあまり見ることがないCランクグロリアで、実は気性が荒く人に懐きにくい。

 そのヴァリアントホークを手懐けて意のままに操っているリゼルの姿は、さすがはグロリア専門家であると頷かずにはいられない。


 いくつもの山を越えて、いくつもの川を越えて、途中休憩を挟んで飛ぶこと丸1日。

 人が立ち入らない深山の中、それはあった。


 リゼルの拠点ベースだ。


 切り立った山間部中腹のぽっかりと開けた場所。そこに平屋建ての建物と柵で囲われた広大な庭が現れて俺を驚かせたのだ。

 遠目の上クラテルの中からでは確認しにくいが、庭には数多くのグロリアがいるようだった。


 ヴァリアントホークが着陸し、ひらりとそこから飛び降りたリゼルはクラテルから俺を出した。


 しっかりと地に足をつけた俺は、改めて周囲の様子をうかがう。


 上空から見るのとは全然違った光景だ。

 庭は端から端がかすんでいるほど広い。

 庭の四辺の一方は切り立った崖であるのは空から見えたのだが、その開けた視界の先には雄大にそびえたつ山々が連なっており、どこまで行っても途切れる様子は無く、人が立ち入ることのない場所であるのが見て取れる。


「さてスー。お前はこれからここで暮らすことになる。甘やかされていた屋敷での生活とは根本的に違うから覚悟しておくことだ」


 しょっぱなから不穏な言葉をもらった。


「まずは輝力を制限する。その状態に慣れるためにクラテルに入ることは許可しない」


 んんん? 何を言ってるんだ?


 到着したところだよ?

 長旅お疲れ様さあ休憩だ、じゃないの?

 まあ、ちょっと休憩して果実水ジュースでも飲もうよ。

 俺はクラテルの中に入っていただけなので疲れてはいないのだが、リゼルは疲れてるよね?


 そう思った瞬間、俺の体を不快な感覚が襲った。


 これは……俺がダークスライムに進化した後、レナが衰弱した時の感覚に似ている。

 まさかとは思うが、俺に供給する輝力を減らしたのか?

 そんなことが可能なのか?

 

「辛いか? もう修行は始まっている。まずお前は少ない輝力の環境に慣れなくてはいけない。圧倒的な輝力不足の状況で生存する。それがジャックスライムへの進化のキーだからだ」


 などとリゼルが話しているうちに、その影響はもろに俺のスライムボディに表れてきた。

 体内に残っていた輝力は底をつき、あれだけハリとツヤがあった自慢のボディが見る見るうちにしわしわになっていく。

 俺は球形の維持も出来なくなり、いつもの力尽きた状態のように、水たまり状になってしまった。


「む、相当甘やかされていたのか、思ったよりも貧弱だな。

 たったこれだけで外形も維持できないとは……。

 仕方ない、この状態では移動も出来んだろうから、少しだけ輝力を増やしてやろう」


 はぁはぁはぁ……。

 死ぬかと思った。あのまま行けば数秒後に意識が飛んでいただろう。


 俺はかろうじて体を球形に保つことに成功するが、非常に体が重い。言うなれば手足に重りの入ったリストバンドをつけて超重力の中うさぎ跳びをしているような感じだ。

 何を言っているのか分からないと思うが、俺もよく分からない。


「ほら行くぞ、着いてくるんだ」


 そんな俺の様子を一瞥いちべつして、リゼルは建物の方へと歩き出した。


 ちょ、ちょっと待って!


 スタスタと歩いていくリゼルの後ろ姿から、まったく見知らぬ場所で一人放置される怖さと寂しさとが込み上げてきて…………俺は体を引きずるようにして必死に彼女の後について行った。


 そんな感じでここでの苦行せいかつが始まったのだ。

 思えば最初からリゼルはスパルタだった……。


 ◆◆◆◆


 彼女、リゼル・クーシーはグロリア専門家である。

 グロリア専門家とは何ぞやということだが、その仕事の一つは育成。

 俺のように契約者と適合しなくなったグロリアを育成したり、習得難易度の高い技をグロリアに覚えさせたり、体調不良のグロリアを引き取りリフレッシュさせたりする。


 二つ目は調査。未だ謎に包まれたグロリアの生態の調査を行うのも仕事の一つだ。

 この拠点ベースには生態調査のため何種類かのグロリアが放し飼いにされている。俺が拠点ベースの中で見つけたのはDランクグロリアのコールドボックスと、Cランクグロリアのゴブリンハンターとハニーレオンだ。


 コールドボックスは箱型のグロリアで、その体内に物を収納する性質があり、収納された物を冷蔵または冷凍保存する謎の生態をしている。

 ゴブリンハンターは植物型のグロリアで、肉食だが果実が美味で重宝されているのが特徴だが、名前通りゴブリンを食べるのかは調査が急がれるところだ。

 ハニーレオンはカメレオンのような変温グロリアで、体内で甘い蜜を作り出すためお菓子職人に大人気のグロリアだ。採れる蜜は時期と個体によって甘さにばらつきがあり、解き明かしたい謎の一つとなっているという。


 もちろんこれらのグロリアは全てリゼルと契約しており、並外れたリゼルのグロリア許容量の大きさを物語っている。


 三つ目は討伐。人に危害を加えるはぐれグロリアを退治する事だ。

 はぐれグロリアは通常人間の生活圏ではない場所に生息するので影響はないのだが、何らかの理由で人里まで降りてきたり旅の一団と遭遇したりすることがある。

 例外なく狂暴で、人間を見ると躊躇なく襲い掛かって来るため討伐せざるを得ないのだ。

 

 これらの仕事をこなしているリゼルは多忙も多忙だ。

 そんな中で俺の育成も行っているため、頭は上がらない。

 かと言って……。


「ほら、あと10周だ。気合を入れろ、走り抜け!」


 こんなスパルタは勘弁してほしいと思う……。

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