011 示された未来

 リゼル・クーシー


 彼女は若くして何体ものグロリアと契約している契約者マスターなのだ。

 並外れたグロリア許容量を持った彼女はその才能を生かし、グロリアの生態調査や行き場をなくしたグロリアの保護を行っている。

 また、人間に害を及ぼす『はぐれグロリア』の討伐も行っている。


 人間の立ち入らない深山や深海といった場所には瘴気しょうきという陰のエネルギーが溜まりやすく、特に瘴気が濃い場所ではその瘴気に呼ばれる形でグロリアが召喚される。

 このグロリアの事をはぐれグロリアと言い、瘴気を糧として活動するため通常のグロリアと比べて狂暴であり、契約者マスターを持たないのに消滅することは無い。

 それらが繁殖・分裂などを行う事で生まれた子孫もはぐれグロリアと呼称されるが、通常のグロリアに比べてこれらはぐれグロリアの生態はあまり解明されておらず、リゼルの調査対象でもある。


 リゼルの調査によって解明されたグロリアの生態は人々の生活を変えるほどのものもあり、リゼルはこの界隈かいわいの期待の星だと言う。


 そんな優秀なグロリア専門家なら、きっと良い案を出してくれるに違いないとブライス家の面々はそう思ったのだ。


 俺たちは今お屋敷の応接室にいる。

 俺たちの対面には足を組んでソファに座るリゼルの姿。

 ぴっちりとしたスーツというか自身の足がこれでもかと誇張されているようなそんな黒のズボンをはいて足を組んでおり、若干目のやり場に困る。

 当の本人は全く気にしていないようで、たぶん動きやすさを重視しているのだなと分かる。


 俺はソファとソファの間にあるテーブルに乗せられている。


「それでは少し拝借する」


 大きさ的にはグラスランドスライムEランクだったころと変わらずバランスボール大の俺だが、今はしわしわの干し柿のようになってしまっている。

 レナの生命力を奪わないように、俺のほうで輝力を受け取るのを止めているのだ。


 リゼルは革手袋を外すと、そんな干し柿状態の俺の体の表面を素手でザリザリとなでていく。

 ひとしきりなでられた後、両手で持ち上げられ、上下左右に振られる。

 今は生命維持も一苦労なので、なされるがままの俺。

 スライムボディ中の水分がかなり失われているので結構軽いと思う。


 切れ長の目をピクリとも動かさず無表情で俺の状態を確認するリゼル。

 すると、今度はしわしわになった俺の体を自分の胸で抱きかかえ、交差させた腕を絞り上げるように力を込められて……つまりベアハッグされた。

 

「リゼルさん⁉」


 その行為に驚いたパパが止めに入る。


 痛みは感じないとはいえ、固い革アーマーに押し付けられて腕で締め付けられたらちぎれてしまう。

 水分が少なくなっているので、パキッと折れてしまうかもしれない。弱っているんだから勘弁。


「ええ、別に取って食ったりはしませんよ。確認していただけです」


 そういうとへろへろになった俺をテーブルの上に戻した。

 すかさずレナが俺の体をなでてくれる。

 

「レナ……さん。だったね」

「は、はい!」


 急に名前を呼ばれて驚くレナ。

 

「見ての通り、このスライムがこんな状態であることはキミが原因だ。スライムが悪いわけじゃない」


「は、はい……」


 固い表情を崩さないリゼルに正論を突き付けられたレナ。

 反論もできずに視線を外してうつむいてしまう。


「このスーとて、好きで進化したわけじゃあない。

 本来なら契約者マスターがきちんと計画立てて育成していくべきであり、それを行う事が出来なかったのなら契約者マスター失格だと言ってもいい」


 お、おいやめろ!

 レナはまだ10歳なんだぞ、もう少しオブラートに包んだ言い方もあるだろ!

 トラウマにでもなったらどうするんだ!


 俺はしわしわの干し柿ボディを震わせてリゼルに抗議する。


「ふむ、いっちょ前に契約者マスターをかばおうというのか」


「いいの、スー。ありがとう。

 でも、この人の言ってる事レナは分かるから。

 レナがしっかりしてないから、スーには辛い思いをさせてるの」


 揺れる俺の体をレナの小さな手が制す。

 俺に触れたその手は震えているわけでもなくリゼルへのおびえを感じさせるものでもなく、ただ俺に対する優しさを感じた。


「そうだレナ。それは理解しているようだな。

 キミは契約者マスターとしては未熟だ。今も自分のグロリアに守られている。そんなキミに何が出来る?

 苦しんでいる自分のグロリアに、契約者マスターとして何ができると言うんだ?」


 ぐぬぬ、レナが優しいからって、言い返さないからって好きなこと言って!

 レナ、もういい、俺が我慢すればいい事だ。


「出来るもん!」


 突如レナが大きな声を上げた。


「スーはいつもレナを助けてくれる。だから、レナ、スーのためなら何でもやるよ!」


 レナ……。

 強くなったな。こんな怖いお姉さんに一歩もひるまずに言い返すなんて。

 最初にあった日にガン泣きしていたのが遠い日のようだ。


 レナの視線とリゼルの視線が交錯する。

 レナの目が語る強い想いを無言のリゼルが受け止めているかのように見える。


 長い長い時間にも感じた。

 実際には一呼吸だったのかもしれないその間の後、リゼルがようやく口を開いた。


「いいだろう……。

 では伝えよう。

 レナ、キミにはこのスライムとの契約を破棄してもらう」


 伝えられたのは最悪の手段。

 リゼルの口から出たのは、レナが俺との契約を破棄する、というまさに最悪の内容だった。


「い、嫌です!」


 レナが声を荒らげた。

 無理もない。俺も口があったら即反応しているところだ。


「ああすまない、話がシンプルすぎたな。

 契約の破棄は途中経過に過ぎない。


 正確には契約を破棄し、スーを私に譲渡してもらう。

 まずはこの方法でレナの生命疲労をなくし、スーが顕現し続けるための輝力は私が担う事にする。

 そしてその後、私はスーを鍛え上げる。

 ダークスライムよりも契約者マスターの輝力消費が少なくて済むジャックスライムへ進化させる。


 とはいえレナ、キミのほうもグロリア許容量を上げる修行をしなくてはならない。

 ジャックスライムに進化したとしても今のキミのグロリア許容量を超えているからだ。


 キミには今まで通り学校に行きながら、その修行もしてもらう」


「それって……」


 レナの表情が曇る。


「そうだ、今日から君とスーは離れ離れとなる。

 そうだな、ざっと5年というところか。

 残念だが途中でお互いに会うことは出来ない。スーの進化が止まってしまう可能性があるからだ」


 ご、5年だって⁉

 5年もレナと会えなくなるのか?

 さすがの内容に俺の心が揺れる。


「この提案が飲めないのであれば私は協力しない」


 リゼルは無言のレナ達をじっと見ている。

 パパもママもリゼルの言葉に何も言えずにいる。

 突きつけられた解決策はそれほど重いものなのだ。


 そんな重苦しい雰囲気の中、少女が口を開いた。


「分かった。レナ頑張る。

 スーのために何でもするって言った事。

 それはウソじゃないよ。

 離れ離れになるのはすごく寂しいけど、レナ頑張るから!」


 レナ……。

 そうだな。大人の俺が寂しいとか離れ離れになりたくないとか言ってられないよな。

 わかったよレナ。俺も頑張るから。


「いいだろう。レナ、キミの覚悟は分かった。

 ではブライスさん、よろしいですね?」


「ええ……。

 私はレナの気持ちを尊重するし応援している」


 マーカスパパは静かにそう答え、レナの方へと向き直る。


「さあレナ、クラテルを出しなさい」


 パパに促され、レナは無言のまま正方形のクラテルを手の上に乗せ、俺をクラテルの中にしまう。

 そしてリゼルもカバンからクラテルを取り出す。

 こちらは円柱型のクラテル。他国で製造されたクラテルだ。


 無言でクラテルとクラテルを接触させる二人。

 そしてレナのクラテルの上に手をのせるマーカスパパ。


契約者マスターレナの名において、汝、スーとの契約を破棄し、新たに契約者マスターリゼルとの契約を結ぶことを認可する!」


 レナがしっかりと、一言一言をかみしめながら言葉を発していく。


 これがグロリアの譲渡の儀式だ。

 成人であれば契約者マスター同士で行われるが、契約者マスターが未成年の場合は保護者による追認が必要となる。


契約者マスターレナを守護する我マーカス・ブライスがこの儀式を承認する!」


 とたん、俺の体は何かにひっぱられるような感覚がした。

 リゼルのクラテルに移動したのだろう。

 その証拠にクラテルから見える外の様子は、今まで見えていたリゼルの姿からレナの姿に変わっている。

 

 これで俺の譲渡は無事に済んだことになる。


 俺の心はまだ複雑だ。

 俺の契約者マスターはレナではなくリゼルに変わったのだ。

 それは生まれてこの方ずっといっしょだったあるじが変わったことを意味する。


 いや、よそう。10歳のレナが感傷を振り切っているのだ。

 35歳+5歳の俺がそんな女々しい事を言うまい。




 譲渡が終了し、リゼルがお屋敷を出る。

 レナ、ママ、パパも見送りのために外へと出てきている。

 レナは気丈にも笑顔を作ろうとしているのが分かるが、三人ともその表情は硬く暗い。


「しばらく会う事は出来ないんだ。お別れをするといい」


 とたん、クラテル越しの視界から俺の視覚が捉える視界へと切り替わる。リゼルが俺をクラテルから出したのだ。


 パパとママの間に立つレナと目が合うと、僅かな間も置かずレナが俺に抱き着いてきた。

 リゼルの輝力を得てつやの戻った黒色ぷにぷにスライムボディがレナの体重を、体温を俺へと伝える。


「スー、元気でね。レナも頑張るから……。

 ひっく、ぜったい、ひっく、つよくなって、ひっく、スーの契約者マスターに、ひっく、りっぱに、なる、ひっく、から……」


 泣くまいとしていたのだろうが、溢れ出す感情が抑えきれなかったようだ。

 俺だってそうだ。涙腺があれば体中の水分を出し尽くすほどに泣いているだろう。

 俺はレナの気持ちを受け止めるように、ゆっくりと体を震わせる。 


 レナ、俺も頑張るよ……。

 絶対に進化して、レナに迷惑をかけない強いスライムになって帰ってくる。

 その時はまたピクニックに行ったり、祭りに行ったりしような。


 そして辺りにレナの大きな泣き声が響き渡った。

 それはまるで俺とレナが最初に出会った時のようだった。


 だけどその時と違うのは、俺もレナもお互いが大好きだっていうことだ。




 またな、レナ……。


 お別れを済ませた俺はクラテルに収納され、リゼルの鳥型グロリアに乗って空を舞っている。


 こちらを見上げるレナの姿がクラテル越しに見える。

 それはだんだんと小さくなり、やがて見えなくなってしまった。


 こうして俺はレナとの別れを乗り越え、修行の道へと入った。

 新たな契約者マスターリゼルの元で。

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