第9話 8-3

  /4  午前九時十四分


     〝藍沢雅臣〟


 執務室。有馬誠が死を遂げた場所だ。

 調べた結果、たしかに有馬誠に多くの罪があることが判明した。自業自得と言ってもいい。おそらく、死んでもいいと言える存在なのだろう。

 だが、僕にはそう思えない。

 たしかに彼は非道な男であった。そんな男に金をもらったのだと思うと、あまり良い気分ではない。

 だとしても、この世に殺されていい理由など存在しない。それが正義のよる悪への断罪だったとしても、そんな自己中心的な正義など正義とは言えない。単なる私怨だ。

 だから、それは受け付けられない。

 誠殿、あなたはたしか、僕にこう言った。犯人を捜しあて、そいつを殺せと。だけど、それは藍沢の信条に反する。

 だから僕は殺さない。


 僕はそう決心して、部屋から出た。

 まずは警察に電話だろうか。

 そして僕が部屋から出ると、白い彼岸花のように美しい女性が、そこにいた。


「あら、藍沢さん。父の部屋にいたのですね。あ、それよりお父様は……?」

「……お嬢様。大変図々しいとは存じております。ですが、どうしても頼みたいことがあるんです」

「はい? どうしたんですか? そんなに堅くならなくていいんですよ」

「では遠慮なく。警察に電話していただけますか。ここで殺人があったと」

「殺人……!? な、なにを……」

「お願いします! 今、頼れるのはあなただけなんです!」

 僕は頭を下げて言った。今までにないくらいキリがいいものであったと自負できるほど。

「それじゃ父は……?」

 僕はそこでは何も言わなかった。その沈黙を正しく受け取ってもらえたようで、姉の有馬冬子は「わかりました」と言った。

「それでも質問したいことがあります」

「はい」

「いったい、誰が……?」

 僕は顔を上げて、彼女の瞳のなかをじっと見つめるようにして言った。

「有馬直子。彼女しかいませんよ。あなたに成り代われる人なんて」

「……それなら、わかります」

 彼女もある程度の事情を理解していた、ということか。

「それと私からも一つ。静希さまの行方はご存じですか」

「さっき部屋に行ったんですけど、いなくて。どうしてですか?」

「まずい……! とりあえず電話よろしく頼みます!」

 危機感。それが頭部から噴き出す冷や汗となっていくの感じた。その瞬間にはもう、全速力で有馬冬子から離れていた。背後から声が聞こえるが、悪いがそんなのは無視。

 屋敷のロビーにたどり着く。狭い間隔で鳴り響く足音。赤を基調とした内装は、なぜか見るだけで急がないといけないという思いが強まっていく。


 どこにいるだろう。

 有馬冬子が言うには、静希は自分の部屋にはいない。

 もし僕が犯人だとしたら、どこに隠す? 屋敷の全体構造が頭に浮かぶ。

 条件としては部屋の数が多く、通常鍵を閉められている場所。


「藍沢さん?」

「澪先輩?」

 東館から出てきたメイドのその子は、この屋敷の全体構造をきちんと捉えているはず。なら聞いてみたほうがいいだろう。

「澪先輩!」

「は、はい?」

 僕は彼女に迫った。急ぎたい一心だったからか、彼女を少し怖がらせるまで距離を詰めてしまった。僕は自分が冷静さに欠けていることに気づいて、少し離れる。

「ど、どうしたんですか?」

「一番部屋の数が多い場所ってどこですか。それと、通常は鍵が閉められている場所」

「え、えっと……それなら二階の西館……だと思うんですけど」

 わかりました、と僕は言った。

「あ、あそこは立ち入り禁止で……!」

「今だけは許して!」

 僕は彼女に背中を向けて言った。

 階段を昇り、僕は二階の西館に入った。異質な空間だ。異常なまでに怪しい雰囲気が漂う場所だった。


「暗いな」


 僕は最初から持っていたペンに懐中電灯の機能がついたその道具を胸ポケットから手に取り、目の前を照らす。


『焦りは罪だが、急ぐのは善行だ。それと常に冷静さは保て』


 ふと教えられた言葉を思い出す。僕は幾度もその言葉を咀嚼して突き進んだ。


 どの扉も南京錠で閉められている。ピッキングぐらいは可能だが、針金は一本しか持ち得ていない。だから開けるとしても一発勝負。あまりにも上等すぎる勝負だ。


 どうすれば区別できる。

 どうすれば静希と犯人が入っている場所を特定できる。


 何か、決定的な足跡が一つでもあればいい。それを決して見逃すな。見逃したらそこで終わりだ。


 どこにある……! 

 頼む、何か手がかりを……!


 僕はそこで、何かを見落としていたような気がして立ち止まった。ドアの前。なにか破片のようなものがある。


「ガラスの破片……?」


 小さなガラスの破片。それと光が当たっていた壁には薄いけれど、血痕が残されている。


 一か八かになる。それでもいいのか。


「上等。やってやる」


 僕は左ポケットから針金を手にした。冷たい感触。全身から噴き出す汗。体温は見事に上昇している。でも、それでも指先だけは冷たいままだった。

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