第4話 3-2

 /6 午前八時三十五分  有馬邸


     〝有馬静希〟



 ふと、目が覚めた。

 カーテンで閉めていたはずの窓から白い日差しが俺のベッドを照らしていた。その光のあまりのまぶしさで、俺も自然と目が覚めた、というわけだ。

「んぅ……あれ、今、何時?」

「十一時三十五分でございます、静希さま」

「ああ、そう……って、えぇ!?」

 水川澪──俺専属のメイドこと澪が放った言葉は、俺の脳髄を刺激するほどの威力を持っているように思えた。

「やべぇ、準備しないと」

 誰よりも速く、光速をイメージしてベッドから跳ね起きる。すると部屋にあるクローゼットを開けて、俺は制服を取り出そうとした。

「あれ、制服は?」

 しかし、そのなかになかった。どこにも。

「洗濯を終えて、お外で干しております」

「な、ななな」

 なんで、と言いかけたとき澪の口が開いた。

「静希さま、なにをあわててらっしゃるのですか」澪は不思議そうに首をかたむけた。「今日は学校お休みですよ?」

 澪の放ったその言葉は、暴走しかけた脳を鎮める、いわば鎮静効果があるように思えた……。



「今日は、創立記念日、だったのか」

「はい」

 俺としたことが、祝日であったことを忘れるなんて……失態だ。そういう祝日は先月には把握はあくしておく俺が忘れる。よほど疲れていたのだろう。

「そっか。じゃあとりあえず今日は朝ごはんを食べてから、適当に外に出てこようかな」

「それは、なりません」澪は言った。「起きたばかりですからニュースをご覧になっていないのは承知ですが、昨夜、また例の殺人の被害者が増えたそうです」

「は? 冗談だろ、もう五件目だぞ」

「数でいえば八人目です。四人が失踪して、学校近くの路地裏でその遺体が見つかったそうです」

「警察は何をして──」

 俺が言葉をいいかけたとき、澪は「しかも、その一人は学校の生徒である、と」なんて言った。

 体が震えあがるのがわかった。

 たしか、昨日の夜に誰かが出かけると言っていた。ある親友だった。その言葉と、今わかった事実との辻褄つじつまが合って、突然、頭が白くなった。

 頭が白いまま、机に置いてある携帯に手を伸ばす。そして手にとり、その親友の連絡先に電話をかけた。

 一コール目が鳴って、そのあと、二、三、四、五……と続いていく。出ない。出なかった。

 くそ。どうして出ない。いつもならお前、ワンコールで出てくれるだろ。だってのに、どうして今出てくれねえんだよ。

「もっかい……!」

 もう一回、さきほどの連絡先に電話をかける。

「次こそ……」

 出てくれるはず、と信じて待った。

 一、二、三、四……と待っても、出てはくれない。

 しかし、一向に出ない。

 俺は急いで部屋をとびだした。「あ、静希さま!」と俺を呼ぶ澪の声がしたけど、それよりも親友の存命を確かめたかった。俺はまっさきに居間にとりつけあるテレビをつけた。一番最初に映ったのは望んでいたニュース番組。場面はなにやら何かの事件現場のそばでの撮影のようだ。一人の背広姿の男性がマイクをもって現場の現状を話している。


────そして、すぐに。


 場面は切り替わる。

 失踪した四人の写真と、名前や素性が明かされていた。右からその顔を見ていく。一人目、違う。二人目、違う。三人目、違う。四人目……ああ。

 どくん、と心臓が高く跳ね上がったのがわかった。そのどこか小僧っけのある顔、太い眉、若干高い鼻、細長い輪郭りんかく、そんな見覚えのありすぎる人の顔。その下に、


「中村……だい、すけ……」


 俺が親しみをもって呼んでいた「大輔」という文字が、そこに映っている。一文字も誤字なんてない。その苗字だって知っている。それにこの顔は、昨日の昼に馬鹿な話をしていたときの、まぎれもないあいつの顔──なんだ。


 崩れおちるように膝をつく。床に両手をついて、嗚咽おえつをもらした。胸が熱くなるし、まぶたの裏は熱くなるし、しまいには涙が出ている。大粒だ。鼻水も出てきた。

 長いようで、短い付き合いだった。

 中学からの付き合いだった。クラスメイトになって、きっかけもなにも、肩がぶつかってお互いに言い合って、そのあとに和解した、なんていうくだらないもの。

 けれど、そのあとの思い出は数えきれない。

 そういえば。

 俺が中学に入って、あいつに出会うまでは、こんなに明るくなかった。沈んでいた自分を起こさせてくれたのは、紛れもないあいつだった。


────ばかやろう。


 自分に叱った。

 それに対してお礼も言っていなかった。いつか言おうと思っていた言葉を、俺は言えずにいた。たんに恥ずかしかった。ただそれだけだった。でも、どんな理由であろうと、俺はあいつに礼を言えずにいたことは罪なのだろう。


────なんで、死ぬんだ。


 なんで。

 俺と話して、ばかやって、笑いあって、喧嘩しあった奴は死んでしまうんだろう。

 また、だ。

 また俺は失った。

 あいつも、かつての親友も、なんで狙ったように親友が死んでしまうんだろう。



────記憶のはこが、開かれた。



 鮮血が目の前に広がっている。

 オレはたしかにそこにいて、ある少年は、赤い血を被って倒れていた。

 脳髄にうったけえかけるような鈍痛。まるで鈍器が頭にぶつかったみたいだ。


────視界が赤い。


 オレはというと、その少年の首を、両手でおおって、相手はもう意識も、命さえも失っているというのに、ずっとその首を狂ったように締め付けていた。

 少年の唇から泡があふれ出している。

 瞳もとっくに逝ってる。

 死んでいる。脳はそれを理解していた。完璧なまでに。

 だっていうのにオレは狂人じみたことをしていた。


────殺せ。


 誰かがそう言った。

 誰かがそう言って、オレはそれに従っただけ。

 だからオレは悪くない。その一心で相手が死してもなお、殺し続けた。


────そして、少年は。


 完膚なきまでに、オレに殺された。

 


「はぁ……!」


 俺はいつの間にか、ベッドの上にいた。

 脂汗あぶらあせをかいていたようで、ベッドはびしょびしょに濡れている。それに背中もびっしょりだ。気持ちが悪い。もちろん背中だけじゃない。ほぼ全身から汗が噴き出していた。


「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 心臓の動悸が走ったあとみたいに早い。

 体温が異常に上昇している。体が弱いのは事実だ。けれどこんなことは初めてだ。濡れるほどの汗の量。壊れそうなぐらいに高鳴る心臓音。こうやって自分の体を改めることが精一杯。今となって話すことすらままならないだろう。

「静希!」

「……え……」

 誰かが俺を呼んでいた。俺は自然と声をもらしていた。

 見てみると姉だった。血相を変えて、ぶつかってきそうな勢いで駆けつけてきた。

「よかった、目覚めたのね」

 横に溶けかけの小さい氷が入った水と、それに浸した布があった。おそらく俺を看病してくれたのは姉なのだろう。

「──なん、で……」

 喉を絞りだすようにして、俺は声を出した。声は枯れている。まるで九十代の爺さんみたいな声。その声を自分で聞いて、不安が胸につのるばかりだった。

「……聞いたわ。友達が、殺された……のでしょう?」

 姉は少し葛藤かっとうしたようにして言った。数秒ほど沈黙して、俺から目をそらしてから、姉は言ったのだ。

 友達。俺の、友達。その人の名前を思い出す。──大輔。それが俺の中学からの友達で、親友で、くだらない男だけれど面白い男だった。そいつの思い出はどれほどあっただろう。それを一つ一つ、花弁はなびらを大事にとるように、俺は思い出していた。

「あぁ……うあぁ……っく」

 胸が熱くなった。

 まぶたの裏が熱くなった。

 ぽろぽろ、涙が出てくる。殺して奴に対する憎しみよりも先に、悲しみや寂しさが胸にしみた。

 涙が真っ白の布団にしみを作る。その量は異常だった。

 そう。こんなことがさっきあった気がする。

 

 俺はあのニュースを知り、涙を流しながら過呼吸に陥った。もともと体が弱いゆえか、異常に動悸どうきが早くなったからだ。

 そこは談話室だった。そこには普段、俺以外に誰かが来ることはなかった。けれど今日は特別だったようで、珍しく姉が談話室に来た。そして、過呼吸を起こして倒れている俺を見て、ベッドの運び、看病をしていた、というのが姉が話してくれたいきさつだった。


「あいつは、すっごくくだらないけど、すっごく面白くてさ。たまに喧嘩することもあって、三日ぐらい口をきかなかったことがあったよ」そんな過去を、俺は熱にうかされたみたいに話していた。「でも、三日でそんなのはどうでもよくなって。結果的にまた遊んだんだ」

「三日坊主、なのね」姉ことは言った。「でも、すごくいい意味での三日坊主ね」

「ああ」

 俺は深くうなずく。

「でも、いなくなったんだよね……」

「──」

 姉は黙ってくれた。

 俺はというと、また泣きそうになった。胸やけを感じていた。


「そうか……そっか、そうなのか」


 自分に納得をさせるつもりで、そうか、と繰り返した。けれど納得できない自分が、後ろにいる。なんで、早く納得してくれないんだろう。そうやって、自分を痛みつけていた。


「静希」姉は強く言った。「たしかに受け入れなくちゃいけないことよ。いつまでも受け入れられないのは、子供だからね。でも大事な人が死んだことに関しては例外よ。いつまでも受け入れられないことだってある。それこそゆっくり時間をかけなくちゃいけない。でもやっぱり、いつかどこかでくじけて、泣いて、泣きまくって、終わってしまうことだってある。パターンはいくつもあるの。──私だって、そうだから」

「え?」

「でもね。だからって、何かものにぶつかったり、諦めて誰かを責めたりするのはだめ。受け入れられない、受け入れられる、の問題じゃない。これだけ……これだけは、どうか忘れないで」

 

 その言葉は、救いの手そのものに見えた。

 祈りのような、願いのような、そんな言葉。まるで自分に対しても言っているようだった。


「お願い、よ」

「うん、わかったよ、姉ちゃん」


 姉はそのあと、俺の部屋から出ていった。最初は俺の看病を続ける気がいたらしいのだが、さすがに相手に迷惑だ、と思い、俺は断った。それで、嫌々だったけれど姉はやっと俺に背を向けてくれた。

 姉を部屋から追い出したのは、別に姉が嫌だったからではない。俺自身、しばらく一人で考えていたかった。ただ体を微動だにせず、顔をうつむかせながら、何かを考えていたかった。

 親友のこと。犯人のこと。過去のこと。とりあえず、今回の事件のことを考えたかった。


 考えれば考えるだけ、大輔を殺したそいつに対する憎しみが音をたてて、膨張ぼうちょうしてくるだけだった。無駄なことかもしれないが、本気で殺したくなる。

「──なあ」

 一切人気のない俺の部屋で──静寂に満ちた空間で──反響する自身への問いかけ。

「──どうしても憎いとき、どうする?」

 あるいは、自身への試験だったのかもしれない。

「このままベッドの上で大人しくするか──」

 それは人として正しくないかもしれない。

 非道とは言わずとも、無謀なのかもしれない。

「それとも」

 覚悟なんて、お高いもんじゃない。

 ただ、大切なものを壊された少年が抱いた破壊衝動。

 なら、

「そいつを、歩けないぐらい、日常生活に支障がでるくらい」

 大人ならわかるだろ? 俺の、この気持ちが。どうしても抑えられない憎悪以上にたちの悪い衝動が。

「やってやるか」

 結論を言おう。

 俺はただ、親友の敵討ちをしたい。それだけだ。

 

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