第3話 2-1
/4 午後十三時五十五分 有馬邸
〝藍沢雅臣〟
「というわけなのだが」
──その本題、依頼の詳細を聞いて僕はうなずいた。
「まあ、とりあえず使用人として僕がここで働けばいいというわけなんですね」
「ああ、手間をわずわらせてすまないが頼む」
「謝る必要はないですよ」
僕はそう言った。
すると、誠殿は僕の後ろにいた使用人──水川澪さんを呼んだ。しかし誠殿の近くに寄る様子はなく、逆に僕のほうに寄ってきた。
「それでは、給仕服の着付けを行いますので、お部屋までご案内いたします」
「あ、ああ、はい」
どうやらこれから僕は使用人として、身なりを整えるらしい。まあ、こんな黒ずくめの背広では使用人には見えないだろう。第一、この見た目だ。
一見白髪と思われる銀髪、人とは思えないぐらいの肌の白さ、きっと誰もが見ても怪人と思わざるおえないのだろう。
子供のころも、よくこの見た目を馬鹿にされ、石を投げられた時期もあった。それとよく、この見た目で医師として働けたと思う。診る人が高齢者で、心の広い人たちが多い。
もちろん騒ぐ人もいたにはいたけれど、大半は綺麗な髪ねぇ、と言ってにこやかに笑ってくれた。あのときの労働環境には本当に感謝している。
「こちらです」
と、澪さん──澪先輩は東館の奥の部屋まで案内された。
澪先輩にうながされるままに僕はその部屋に入った。
そこは物置のような場所だったけれど、荷物の置き場所は整えられていてちゃんと人が通れるようになっていて、ほこりなど切許さない、みたいな勢いでよく掃除されていた。
「すごい綺麗ですね」
「ええ。この館のほとんどに清掃がいきとどいていますから」
「ほとんど? 綺麗にされてないところでもあるんですか?」
「二階の西館、はもうかれこれ何十年も掃除されていないらしいのですが、あまり気にしなくても支障はないかと」
そうか、と僕はつぶやいた。澪先輩は少し向こうに行くと、なにやら男性用の洋服を持ってきた。むろん、それが給仕服である。まっさらなシャツに黒のベスト、黒のズボン、そして黒のネクタイ。黒を基調とした、定番の服装である。イメージとしては執事のほうが近いだろうか。
「というか、今さらなんですが、男性用の服はあったんですね」
「どういうことでしょう?」
「いや、ここの屋敷に訪れてしばらく時間が経ったけど、見かけた給仕の人って女性の方だけでしたから。実は男性の方もいらっしゃったりするんですか?」
「いえ、おっしゃる通り、ここにいる給仕は女性だけです。男性はあなたが初めてでした」
「僕、だけ。しかし、それはまたなぜ?」
「……」
急に黙り込み、顔をうつむく澪先輩。
どうしたのだろう、と心配になり、一回澪先輩と名前を呼んだ。すると、呆れたような悲しんでいるような、そんな複雑なものを絡めた表情で、淡々とただ一言、つぶやいた。
「当主さまの、ご趣味です……」
「……」
なるほど、と胸中でうなずいた。
僕はさっそく、給仕服に着替え、今鏡の前に立ち、自分の姿を観賞しているところだった。
別に僕は異常な自己愛があるわけじゃないけれど、目の前の自分を見て、おお、と少しだけ感心したのだ。見事に似合っている、と自分は思った。とはいえ、助手に見られたらまず大笑い、続いて携帯を取り出し、ふざけて僕の写真を撮って、それをネットに上げるのだろう。……いまさらながら、彼の恐ろしさを再確認した僕。さっさと助手のことは忘れて、仕事のことを考えた。
実際、僕に残された時間は少ない。
誠殿は早期の解決を望んでいる。だからこそ僕は情報を集め、解決をしなければならない。
────ただ、忘れないで欲しい。
誠殿は本題のだいたいを話し終えたとき、そういった。
────犯人は私たちの中にいる。
僕はそれを聞いて、ひどく驚いたものだ。瞼を大きく、開けて、僕と誠殿の間にある机に身を乗り出して、「わかって、いる?」とその言葉を繰り返した。
────そして私が望んでいるのは、その犯人が本当にやっているのか、という裏付けと、
つまり今のところ証拠を集めきれないので、まだ確信は持てない。だけど、自ら動くと自分が殺される。だから誠殿は
僕を呼んだ。そういうことだ。
────その犯人の、排除だ。
それは訳せずとも、わかるものだった。だが、理解しがたいものだった。犯人の確保、であれば何も文句はない。だが排除とこの男は言った。──探偵、というただその事件の真相を探るだけの役である僕に、間違いなく、低く、重苦しい声色で、そう言った。
僕にその犯人を、殺せと命じた。
僕はそのとき、もちろん「冗談じゃない!」と言った。それは僕の役目ではない。それでは殺しになる。それでは僕が殺人犯となる。本末転倒というものだろう、と誠殿に怒鳴った。すると誠殿はしばらく沈黙して、こう口にした。
────案ずることはない。殺したとしても『事故』として処理される。
そういうことじゃない。
たとえその罪が公にはならないとしても殺人は、一生、自分を苦しめるものだ。どうしても拭い去れない大罪であることを、なぜあの人は理解できないのか。
もう、そのことさえ理解できないぐらい偉大になれたからだろうか?
そんなのは偉大なんかじゃない。
「どうしました、そんなくるしそうな顔をなさって?」
澪先輩は僕の顔をのぞきこんで、そういった。
「ああ、いえ。なんでもありませんよ」
僕は笑ってごまかした。
「ところでなんですが」
「はい?」
「車の免許は、お持ちですか?」
「はい、一応、持ってはいますが」
そもそも、ここの屋敷には車で来たので、免許は持っていて当然だった。
僕は車の免許をとったのは大学四年生の春ごろだ。一回、大学二年生ぐらいにとろうと思っていた。それでいざ試験を受けてみると、結果は惨敗という形だった。それから免許のことは諦めていた。先に原付の免許をとっていたし、移動手段には困っていない、と強がっていた。
けれど、そのときに恋人──のちに妻となる人ができて、車を使って、どこか遠いところへ連れていきたいと思い、再び勉強を始めて、試験を受けたらなんと合格できた。そのあとはすぐに彼女を誘ったぐらい、自分はとても喜んでいた。
「それでは、迎えにいってほしい方がいるのですが、よろしいです?」
「ええ、よろしいです」
「近くに進学校があるでしょう。校門前に待機していてください。本人には連絡しておきますので、きっと来られるかと思います」
「了解しました」
ということで、僕はすぐに自分の車へ向かうことに──
「お待ちください」
「はい、何かまだあるんですか?」
「失礼かとは存じますけれど。もしかして、自分の車で迎えに行こうとなどと思っていますか?」
「え? はい、そうですけど」
「あれでは他の者に示しがつきません。有馬家の給仕ともなれば、高級車で迎えいれるのが当然」
それはたしかに、とは思う。少し傷つきはするが──たしかに少々ぼろい部分がある。だが、僕は高級車など持っていない。
「なくても構いません。当家の車の使用は許されています」
「わかりました」
しかし。
おとなしそうな見た目に似合わず、意外と強気なところがあるのだな、と僕はなぜか感心していた。
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