第2話 1-3

   /3 午後十三時十五分 学校にて

          〝有馬静希〟


 午前の授業を終えて、食堂で昼食をとったところだ。それからは生徒各自で休憩をとる。昼休みだ。


 俺は庭のベンチである男と雑談をしていた。その男は俺がこの高校に上がったころの友人であり、それほど深い溝があるわけでもない。だが、まるで諸学校からの付き合いのように、仲がいい。はたから見れば、俺たちはそう見えるのだそうだ。べつだん、否定するわけではないけれど、その比喩はさすがに大げさだろうに。


「でさぁ、この前の日曜日にはるかちゃんと水族館でばったり会っちゃってさ」

「……」


 俺は黙りこむ。俺はただこの男の話を聞くだけに専念する。いや、もはや専念する必要性さえ感じなくなっていた。


「そしたらはるかちゃんにみずきちゃんとの関係を迫られてなぁ。……はぁ、まじ大変だったぜ?」


 この男が何を語りたいのか、なんて考える必要ない。

 俺は聞くだけに専念するのだ。


「ほかにもよ、みずきちゃんとはるかちゃんが対面して、イルカショーが修羅場になってるときにさ、そこでれいなちゃんに会っちゃったわけ。れいなちゃんもオレのところに駆けつけてさ。そしたらどうなったと思う? 睨みあってたみずきちゃんとはるかちゃんが、ぎょっと目を大きく開いて、オレとれいなちゃんを見比べてたんだ。……正直、あの顔は怖かったな」

「……くず」


 俺は聞こえないようにつぶやく。


「そしたられいなちゃんもその二人と睨みあってさ、しかもこっちをちらちら見てくるんだぜ? 次の瞬間にはイルカショーにとどまらず、水族館全体が修羅場と化したんだぜ」

「というか、よくそんなことがあった後で学校に来れるな。うちの生徒だろ、その子ら」

「いや、それぞれ他校の女の子だよ」

「それってつまり、その女の子ひとりひとり違う学校の生徒なのか?」

「ああ。万全を期して、ってやつだよ。あるいは備えあれば憂いなし、とも言うぜ」

「万全も何も、すっかり爆死してるじゃないか」


 はは、と軽快に笑ってみせる友人。


「大輔、お前ってやつは」


 大輔。俺の友人ではあるのだが、こいつに対して友人としての信用を失ってきているから、正直友人と言っていいのか、分からない。


 だが、この男にだって良いところはあると思っている。


 ときおり、俺が風邪をひいたりして学校を休むと、その日には必ず見舞いに来てくれたりするし、そのあとの看護もしてくれたりする。他には俺が家の鍵を失くすと、一緒に探してくれるし、しかも結果的に見つけてくれたのだ。


 だからこそ、俺はそんな優しいところが好ましいと思っていたのだが、しかしこの男はどうも女癖の悪さが目立つ。見間違えるくらいにこの男は女子に対して雑なのだ。


 この男が出した三人の女子はみな、俺に恋愛相談をしてきた子たちだ。大輔が好きなのだけれど、近づきにくい、など言って、なぜ俺なのかと理由を問うと、大輔と一番仲がいいから、と言っていた。三人とも同様に、だ。


 もてる男と友達って、辛いもんだぜ。


 大輔がもてることは最初に会ったときからわかっていた。そもそも彼は誰が見ても、そういった女を引き寄せる雰囲気をまとわせていたから、よほど鈍感でない限りはわかるはず。


 もちろん、彼がもてるのには理由がある。まず印象を決定づける見た目。清潔感あり、おしゃれな茶髪のパーマ、制服も着こなしているし、スタイルも女性顔負けの細い体をしている。


 そして性格はさきほど述べたように、仏のように優しいのだから、完全無欠と言っても過言ではない。あとは女癖が治れば、十分尊敬できる相手なのだが、その癖が周りの信頼を失っていることにいつごろ気がつくのだろうか、この男は。


 しかし周りとは言えど、あくまで彼と直接的関係をもつ者のことではない。俺をのぞく、彼のガール・フレンドたちは彼に夢中で、盲目となっているため、正しい道に進むことができないのだ。


 まったく哀れである。


「なんだよ、青春だろ青春」

「青春、なんて生易しいもんじゃないよ」


 それは青春の一言で片づけられるほどの濃度じゃないだろうに。彼の人間関係はあまりにどろどろとしている。その人間関係の複雑さを知らないのかわからないが、彼への評判を一切下げていないことに驚きだ。


「ところで話変わるけどさ。アレ、もう四人目らしいぜ」

「四人目って?」

「今朝のテレビ見てないのかよ」


 今朝を寝過ごした俺には知るよしもない話だ。


「ああ、そっか。お前、遅刻してたよな」


 そう言って、あははと豪快に馬鹿にするように笑う。馬鹿にされる原因を作ったのは俺だけれど、それでもやはり気分が落ちるので、そういったことはやめてもらいたい。


「ほら、あれだよ。最近話題になってるだろ、連続バラバラ殺人事件だよ」


 それを聞いて、心臓が飛び跳ねた錯覚を覚えた。


「へえ、どんな?」

「どんなって。一度くらいは聞いたことあるだろ? 路地裏でさ、必ず一人が獣に襲われたみたいに四肢や頭や腹を食いちぎられてて。だから野生動物がやったんじゃないか、なんて言われてたけど、状況から考えて人がやったとしか思えないんだ」


 そうだった。

 犯人は必ず路地裏で人を殺していて、しかも一人だけ。現場に遺された体を見れば、それはもう野生の肉食動物がやったとしか思えないのだが、状況から考えると野性的な生物がやれることじゃない。


「ま、それでよ。オレ、今日さ、仲間とナンパしに出掛けるんだけどよ、お前もどうよ?」

「今の話をしたあとで誘うか、普通?」


 大輔はへへ、と小僧らしく笑ってみせて、すぐにその笑顔を崩した。


「しっかし、何考えてんだろうな」

「誰が?」

「そりゃあ犯人だよ。なんで人を喰うなんてこと、考えんだろうなぁ」


 それは、たぶん────。


「食人衝動を抱えてるんじゃないか。その体自体が特殊になったなら、突発的な行動原理ともいえる衝動も特殊になる。体と心は一つだ。片方が変異すれば、片方も変異する。そういうもんだろう」


 それはまるで、俺の声じゃないみたいだ。冷たく、低く、俺じゃない誰かが代わりに話しているような気分。そのとき、俺のなかには知らない知識がふっとうするようにわいてくる。その感覚は、おせじにも心地いいものじゃなかった。


 それに……この事件の内容を聴いているとき、脳内にふと、誰かが「いいなあ」と羨んでいた。


 そんな自分に次第、気持ち悪くなってくる。


「どうしたんだよ、お前、なんか顔白くなってるし、唇も紫に──」

「……え、あ、ああ。大丈夫だよ」


 そうか、と大輔は言って、やはり心配そうな眼差しで俺の横顔を見る。


「えっとじゃあ、とりあえず心配だから保健室行ってくるよ」

「ああ、そうしたほうが身のためってもんだ」


 俺が立ち上がると、同時に大輔は立ち上がって、そのあとは俺が保健室に行くまで大輔が付き添ってくれた。保健室へ歩いていくと、しだいに気分が悪くなって、吐き気をも感じてきた。


 なんで、こんな──。


 俺にはとても不思議でたまらなかった。


 そのような人殺しの話をされると、心が騒がしくなる。

 まるで羨ましいと思っているような。

 自分が侵食されていくようだ。


 俺は……何を考えているんだ?

 なぜ俺が羨ましいと感じるのだろうか。

 なぜこんなにも、まぶたの裏に同じ景色が浮かぶのだろうか。


 ──それは真っ赤な景色。


 赤い赤いトマトがつぶれて、紅い紅い口紅で塗りつぶされていく。

 白かったその部屋は赤くなる。血、のように。


『しず、き──?」


 声が聞こえる。

 俺の名前を、呼ぶ声が。


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