第2話 1-2

    /2  午前九時五分 有馬邸にて

           〝藍沢雅臣〟


「藍沢様ですね、お話は伺っております。いま当主さまは執務室で用を済ませている途中ですので、居間にご案内いたします。そこでぜひお茶でも」


 美しいことこの上ないお嬢さんが現れ、僕を迎えてくれた。

 有馬一族。この地では有名な資産家であり、現当主である有馬誠殿の下には多くの会社がある。そのほとんどをあの男が成功へと導いているのが恐ろしい。


 その次期当主であるという子供も将来有望と太鼓判たいこばんをおされるほどの実力の持ち主だと聞いた。


 しかし、この娘は何者だろうか。彼女が着ているのは清潔感漂う白いワンピースだ。給仕らしい服は着ていないし、名家のお嬢さんらしい派手な服を着こなしているわけでもない。


「ああ、ちなみにわたくしは有馬冬子と申します」

「え?」


 僕は一瞬、反応に困ってしまった。

 彼女はそんな僕の様子を見て、くすくすと手を口にそえて微笑する。仕草こそは、純然たる淑女しゅくじょそのものである。


「ふふ、驚かせて申し訳ございません。まあ、たしかにこのようななりでは有馬家の娘には見えないでしょうけど」


 有馬冬子と名乗った少女は背中を向けて僕を案内してくれている。

 歩き方も不思議と見入ってしまうぐらいに綺麗なものだった。活力あふれる切れの良さ、けれど女性としての礼儀をあらかじめ備えつけられたような。そんなものだった。


 そう思ったあとで、いかんいかんと顔を横に振った。

 悪癖というか、性分というか。僕は初対面の人間をじっくりと観察するというもはや呪いのようなクセがあるのだ。


「こちらでございます」


 少女は振り返る。扉の横には『談話室』と書かれた札がある。


「ああ、どうもありがとう……ございます」

「そんな無理に敬語を使わなくても構いませんよ。わたくしはあくまで案内役なのだから」

「とはいえ、あなたはこの有馬家の……」


 娘なのだから、と言いかけたとき冬子嬢がその言葉をさえぎるようにして話した。


「いえ、いいんです。でも有馬家の娘というのはどうも苦手でして。実際、自己紹介のときにしか言わないんです」

「ああ、そうか。それはすまなかった」


 少し気まずい空気になったところで、談話室につながる扉を開けて入る。そこはよく整えられた部屋だった。もう一つの言い方で言えば、殺風景だった。


 そこにあるのはテーブルに、それをはさむように設置されたソファ。それ以外しか目立ったインテリアはない。余計なものは一切受け付けない、といったものだった。


 だが談話室とは思えないぐらいに広々としている。こういった本格的な豪邸に入る機会は人生に一度あるか、一度もないかだろう。その前者である僕は幸運の持ち主といってもいい。


 よし今度助手に自慢してやろう。


「では、しばしお待ちを」と冬子嬢は扉を閉めて、誠殿のもとへと行ったのだった。


 今日──十月九日。僕はある依頼を受ける。その依頼の概要はある程度、誠殿の電話から聞いたのだが、誠殿から「詳細は十月九日、屋敷に来てもらえれば説明しましょう」と告げて、電話を切られた。


 正直、面倒な話だと思った。

 手間のかかる仕事はそこまで好んで手をつけるような主義ではないため、電話を切られたあとは事務所にあるソファに自分の意識と共に体を沈めた。


 逃げ出したかったし、あまり会いたくないとも思っていたが、仕方なかったと言える。

 

 誠殿とは七年前に〝お世話〟になった。この有馬家とも縁があるともいえる。それほど深い縁ではないのかもしれないが。


 それから十分じゅっぷんほどで誠殿が談話室に来た。


 途中、水川澪みずかわみおと名乗る給仕にアールグレイ(あまり好きな茶ではないが)をもらい、すすっていたところ、突然扉が開く音がして、扉のほうを向くと想像通り厳格な雰囲気をまとわせた男がそこにいた。


 黒を基調とした配色の背広。

 この話が終わったら、おそらく仕事に行くのだろうがフルスーツと来た。沈んでいきそうなぐらい深い黒シャツに少し明るい赤のネクタイ。漆黒そのものと言える黒スーツベスト、黒スーツジャケット、黒パンツ。


 しかし一番困ったことが、奇跡的なまでにそれが彼に似合っているということだ。


 僕はソファから立ち上がって、その人に頭を下げつつ、挨拶をした。


「どうも、お久しぶりです誠殿」

「ああ、先日はすみません。突然電話をおかけして、あのような無茶ぶりを」


 その姿勢の弱さにひょうし抜けする自分がいた。噂で聞いていた通りの姿、それこそ声でしかその人物像をとらえることしかできなかったが、少なくとも電話のときは噂通りの人物を演じていたと思う。厳しく、強引で、独裁者じみたことをぬかす頑固者。それが彼、有馬誠殿の人物像である。


「みな、驚かれます。私はどうも噂では厳しく、強引で、独裁者じみた頑固者らしいのですが。はは、これでは逆にこちらが恐ろしいものですよ。こういった根も葉もないうわさは感染するように広がっていくのですから」


 それはそれとして、僕が気になったのは誠殿のとなりで佇んでいる着物姿の女性だった。さきほどの冬子嬢と顔がひどく似ているが、着ていた服が違う。


「あの……そちらの女性は?」

「ああ。私の妻だ。一応、あいさつは済ませておいたほうがいいと思ってね。もちろん依頼の話のときには私のきみの二人にする」


 さあ、と誠殿は自己紹介を妻にうながす。


「本日は遠いところからわざわざ足を運んでいただき、感謝申し上げます。私は有馬誠の妻で、有馬直子と申します。どうかよろしくお願いいたします」


 直子夫人はなめらかな動きで頭を下げる。しばらく僕は彼女のその姿勢に見とれていた。


「綺麗でしょう」

「はい、たしかに」


 ガラス細工のように繊細な茶色の瞳。かんざしで結われている黒髪。太陽に照らされているせいか、その流麗な黒髪は光を帯びているように見えた。そしてこの洋館には似合わないようで似合う、赤い花の柄の着物を着ている。


 彼女が幻想で、この世界が現実なのか。はたまたその逆なのか。

 そんな不毛な考えが浮かんでくるほど、僕はその女性の外見に魅入られていた。


 いや違う。

 もっと惹かれていたのは、彼女から感じる何かだった。

 どこか弱弱しくて、その瞳を見ているだけで心臓を鷲掴みしてくるほどの強い何か。


 すでに何もかもを失い、自害した醜い生物が、自己再生をくりかえしてデタラメに繋ぎあわせられ、奇跡的に美に到達できたような。


 その彼女の姿を重ね合わせたのが二人いる。

 一人はさっきも会った。だがこの場合、外見のみの問題である。

 もう一人は──僕が昔、愛していた人だ。彼女と初めて会ったときも、このような迷路にような感覚に陥った。

 

「直子。もう戻りなさい」


 そう言われて、直子夫人はもう一度礼をして、離れていった。その立ち去っていくときのたたずまいも、どこか華を感じさせる。


「しかしまあ、さきほど聞いた話だが……そこまで厳しいように見えるかね」


 誠殿は笑顔を浮かべる。その笑顔は誠殿に対する印象を一気にひっくり返すものだった。固い印象だったのが、柔らかい印象に変わる。


「ああ、それは申し訳ございません。別に誠殿を恐れていたわけではなく、聞いていた噂とはまるで違うな、と」


 言った直後、僕は自分の発言に、相手への侮辱もふくまれているということに気づいて、はっと口を手でおさえた。


「はは、どうやら正解だったらしい」

「はい?」僕はその発言を疑問に思い、首をかたむける。

「君は正直者だ。最近は正直者が馬鹿を見る、などと言われるらしいがね。正直者はそこで一瞬馬鹿を見ることになったとしても、そののちの人生が報われ、明るくなるものだと思うのだよ。君は、そう思わないかい?」

「はい。よく師が正直者になれ、と言っていたので。僕もその考えに同意いたします」


 僕の師は嘘とよばれるもの自体を嫌悪していて、それを平然と口にする者をこの世の汚物のように思っていた。さすがに大げさだと僕も思っていたが、そう言うと師は怒鳴る。だから僕はそう思っていても、口にすることはなかった。


「良い師だな。会えたならきっといい酒が飲めるだろうな」

「ああ、はい」


 師と呼んでいた人はすでに四年前に亡くなっている。だが僕はその空気を壊さないため、口にはしなかった。


「しかし。君は外国人との混血であったりするのかい?」

「はい。話によると、僕はフランスと日本のハーフだったりするらしいのですが。……やはり、髪の色でございますか?」


 僕の髪の色は一見白髪で気味が悪く、肌も白いものだから怪人にしか見えないらしい。探偵のなりではないな、と悩んでもいる。実際のところ、僕は銀髪だというのに。


「ああ、すまない。だが綺麗な髪をしている。複数の女性から好意を持たれているのではないか?」


 誠殿は笑いながら言う。冗談でもそういうことは言うものじゃない、と僕は思った。女性と酒を飲む際には、いつもおびえられていたものだ。

────まったく、苦い。

 それから誠殿は僕と相対するように、テーブルの向こう側にある席に腰をかけた。

 僕もそれに合わせるように席に座ることにした。


「それで早速本題なのだが──」


 そう言って、視線を僕とあわせる。僕はうん、とうなずいて、話を続けさせた。


「私の一族は特殊でね。あまり公言したくはないし、しかし公言したところで誰も信じてはくれないだろう」


 僕は再びうなずく。


「私たちのような特殊な一族はほかにもいた。だが、そのほとんどが絶滅の一途をたどっている。私以外に残っているそのたぐいの一族は指で数えられるほどしかおらん」


 有馬一族以外で、そういったたぐいの一族の名がほかにも浮かんだ。

 八神やがみ京極きょうごく龍源寺りゅうげんじ、それぞれ関東に住む名家どもだ。ほかにもいるらしいが、代表的なのがその御三家ごさんけである。


────まあもっとも、その特殊性は失われていることが多い。

 それは、この前の八神との一件でわかったことだ。


「それと、ここ最近で起こっている連続殺人事件のことを知っているかい?」

「ええ、もちろん」


 主にこの地域で起こっている猟奇殺人事件だ。猟奇的な部分でいえば、四肢の断裂、失血、それと──まるで獣が殺したかのような嚙みちぎった跡。

 しかしこの地域で野生の肉食動物を目撃したなどという情報はないのだ。それも全く、であった。


「あの事件の犯人の情報は知っているかい?」

「いえ、あまり詳しくは……」

「細く華奢きゃしゃな身体を持った、ヒトの姿をしている、と」


 ほう、と僕はあごを右手の人差し指と親指ではさんだ。


「それはつまり人の姿を模した──」

「──化け物、と呼ばれるものやもしれぬ」


 誠殿は間違いなく、そう言ったのだ。

 それが比喩でもなんでもない、全くの純正を保った事実であるということを僕は本題に入る前から知っていた。


「少し、違う話をしましょう」


 僕はそう言い、本題の話から逸らした。


「これはあくまで僕の戯言ざれごとだということを前提として聞いてください」


 僕がそう言うと、彼はただ静かにうなずいた。


「心霊、というのはご存じでしょう。怪奇小説を山ほど読まなくとも、誰もが知っている存在です。しかし、それは実在するのでしょうか。結論を述べますと、そこに在りはしません。しかし、ある事実を前提として再びこの質問をすれば、答えはまったく異なるものとなります」


 誠殿は腕を組み、僕の話を一生懸命に聞いていた。僕の戯言ざれごとに真面目に付き合ってくれたのは、この人か師ぐらいなものだ。


「その事実とは。その心霊というものが、超常的な現象ではなく、科学的な現象である、というものです。ええ、もちろんわかっています。心霊など超常現象の代表じゃないか、とおっしゃるでしょう。ですが待ってください。心霊というのは、どこにその存在を置くと思いますか?」

「それは……やはり、地縛霊であればその土地に縛られるものだし、恨みをもってこの世に魂だけを残しているのならば、誰かに憑くものじゃないか?」

「ええ、そうでしょう。ですがあくまで科学で証明できる現象、という事実をお忘れにならないように。それと、いい言葉が出ましたね。魂……ええ、そうです。魂が形となったものが霊とよばれる概念です。ですが、憑くのではありません。憑かる、のです」

「浸かる?」

「ベースとなる人間が、その呪いに浸かる──そう、憑かるのです」

「馬鹿な。言葉遊びをしているわけじゃないのだぞ」


 まさしくその通りだ。僕は言葉遊びをするために、この話をしているんじゃない。


「つまりは幻覚。視覚によるバグなのです。負の感情に揺さぶられ、それが視覚に表れるという現象。言ってしまえばただの見間違いにすぎません。もっと正確に言えば、人が抱く負の感情──魂が住みつく場所は人の意識、感覚、人が抱く、心の痛みなのです」

「ほう……それで憑かる、というわけか」


 納得していただいたようで安心した。しかし正直に言えば、こんな話を聞かなくとも、本題には一切関係がないため、理解しなくても支障はないのだ。

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