第17話 着せ替え天使

 界斗かいと伊予いよと天使に追いついたのは、目的地であるパトレ秋葉原の前だった。

 伊予が先導する形で三人は建物に入り、天使の服を買うためレディースファッションの店へと足を運んだ。

あんちゃん色白だし、これなんか似合うんじゃないかな。――こっちなんかもいいかも。――あ、ちょっと派手すぎか。もうちょい色味を抑えたやつは――」

 次から次へと楽しそうに服を持ってきて天使の体の前で合わせていく伊予に対して、天使は頭の上に?マーク(天使の輪っかではない)を浮かべたような表情で棒立ちだ。

「とりあえずこれもって試着室ね。――界斗、案内してあげて」

 両手で抱えるほどの服を界斗は伊予から手渡される。

 天使はこれから俗に言う着せ替え人形とすわけか。

 男である界斗がレディースファッション店の試着室の場所など知るはずがないだろうと抗議しようとしたが、そのとき伊予はすでに次なる服を求めてこの場を去っていた。

「伊予、すごいテンション高いな」

「まあ、あんな姉でも一応女の子だからな。服を見たり着たり、あるいは着せたりするのは楽しんだろう。――杏は楽しくないのか?」

「うーん、正直言って楽しいとは思えないな。向こうの世界ではあのローブ一着で事足りたし、色んな服を用意して毎日着替えるという感覚がよく分からない」

 天使の歩んできた道にはファッションという感覚が育つ土壌どじょうがそもそもなかったのだ。

 今日の天使の服装は、例の自然洗浄機能付きのトンデモ純白ローブではなく、ベージュのセーターに黒のフレアスカートという周りから見ても何ら違和感のないものだった。

 ちなみに服は伊予のを借りていた。二人の身長は同じくらいなのだが、胸のサイズ的に窮屈きゅうくつさを感じるのか、天使は先ほどからちょくちょく胸の周りのセーターの生地を指でつまんではずらしてを繰り返していた。

 幸いなことに今のところ伊予が天使の仕草に気づいた様子はない。いや、プライドの高い伊予のことだから、たとえ気づいていたとしても表には出さないだろう。態度に出したら負けとでも考えそうだ。

 天使が着たあとのセーターに伊予がそでを通したときに、胸のあたりがスースーするのに気づき、一人でひそかに肩を落とすのかもしれないと思うと、何だか目の前の天使が悪魔にも見えてくるが、断じて誰も悪くない――もちろん天使の豊かな胸も、悪くない。

「とりあえず試着室を探すか」

 別にここは馬鹿でかい某遊園地みたいに歩き回るだけで一日かかるわけじゃない。五分程度歩けば試着室を見つけられそうな広さだし、それでも場所が分からなければ店員に訊けば問題ない。

 歩き始めて一分も経たないうちに試着室は見つかった。頭上に「試着室→」と書かれた案内板も出ていたし、これなら誰でも簡単に試着室を見つけられそうだ。

 試着室は全部で四つあり、一番奥の一つだけがカーテンが引かれ、手前に黒の編み上げブーツが置かれていた。

「ちょっと、まだ着替えてなかったの」

 背後からの声に振り返れば、これまた両手いっぱいに服を抱えた伊予が立っていた。界斗の持っているものも合わせれば、上下十着分はゆうに超えている。

 どれだけ天使に着せるつもりなんだ……。

 伊予に対して、あきれを通り越して恐れすら抱きそうになる界斗だったが、何とか感情をコントロールして平静を保つ。……家族に恐れなど感じた日には大切な何かを失うだろうと、彼の中の野性のかんに近い部分が告げていた。

「ほらほら、入って入って」

 伊予は一番手前の試着室に天使を押し込むと、抱えていた衣服を試着室の壁の取っ手にひょいひょいと順にかけていく。とてもではないが一度ですべてをかけられる量ではないので、かけられるだけかけて残りは手に抱えたまま、「パパッと着替えちゃってね。上下の組み合わせはね――」と天使に手際よく指示出しをして、「はい、お着替えターイム」と天使のいる試着室のカーテンをあっという間に閉めてしまう。

「……ちょいと乱暴すぎやしないか」

「なーに、あれくらいしないとダメでしょ杏ちゃんは。ちょっと無理やりくらいがちょうどいいの。そうしないと、杏ちゃんはいつまでもこっちに馴染なじめない」

 その言葉に界斗はドキリとした。伊予が天使の素性すじょうを知っているはずがない。彼女の言う「こっち」とはアメリカと比べたときの日本での生活のことを指しているのだろう。あるいははっきりと口に出さないけれど伊予なりに何か思うところがあるのかもしれない。

 伊予は彼女なりに天使が早くこの世界(日本)での生活に慣れられるように後押ししているのだ。普段はがさつで人の目なんて気にしない素振りばかり見せるのに、こういうところで妙に鋭かったり気を回したりする。

「杏ちゃん、まだ~」

「――なんだ、これは、どうやって、……分からない。――伊予、これはどうやって着たらいい」

 試着室で天使が何やら苦戦している様子が伝わってきていたが、彼女はしびれを切らしたのか、助けを求めて内側からカーテンを開け放った。

 上半身はブラだけで上着は何も身に着けておらず、なまめかしい肩口や綺麗なおへそが見えている。そして片方の手で足を通したスカートを押さえているため上半身ほど露出度は高くないが、それでも腰回りのスカートは少しずり落ちており、膨らんだ腰つきやレースのショーツがあらわになっていた。

「ちょ、ちょっと、何て格好で出てきてるのよ」

 この場に女の子しかいなければ天使が下着姿でカーテンを開けてもこれほど伊予はあわてなかっただろうが、何せ今は男の界斗がいた。

 伊予は靴を脱いで天使の試着室に身を滑らせ、カーテンを一気に閉める。

「杏ちゃん、スカートの履き方も知らないってどういうことよ」

「私はこの下半身だけを覆うスカートというものを履いたことがない。あのローブを着ていれば十分だったからな。……スカートの履き方の知識は残念ながらインプットされていなかったようだ」

 中でわちゃわちゃと音がする。伊予が天使にスカートの履き方を教えていた。

 天使は中学を卒業して間もないという設定のため、仮に高校に通っていれば高校一年生に当たるわけだが、これまでの十五年余りの人生で一度もスカートを履いたことがないというのはいささか、というか、かなり珍しい部類に入るだろう。アメリカの学生もスカートは履くし、天使の育ってきた境遇が普通でないことは伊予も気づいているに違いなかった。

「これは杏ちゃんにはいまいちかな……。こっちなんてどうだろ、着てみて」

 それでも彼女はそのことについて何もかない。育ってきた環境は人それぞれでそれについてとやかく問い詰めることはよくないと考えているのか、単に興味がないだけなのか、あるいは訊くと面倒ごとに巻き込まれると彼女の直観が告げているのか……。それを知るのは彼女本人だけで、界斗はその答えを彼女に尋ねようとは思わない。もし尋ねたら「杏ちゃんは実際どういう場所で育ったのよ」と伊予から質問が飛んでくるのは明らかだったし、そうやって墓穴を掘って天使の正体が不用意にバレてしまうのは避けたかった。

「杏ちゃん、スカートの前と後ろ逆だって――」

 いつか、天使の正体を伊予に明かす日が来るのかもしれない。

 それでも伊予は彼女の世話を焼いてくれるだろうか。

 それでも伊予は彼女と一緒に買い物に行ってくれるだろうか。

 それでも伊予は彼女のことを変わらず「杏ちゃん」と呼び続けるのだろうか。

 ――色んな考えがシャボン玉みたいに浮かんでは消えていく。

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