第16話 少年は真実に邂逅する

 ところで、今の彼女の話の中に出てきた「お小遣い」という単語を聞いて、界斗かいとは先日のカフェでの政也まさやとのやり取りを思い出し、さりげなくそれについて話を振ることにした。

「お小遣いのやりくりって大変だよな。美衣香みいかちゃんは普段お小遣いでどんな物買う? やっぱり服? あとは女の子だとフィギュアとか買ったりするのか」

「うーん、服は高いし、最低限の服なら親におねだりすれば買ってもらえるので、あんまり自分で服は買わないですね。フィギュアも私はそれほど興味がないので買わないし、いつもお小遣いはお菓子を買って消えちゃう感じです」

 政也の話だと美衣香の部屋にはフィギュアがたくさん飾られているということだったが、彼女自身はフィギュアに興味がないと言う。

 一体どういうことなのだろう。

「だけど、モブオくんはフィギュアいっぱい持ってますよ、部屋に収まらないくらいに。――ね、モブオくん」

 急に話を振られた田辺たなべは目を白黒させながら勢いよくうなづく。

「う、うん。この街には色んなアニメのグッズが売ってるし、フィギュアもよく買いに来るんだ。ネットでも売ってはいるけど、やっぱり実物をしっかり見てから買いたいから。次に欲しいなと思っているフィギュアはね、《彼女のせいで僕の幻想はメッチャメチャ!》っていうラノベ原作の来期アニメ化予定の作品に出てくる《網奏もうそう椎名しいな》の1/7スケールフィギュアで、透き通るような白い肌にえる青いランジェリーが――」

「モブオくんストーップ!」

 そのまま放置していたら何時間もしゃべり続けそうな田辺の前で美衣香が両手を横に広げる。

「その話はうちでしよ、ね? 界斗さんにはこの後ご予定があるし、話は私が聞いてあげるから。それに、その話はうちでしたほうがもっと楽しいでしょ」

 彼女の言葉に顔を真っ赤にした田辺が、先ほどよりも勢いよく首をブンブンと縦に振る。

「二人は付き合ってるの?」

「そ、そうだよ」

 即答した田辺の鼻の穴は、息を吐くぞうのように大きかった。

 そんな田辺を、美衣香は隣で微笑ほほえましげに見ていた。政也によると確か彼女は小学六年生のはずで、これじゃあまるで田辺のほうが年下みたいだ。精神年齢は女の子のほうが高いという言葉を界斗は思い出し、胸の内で自らの過去を振り返ってみると、……クラスの女の子から「また男子がバカやってる」と冷めた目で見られた記憶が幾度いくどとなく思い出された。先ほど田辺のことを心の中で小馬鹿こばかにしてしまったが、自身も同類だったわけだ……。

 今この場で一人であったのなら、このまま過去の痛い記憶という名のエンドレスな思考の渦にはまって抜け出せなくなっていたかもしれないが、先ほどまでの田辺と美衣香の話を聞いて気になった点があり、それが釣り糸のように界斗の意識の端っこに引っかかっており、思考の渦へと飲み込まれるのを防いでくれた。

 頭の中を整理し、これまで明らかになった出来事を踏まえて、界斗は二人に話しかける。

「さっきフィギュアの話があったけど、ひょっとして田辺のフィギュアを美衣香ちゃんが預かってたりする?」

「え、どうしてそのことを知ってるんですか?」

 心底驚いた風に美衣香ちゃんがアーモンドみたいな目を見開く。

「ぼ、僕は話してないよ」

 被害妄想の激しい田辺が、今度は首をブンブンと横に振った。

 ここで正直に「ラッキーから聞いた」なんて界斗が言えば、美衣香は当然「なんで話していないのに自分の部屋にフィギュアがあることを兄が知っていたのか」と考え、自ずと「兄が勝手に自分の部屋に入ったからだ」という事実を導き出すだろう。そうなれば政也の兄としての威厳いげんが地に落ちてしまうのは想像にかたくない。

 相談してくれた政也を裏切るような真似はしたくなかったので、界斗はあらかじめ考えていた「答え」を口にした。

「ほとんど当てずっぽうだけどな。田辺のフィギュアが彼の部屋に収まらないほどたくさんあるって言っていたのと、フィギュアの話は《うちでしたほうがもっと楽しい》っていう美衣香ちゃんの言葉を合わせて考えて、そうじゃないかなって思っただけ」

 おそらく後者の発言は、美衣香の「うち」にあるフィギュアを実際に見ながら話したほうが盛り上がるという意味だろう。

 彼女自身はフィギュアを買わないということから、本来であれば彼女の部屋にフィギュアはないはず。それがあるということは――という風に推理したと美衣香に思ってもらうための界斗の「答え」。

 例えば推理小説であれば推理の飛躍が過ぎるとダメだしされるだろうが、この場合に大切なのは評論家やえた読者を納得させることではない。目の前の美衣香というただ一人の少女に「まあ、そう推理しても変じゃないよね」と思ってもらえれば十分である。

 何も界斗が完全無欠の名探偵である必要はどこにもないのだ。

 とは言うものの、やはり物事をいつわるときに多かれ少なかれ緊張感は付きまとう。できる限り偽りというい目を隠そうと試み、その方法や中身に心血を注いで、これで隠蔽いんぺい工作は十分だと思えたとしても、心の片隅で「いや、ひょっとしたら……」と考えてしまう。

 偽ること――嘘はよくない、と割り切れたらどれほど生きるのが楽になるだろうかと思う。

 美衣香が特に界斗の言葉に疑念を抱いた様子はなく、

「スペース的にモブオくんの部屋に置けなくなったフィギュアを毎日ちょっとずつ預かって、私の部屋に飾ってるんです。本当は一度に何体も持ち帰りたいんですけど、親にバレると心配されるかもなので、毎日かばんの中に一体ずつ入れて部屋に持ち帰ってます」

 まあ、小学六年生の女の子が美少女フィギュア(しかも深夜アニメのだから、中にはきわどい衣装を着たりポーズをしたりといったフィギュアもありそうだ)を持っていると彼女の親が知れば、「うちの子はそんないかがわしいフィギュアなんか持って一体どうしたのかしら」と心配するだろうな。

 そもそも年下の小学生に美少女フィギュアを預ける中学生ってどうなんだ、と思わなくもないが……。ちらりと田辺を見るが、当の本人はそのことを気にしている風ではなかった。彼の頭の中では美少女フィギュアはそもそもいかがわしいものに分類されていないのだろう。

 二人の間で成立していることを外野がいやにいる人間がとやかく言うのは無粋ぶすいか……。

 もうそろそろ先に行った伊予たちを追いかけたほうがいいだろうと思い、界斗は二人に別れを切り出そうとしたが、それよりも先に美衣香が「ちょっといいですか」と言って界斗へと一歩近づいてきた。

 二人の距離は三十センチも開いていない。

 美衣香が内緒話をするように口元に手を添えてつま先立ちをする。

 界斗は「なんだろう」といぶかしく思いながらも膝ひざを少し折り曲げて彼女と背の高さを合わせ、彼女の口元に耳を傾けた。

 そして彼女は冷えたアスファルトみたいな声でささやく。

「ここはだまされてあげます。お兄ちゃんによろしく言っといてください」

 別人みたいな声音に背筋がぞっとした。

 ……おいおいマジかよ。一体彼女が何についてどこまで真相を知っているのかは分からないが、どうやら界斗の推理にあっさりとほころびを見つけたらしい。

 彼女の末恐ろしさに界斗は身を震わせ、けれど少しして顔を離した彼女はニッコリと笑っていて、とてもじゃないが先ほどまでの人物と同一であるとは思えないような優しげな声で、

「楽しかったです。今度はゆっくりお話しできるといいですね」

 と殊勝しゅしょうなことを言って、顔の横で小さく手を振ってから身をひるがえし、界斗の向かう方向とは反対へと歩き出す。

 隣にいた田辺は二人が何を話したのか聞き取れず複雑な表情を浮かべていたが、彼女が立ち去るのを見ると、「み、美衣香ちゃん、待ってよー」と悲鳴に近い声を上げて彼女の後を追いかけていった。

 去っていく二人の後ろ姿に《》を向ける(眼を制御する方法は昨晩に天使から教わっていた。見る者すべての天使度と悪魔度の数値がむやみやたらと視界に映ったら、人ごみでは次から次に文字があふれて気分が悪くなると思ったからだ)。

 田辺は、天使度63%悪魔度37%と天使側の人間だった。度々たびたびお金持ちであることをにおわせる行動や発言が目につくが、それだけと言えばそれだけだ。他人に暴力を振るったり侮蔑ぶべつの言葉を吐いたりしているわけではない。彼が総じて悪行よりも善行を積み重ねているのはありうる話だ。

 界斗が驚いたのは、隣を歩く田辺に笑顔を向けている美衣香の数値だ。先ほどの会話で抱いた印象とその数値の間に田辺のような相関を見て取ることができなかったためではない。むしろ数値でいえば「あり得る」と思うのだが、それでもやはりこういう人間もいるのだなと、そういう新たな発見をしたときに感じるのと似た驚き、と言えば伝わるだろうか。

 ――天使度23%悪魔度77%。

 美衣香は悪魔側の人間だった。悪魔度が八割を超えていないと言えば多少マシに聞こえるのかもしれないが、それでも界斗が悪魔側の人間を見るのはこれが初めてだったし、その数値が八割近いともなれば驚いてしまうのも無理はなかった。

 彼女みたいな女の子を所謂いわゆる腹黒女はらぐろおんな」と呼ぶのだろうか。

 この眼があれば、そういった女の子には引っかからないわけだ。

 何とも凸凹でこぼこなカップルではあったが、付き合うとなればあれくらい性格が違っていたほうが案外上手くいくのかもしれない。界斗自身は恋愛経験ゼロなので、あくまでも「そう感じた」というだけの何ら説得力のない話だったが……。

 界斗もまた身を翻し、彼らとは反対の方角へ、先行く二人の少女を追いかける。

 カフェで政也から聞かされていたことの真相は明らかになったわけだが、どうにも気分がすっきりとしない界斗であった。

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