第9話 天使のいた世界

 天使は続けて異世界での出来事を語った。

 彼女が生きていた世界には十二の大陸があって、それらの大陸を巡って悪魔と呼ばれる存在と争い、六対六で引き分けたこと。

 その戦いは神にちかって行われていたもので、勝敗にこだわった神が彼女とその悪魔を異世界(地球)に飛ばし、再び争って決着をつけろと命じたこと。

 地球に飛ばされる前に一通りの「調整」が神によって行われ、この世界の人類として創り直され(天使の輪っかだけが残っているのは、「これだけはどうかこのままで」と天使自身が懇願こんがんしたためだそうだ)、その際に人間として生きていくうえで必要最低限の知識や技術などをインプットされたこと。

 三日前にここ地球に飛ばされ、場所が日本の秋葉原だったのが偶然か必然かは天使には分からず、それこそ神のみぞ知るところだということ。

 ――などなど。

 頭がパンクするくらい盛りだくさんの内容だった。

 全部作り話でした! なんて言われたら、設定モリモリのとんだ厨二病ちゅうにびょう少女である。

「……にしても、この三日間、よく誰にも声掛けられなかったな」

 彼女の頭上にぷかぷかと浮かぶ天使の輪っかを見ながら、何とか口にできたのは、そんな些細ささいな感想だった。

「何度か掛けられたぞ。《お嬢ちゃん、可愛らしいコスプレしてるね》とか《ブヒブヒ、その天使パワーで僕の罪を浄化してブヒ》とか、いろいろ」

 そう、ここは秋葉原。

 電気街であり、――オタクの街でもある。

 女の子の頭の上に天使の輪っかが浮いている理由わけや仕組みなんて、オタクにとっては些細なこと。

 彼らにとって大切なのは、目の前に天使コスプレしている可愛い女の子がいるという、その事実だけなのだ。

 もちろん、オタク以外の人間も彼女の姿を目にしただろうが、運悪く(?)彼女に声を掛けてこなかったのだろう。あるいは、声をかけたとしても、彼らもまた秋葉原にいた彼女のことを、親にでも連れてこられたコスプレ少女と勘違いしていたに違いない。

「まあ、波乱万丈はらんばんじょうの三日間だったってわけか。――で、このあとはどうするつもりなんだ。その、宿敵の悪魔を探しに行くのか?」

「なっ! やつが宿敵? 違う違う、やつは単なる敵。宿敵だなんて冗談でもやめてくれ」

 心底嫌そうに言って、ドーナツポップを食べ終えた彼女は二つ目のドーナツとしてオールドファッションハニーをかじり始める。

「……正直、これからどうするか悩んでる。アタン、あ、アタンっていうのは私が元いた世界なのだが、そのアタンでは戦争が日常茶飯事にちじょうさはんじで、だから私と悪魔も軍隊を率いて武力で競い合った。だけれど、この世界だとそうはいかない。大きな戦争は長らく起きていないみたいだし、……郷に入っては郷に従え、とこの国では表現するらしいが、それはとても大切なことで、私もこの世界なりのやり方で悪魔と決着をつけたいと思っている。アタンではあくまでも武力による闘争が当たり前だったから何も考えずにその方法をとったわけで、そのやり方がこの世界でも正しいとは限らない」

 界斗かいとは天使の話を聞いて、内心驚いていた。日本という異世界にやってきてまだ三日しかたっておらず、しかも慣れない環境で先行き不透明という状況にも関わらず、早くも日本やこの世界の在り方について考え、順応しようとしている。

 もし彼が逆の立場であったなら、そのように落ち着いて考えることができていただろうか。

 彼女はドーナツを食べながら話を続ける。

「そこで、さっき話した、どうしても力を使わないといけなかった用事っていう話にからんでくるのだけれど、その用事というのが、悪魔と戦う内容について協議することだったわけ。具体的にはテレパスで悪魔と会話して、この世界で過ごした三日間を踏まえてどういう風に戦おうかと話し合った。神の立会いの下に。――その結果、天使側の人間と悪魔側の人間の数を競い合うことに決まった」

 天使側? 悪魔側? 言っている意味がよく分からないのだが……。

 疑問が顔に出ていたのか、彼女は一度頷いた。

「急に天使側や悪魔側なんて言われてもピンとこないのが当然だと思う。実際にてもらったほうが早いだろうな」

 二つ目のドーナツを平らげた彼女は上半身を伸ばして両膝立ちになり、片膝立ちをしていた界斗と目線の高さを合わせたかと思うと、彼の顔を両手ではさみこむ。

 十センチほどの距離で向かい合う二人。

 互いの息遣いが感じられるほど近く、界斗の鼻腔びくうを甘い香りがくすぐる。

 きめ細やかな白い肌。

 ぷるんとした薄紅色うすべにいろくちびる

 そして雪の結晶のように透き通った白い睫毛まつげの奥には、燃えるような赤い瞳がのぞいている。

 そんな神秘さをまとった美貌びぼうが目と鼻の先にあれば、思春期真っ盛りの中学生がドギマギしないはずもなかった。視線を逸らそうとしても、彼女の手にがっちりと顔をホールドされ、身動きが取れない。

 今が夜でよかったと、界斗は心から思う。もし昼間の明るいところでこんなことをされていたら、トマトみたいな真っ赤な顔をさらすことになっていたに違いなかったし、羞恥心しゅうちしんで一週間は寝る前のベッドで身もだえることになっていただろうから。

 だが、そんな界斗の予想を遥かに超える出来事が起きようとしていた。

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