第76話 提督の矜持
自分たちの南に位置する第三任務群が高空を飛行する未知の機体から赤い炎弾による攻撃を受けたとの報告を聞いた時、ハルゼー提督は己の失敗を悟った。
ジュン対策は怠りなく進めていたはずだった。
夜間の活動が多いジュンに対し、「エセックス」級空母に夜戦型F6Fを配備し、さらに昼間に来襲があった場合にも備えて「インデペンデンス」級空母に腕利きのみで編成した小隊を用意した。
これらは先のマリアナ空襲にも参加せず、ジュン対策のためのスペシャルチームとして温存しておいた。
また、マリアナ空襲で失われた戦闘機隊も護衛空母部隊から補充を受けて定数を回復している。
逆にマリアナ空襲の際に日本機との戦いでF6Fを大量損耗、さらに第一から第三任務群に同機体を提供した護衛空母部隊のほうは最初四八〇機あったはずの戦闘機が今では一五〇機にまで激減していた。
だが、それは想定の範囲内だ。
日本軍はそれほど甘い相手ではないことは、ハルゼー提督自身が誰よりも理解している。
それと、ハルゼー提督はジュン対策に関して、航空機だけでなく艦艇に対しても入念な準備をさせていた。
開発間もないVT信管を配備し、さらに将兵らに猛訓練を課して統制射撃にも磨きをかけてきた。
そして、相手が旧態依然とした複葉の水上機であっても惜しみなくVT信管を使用するよう厳命している。
だがしかし、日本軍はジュンと未知の機体を組み合わせ、しかも白昼堂々単機で殴り込んでくるという、こちらが予想もしないやり方で仕掛けてきた。
ジュンという悪魔と高速機の組み合わせは最悪の結果をもたらし、正規空母の「バンカー・ヒル」と「ホーネット2」、それに軽空母の「バターン」と「サン・ジャシント」はいずれも飛行甲板前部にジュンが放ったとみられる赤い火弾の直撃を食らい発艦不能に陥ったという。
そのジュンが乗る機体が今、第一任務群の上空を横切ろうとしている。
「撃てっ! 撃って撃って撃ちまくれ!」
三つある米空母群にはそれぞれ一〇〇門を大きく超える高角砲や両用砲が配備されている。
それらの多くはレーダー照準装置を持ち、さらにVT信管まで備えるようになっている。
たった一機を撃ち墜とすにしてはあまりにも過剰な戦力だ。
実際、ジュンが乗っている機体の周辺には高角砲弾がさく裂したことを示す黒い雲がいくつもわき立っている。
だが、それでもジュンの乗る機体は何事も無かったかのように南から北へと移動している。
その機体のコクピットが赤く発光する。
次の瞬間、四つの赤い炎弾が「エンタープライズ2」と「イントレピッド」、それに「レンジャー2」と「モンテレー」の艦首付近に吸い込まれる。
同時に爆炎と爆煙が四隻の空母に立ち上るとともに、細かい破片が周囲にばら撒かれる。
今の一撃で四隻の空母が一隻の例外も無く発艦能力を喪失したことは誰の目にも明らかだった。
母艦を傷つけられたことで頭に血が上った上空警戒中のF6Fが高度を上げて追撃を図る。
だが、日本の索敵機に備えて高度一〇〇〇メートル前後を飛行していたF6Fが四〇〇〇メートルまで駆け上がるには相応の時間がかかるし、なにより敵機はF6Fと同等かあるいはそれ以上の脚を持っている。
相手にエンジントラブルでも起きない限り、捕捉することは不可能だろう。
そこでハルゼー提督ははたと気づく。
まだ攻撃を受けていない第二任務群にはすでに警告を発している。
今頃は各空母の飛行甲板から慌ただしくF6Fが発艦し、すでに上空にある機体は高度を上げてジュンを迎え撃とうと懸命の努力を重ねていることだろう。
だが、完全に間に合わない。
ジュンが第二任務群に到達する頃にはF6Fのほうは高度四〇〇〇メートルはおろか三〇〇〇メートルに達しているかどうかも怪しい。
つまり、米空母は日本の空母と戦う前に一隻残らず戦闘不能にされてしまうということだ。
そうなれば、後の展開は読める。
日本艦隊は艦上機による空襲と水上打撃部隊の追撃によって第三艦隊を叩けるだけ叩こうとするだろう。
一方、第三艦隊に残された手段は玉砕覚悟で反撃に出るか、あるいはなぶられつつ逃げるかの二択だ。
「全艦進路一三五度、最大戦速で現海域から離脱!
トラックにある友軍戦闘機隊の傘の下に逃げ込め。それと、護衛空母部隊はすべての戦闘機をもって日本機の迎撃にあたれ」
敵に嵌められ、そのうえ尻尾を巻いて逃げる屈辱に胸中で罵り声を上げつつ、それでもハルゼー提督は指揮官としての義務と矜持は忘れない。
被害の最小化を図るべく、彼は成すべきことを矢継ぎ早に命令していった。
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