第40話 不屈の猛牛

 第一九任務部隊の通信途絶、さらにミッドウェー基地からの「我、砲撃を受く」という悲鳴のような電文が飛び込んできたときには、さすがの猛将ハルゼー提督も顔色を失った。

 戦前、米軍はミッドウェーに迫りくる日本艦隊に対して三本の矢を用意していた。

 空母機動部隊と水上打撃部隊、それにミッドウェー基地航空隊だ。

 空母部隊は二群からなり、第一六任務部隊には「エンタープライズ」と「ホーネット」、第一七任務部隊は「ヨークタウン」と「レンジャー」という開戦以来生き残ったすべての正規空母を投入している。

 このうち「エンタープライズ」と「ホーネット」、それに「ヨークタウン」の三隻はF4Fワイルドキャット戦闘機とSBDドーントレス急降下爆撃機がそれぞれ三六機、それに今夏から部隊配備が始まった新鋭のTBFアベンジャー雷撃機が一五機。

 「ヨークタウン」級より一回り艦型が小さい「レンジャー」はF4Fが三六機にSBDが二七機、それにTBF九機を搭載。

 これら空母を守るために第一六任務部隊と第一七任務部隊にはそれぞれ重巡四隻に「アトランタ」級防空巡洋艦が二隻、それに駆逐艦一二隻が付き従う。


 一方、水上打撃部隊である第一九任務部隊は四隻の新鋭戦艦と六隻の大型軽巡、それに一六隻の駆逐艦を擁する一大戦力だが、現在のところ、こちらからの呼びかけに対して応答が無い。

 航空戦力の二本柱の一翼を担うミッドウェー基地航空隊は戦闘機がF4F四八機にP40が三六機。

 それに、対艦打撃戦力としてTBFが二四機。

 大型機は爆撃とともに索敵の任にもあたるB17重爆が四八機に対潜哨戒や搭乗員救助を担うPBY飛行艇が三六機配備されている。

 これら戦力を有機的に組み合わせて日本艦隊を叩くはずが、だがしかし第一九任務部隊の敗北とミッドウェー基地壊滅によって大きく目算が狂ってしまった。

 まさか、一夜にして三本の矢のうちの二本までが失われてしまうなど、ハルゼー提督ならずとも想像の埒外だ。

 この結果、米側の勝ち筋がすでに失われたことは誰の目からしても明らかだった。


 「だからと言って、おめおめと真珠湾に逃げ戻るわけにもいかん」


 あまりにも大きな衝撃が、逆にハルゼー提督に冷静さをもたらしていた。

 本来であれば、勝ち目が無くなった時点で逃げ帰るのが得策だ。

 優勢な敵に劣勢な側が考え無しに反撃したとしても、それこそロクなことにはならない。

 それでも、ハルゼー提督としては引くに引けない事情もあった。

 六月に生起したミッドウェー海戦の折、当時の空母部隊指揮官だったフレッチャー提督は日本の機動部隊の撃滅を企図して攻撃隊を送り込んだ。

 だが、攻撃隊は逆に敵艦上機の重厚な迎撃によって撃滅されてしまい、その時点でフレッチャー提督は勝算の見込み無しと判断して引き揚げてしまったのだ。

 勝算の見込みが立たない以上、それは正しい選択ではあったのだが、そのことでミッドウェー基地の将兵は日本軍の捕虜となってしまった。

 その中には海軍だけでなく陸軍や海兵隊の将兵も少なからず含まれており、陸軍や海兵隊からすれば米機動部隊がそのまま戦場に在ってくれれば、あるいは彼らは捕虜にならずに済んだかもしれないという思いがあった。

 実際に当時の米機動部隊が引き揚げを決めた段階でも三隻の空母には一〇〇機を優に超える艦上機が残されており、制空権獲得の要となる戦闘機に至っては五〇機以上も残されていたのだ。


 ミッドウェーをめぐる戦いの後、フレッチャー提督に対する陸軍や海兵隊からの糾弾は極めて激しいものがあった。

 それでもニミッツ太平洋艦隊司令長官はフレッチャー提督をかばい、名誉挽回とばかりに第二次珊瑚海海戦にも彼を指揮官として登用した。

 空母三隻を基幹とする艦隊をフレッチャー提督に預けたのだ。

 しかし、フレッチャー提督はその戦いで「サラトガ」と「ワスプ」の二隻の空母を同時に失うという失態を演じてしまった。

 これには、さすがのニミッツ長官も彼をかばい切れず、機動部隊指揮官の職を解かざるを得なかった。

 その結果として、フレッチャー提督の抜けた穴を埋めるためにハルゼー提督がここにこうしているのだが、もしハルゼー提督までがここで日本艦隊から逃げるような真似をすれば、今度こそ海軍は陸軍や海兵隊から決定的に信頼を失ってしまう。

 苦悩するハルゼー提督、そこへ彼の胸中を忖度した航空参謀が意見具申する。


 「いささか不本意ではありますが、ここは六月のミッドウェー海戦における日本の機動部隊がとった手法を採用すべきかと考えます。

 我々の手元にはいまだF4FとSBDがそれぞれ一四〇機程度ずつ残されています。これら機体で日本の艦上機を迎え撃ち、敵機動部隊の攻撃力の減殺を図ります。

 敵の艦上機隊を撃滅した後は残存SBDとTBFを合わせて攻撃隊を編成、日本艦隊に一撃を加える。敵の航空戦力を一掃し、航空優勢さえ確保出来れば水上艦艇などどうとでも始末出来ます」


 航空参謀の提案に、ハルゼー提督はいささか苦い感情を覚えつつもその成否を吟味する。

 米機動部隊と日本の機動部隊はすでに互いの間合いに足を踏み入れている。

 いくら空母機動部隊が俊足艦ぞろいとはいっても、航空機から逃げ切ることは不可能だ。

 同じ一戦交えるのであれば、ハルゼー提督としては防御一辺倒の戦いよりも互いに攻撃隊を差し向ける殴り合いのほうが断然好みだ。

 しかし、彼我の戦力差を考えれば、殴り合ってより大きなダメージを被るのは間違いなくこちら側だ。

 空母の数も、艦上機の数も明らかに劣勢だ。

 それゆえ、攻めるにせよ守るにせよ中途半端な対応は墓穴を掘るのと同義だ。


 「航空参謀の意見を採用しよう。東洋の黄色いサルの猿真似をするのは業腹だが、現状においては他の選択肢は取りようがない。

 先の第二次珊瑚海海戦において、敵は第一波が戦闘機だけで固めたファイタースイープ部隊、第二波が戦爆雷の連合編成だったという。よって、敵の第一波はF4Fのみで対応、さらに敵の第二波に対しては護衛のゼロファイターの迎撃は引き続きF4Fがこれにあたり、SBDはもっぱら敵の急降下爆撃機や雷撃機を攻撃する。戦闘機搭乗員は連戦となってしまうが、こちらは止むを得んだろう」


 一通りの指示を終えたハルゼー提督はなにか疑問は無いかとばかりに参謀たちを見回す。

 逆境にあって、しかし誰もが決意に満ちた目をしながら首肯している。

 圧倒的に不利な状況にもかかわらず、いまだ闘志を残す参謀たちの態度に満足したハルゼー提督は大きくうなずき改めて命令する。


 「すべての戦闘機隊ならびに爆撃隊、それに索敵爆撃隊は敵攻撃隊の迎撃準備にあたれ。目標は敵艦上機隊の殲滅。

 一機も生かして返すな! キル・ジャップスだ!!」

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