第31話 歴史の復元力
水平線の向こうから煙が立ち上っていた。
第三艦隊のある方角だ。
俺が乗る二式艦偵も、その後に続く三〇機近い零戦も心なしか速度が上がったようだ。
俺とともに出撃した迎撃第一陣の零戦隊は敵第一群と敵第三群を迎え撃ち、相手を全滅させるところまではいかなかったものの、その多くを撃ち墜とし第三艦隊への攻撃を断念させたはずだった。
そうであれば、敵第二群を迎え撃った迎撃第二陣が敵攻撃隊の阻止に失敗したか、あるいは海中に潜む刺客に足元を救われたかのいずれかだ。
迎撃第一陣が第三艦隊上空に戻った時はちょうど迎撃第二陣の零戦隊の収容作業中だった。
迎撃戦にあたっては最優先で発艦させてもらえた俺の二式艦偵も着艦に関しては順序を守らなければならない。
まずは、傷ついた機体を先に降ろす。
その間に俺は第三艦隊の陣容を確認する。
第三艦隊の陣形に大きな乱れはない。
輪形陣の中央にある五隻の空母はそのいずれもが健在で、艦首を風に立てて次々に零戦を収容している。
その輪形陣から少し離れ、艦全体が隠れるほどの猛煙を噴き上げているのは護衛艦艇のうちのいずれかだろう。
そのすぐ近くには救助のための小型艦が二隻、こちらは第三艦隊に所属している駆逐艦ではないか。
やられた艦の名前までは分からないが、艦種はすぐに分かった。
空母の外郭を守っていた重巡の数が六隻から五隻に減っていたからだ。
ならば、猛煙を噴き上げているのは第七戦隊かあるいは第八戦隊に所属する「最上」型重巡か「利根」型重巡のいずれかだ。
嫌な予感を覚えつつも俺は「翔鶴」に着艦し、発着機部員らの労いの言葉への返礼もそこそこに艦橋を目指す。
「やられたのはどの艦ですか」
艦橋に駆け込むなり、俺は第三艦隊司令部スタッフに直截に疑問をぶつけた。
「『三隈』がやられました。迎撃第二陣は敵機のほとんどを撃墜あるいは撃退してくれたのですが、完全に阻止することはかなわず、第三艦隊上空に二機の急降下爆撃機の侵入を許してしまいました。そのうちの一機は対空砲火で撃墜、残る機体も煙を吐かせたのですが、そいつが『三隈』に体当たりを敢行したのです。
『三隈』にとって不運だったのは、敵機が突っ込んだところが艦載機繋止甲板だったことです。
そのことで、艦載機繋止甲板の下にあった魚雷発射管や予備の魚雷に火が入り誘爆を惹起させてしまいました。残念ながら『三隈』のほうは復旧の見込みが立たず、すでに総員退艦命令が出されています」
俺の無礼な質問に源田参謀が嫌な顔一つせず説明してくれたが、悪い予感が的中したことで暗澹たる気持ちになった。
本来であれば、重巡「三隈」は今年六月に生起したミッドウェー海戦で沈没するはずだった。
だが、俺というイレギュラーな存在の出現によって「赤城」や「加賀」、それに「蒼龍」や「飛龍」といった空母とともに撃沈されることもなく本土へと帰還することが出来た。
しかし、その一カ月あまり後に彼女が沈没の憂き目にあうとは俺も予想していなかった。
その俺は、いまさらながらに歴史の復元力という言葉を思い出している。
いくら個人が必死になって歴史を覆そうとしても、その大きな流れは変えることが出来ず、時期は多少ずれるものの結局は元の歴史通りになってしまうというものだ。
だからこそ次の瞬間、嫌な想像あるいは予感めいたものが俺の脳裏をよぎる。
この場に「三隈」以外にもう一隻、この時期に浮いているはずのないイレギュラーな存在がある。
「三隈」と同じくミッドウェーで沈むはずだった空母「加賀」だ。
嫌な予感が胸中いっぱいにまで膨れ上がる頃には俺は空中といわず海上といわず、さらには海中にまで感知魔法を使って三次元捜査を開始していた。
今日の俺は感知魔法、しかも魔力を大量に消耗する広域のそれを使って零戦隊を誘導し、さらには大威力の拡散火炎弾で敵雷撃機を撃破と魔法の使いっ放しだ。
並の魔法使いであれば拡散火炎弾だけでとっくに魔力切れを起こしているはずだ。
だが、女神からのチートを授かった俺の魔力量は規格外でありまだまだ十分に余力を残している、と言いたいところだが実はそうでも無い。
体力や精神力といったものとは違う、魔力量の低下に伴う独特の疲労感を嫌というほど自覚していた。
だが、今はそんなことは言っていられない。
俺の感知魔法に、しかし確かに海中の刺客が引っ掛かる。
「加賀」の右斜め前方、彼我の距離は約二〇〇〇メートル。
耳に聞こえる泡立つような音は、あるいは発射管に海水を入れるための注水音か。
一方、ターゲットにされた側の「加賀」はといえば、敵潜水艦に気付かないのだろう、横腹を大きくさらすようにしてそのまま刺客に近づく進路をとっている。
状況は最悪だ。
間もなく、敵潜水艦から「加賀」目がけて魚雷が発射される。
あせりからか、気持ちより先に口が動く。
「大至急『加賀』に面舵を命じてください! 敵の潜水艦が『加賀』を狙っています!」
俺の叫ぶような要請に南雲長官がすかさず命令を下す。
「『加賀』に面舵を命令しろ! 無線、発光信号、あらゆる手を尽くして迅速に通達せよ」
血相を変える俺に、しかし南雲長官は命令を通信参謀に冷静に伝える。
それでも、間に合わない。
例え、命令が最短時間で「加賀」に届いたとしても公試排水量が四〇〇〇〇トンを大きく超える彼女が艦首を右に振るのには相応の時間がかかる。
四〇〇〇〇トンの慣性はあまりにも大きい。
そう思ったときには魔法を使っていた。
「テレポート!」
そう叫び、俺は瞬間移動魔法を行使する。
特化型の魔法使いと違って万能型の俺は長距離テレポートこそ使えないが、それでも数キロ隔てただけの距離であれば十分に届く。
「翔鶴」の艦橋から「加賀」の飛行甲板へと一瞬で移動した俺は、突然現れたラフな服装の若造に驚く将兵たちを無視して右舷の海面を睨み据える。
俺を誰何する者はいない。
「赤城」とともにミッドウェーの激戦を潜り抜けた「加賀」の乗組員の中で俺のことを知る人間はことのほか多い。
その俺が凝視する海面に、つられるようにして目を向けた将兵の一部が息を飲む。
海面にこちらに向かってくる白い航跡、しかもそれが六本。
その六筋の航跡はそれぞれ少しずつ角度がついているから全弾が命中することはないはずだが、それでも半分以上は当たりそうだった。
魚雷と一口に言っても、航空魚雷に比べて二倍近い重量を持つ潜水艦の魚雷は、その分だけ威力が大きい。
いかに四〇〇〇〇トンを超える「加賀」であったとしても三本乃至四本を、しかも片舷に集中して食らえばまず助からない。
あるいは、この時期の米軍の魚雷は不発が多かったから、仮に命中したとしても起爆しないのかもしれない。
しかし、そんな根拠の薄い幸運に頼るのはある意味において自殺行為だ。
俺はありったけの魔力を練り込んでシールド魔法を発動させる。
一瞬のうちに全長二五〇メートル、海面から深度一〇メートルにわたって光のフェンスが「加賀」の右海面に張り巡らされる。
「加賀」の飛行甲板や艦橋からも右の海面に艦の全長いっぱいにわたって輝く海中の光芒が見えたことだろう。
そこへ敵潜水艦が放った魚雷が次々に突き刺さる。
爆発威力を解放させたそれらは巨大な水柱と変わり、そのことで大量の海水が「加賀」の飛行甲板に降り注ぐ。
「加賀」の左側に位置する他艦の乗組員からは彼女が六本の魚雷を食らったのだと勘違いしたことだろう。
だが・・・・・・
「何とか、守れたようだな」
海水を頭からかぶりつつも俺は満足のつぶやきとともに、その場にへたり込む。
通常であれば、人ひとり分を守るために使うシールド魔法を「加賀」そのものを守るために行使した。
上級魔法使いでさえせいぜい数人のパーティーを守る程度の範囲でしか展開できないそれを空母まるごとに適用したのだ。
それに必要な魔力量は尋常なものではない。
俺の魔力はこの瞬間に底をついてしまったようだ。
恐ろしく強烈な眠気が俺に襲い掛かる。
「ああ、魔力が切れてしまうとこういう状態になってしまうのか」
そう理解しつつ、俺は闇に意識を委ねた。
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