第22話 人材の差
「空母、それに戦闘機については承知しました。ところでジュンさん、米国の水上打撃戦力についても分かっていることがあればご教示願いたいのですが」
連合艦隊司令長官であり海軍大将でもある自分に対してずけずけと物を言う、そんな若造に対して、だがしかし山本長官は下手に出る。
とりあえず自身の気持ちはさておき、神の眷属を自称する俺から取れるだけの情報を取ってしまおうということだろう。
階級をかさに威張ったり、怒鳴ったりした時にはキツイ魔法の一発でもくれてやろうかと思っていたが、彼の冷静な態度に安堵する。
人の上に立つ者、こうでなければいけない。
「水上打撃戦力については昨年に『ノースカロライナ』と『ワシントン』の二隻の新鋭戦艦が就役したことはすでにご存知だと思います。さらに今年中にはこの二隻を上回る戦力というか防御力を持つ四隻の『サウスダコタ』級が相次いで就役します。来年以降については三三ノットの高速を誇る『アイオワ』級がこちらもまた就役を開始しますが、これらは六隻計画されていたものの最終的には四隻で打ち止めになると思われます。
それと、五隻が計画されていた『モンタナ』級と呼ばれるはずの四〇センチ砲を一二門装備した六万トン級戦艦については建造されることは無いでしょう。理由は空母建造の優先順位が繰り上がり、その分のしわ寄せが戦艦にいってしまったことによるものです。
さらに、三〇センチ砲を九門持つ三万トンの大型巡洋艦、実質的な巡洋戦艦は六隻が計画されているものの、こちらも日の目を見るのは二隻かどんなに多く見積もっても三隻まででしょう。それから、重巡洋艦や軽巡洋艦といった中型艦は合わせて数十隻、駆逐艦は護衛駆逐艦を含むと数百隻が二、三年のうちに建造されるはずです」
俺が今言った言葉は、当然のことながら山本長官にとっても想定の範囲内だろう。
二大洋艦隊整備法案による艦艇建造計画は秘密でもなんでもなかったし、帝国海軍もそのデータは戦前にすでに入手済みだ。
「ジュンさんから改めて聞かされても、やはりすさまじいまでの工業力ですな、米国のそれは。空母も戦艦も我々の数倍のペースで充実させつつある。日米の国力差が極めて大きなことは承知していましたが、それでもここまで大きな開きがあるとは」
嘆息交じりに感想を吐き出す山本長官に、しかし俺はもっと重要な点を指摘する。
「確かに米国の経済力や生産力は他の国々とは隔絶しています。ですが、真に恐ろしいのは短期間に建造されるこれら艦艇ではありません。
本当に恐ろしいのは、それらに乗り組む人間を用意できてしまうところなのです。
陸軍とは違い、海軍将兵は兵士であると同時に洋上での複雑な戦闘機械を操る技術者でもある。そして、それら兵士を管理教育して組織を回すために存在するのが士官、そういった認識で間違い無いでしょうか」
俺の問いかけに山本長官は首肯する。
「その士官ですが、一人前として計算できる大尉にはふつう一〇年、一個戦闘単位を任せることが出来る中佐であればその養成には二〇年程度はかかります。
戦艦や空母といった大型軍艦ならさらに時間のかかる大佐、駆逐艦や潜水艦といった小型艦であれば中佐か少佐が艦長の任につきますが、米国は大量生産される艦艇に合わせてそれらに乗り組む人間が用意できてしまうのです。
米国は科学力に優れ、工業力は他の国と比較して隔絶していると言っていい。週刊空母や日刊駆逐艦は大げさではありません。
だが、問題の本質はそこではない。艦艇を造るのにもそれを動かすにも、しかるべき教育を受けた人材が大量に必要とされる。佐官や尉官という極めて養成に時間がかかるはずのそれらを米軍はあっさりと用意してしまうのです。
陸軍はともかく、海軍においてはこのようなことが出来る国など存在しません。教育システムが洗練された英国でさえ困難でしょう。
士官だけではありません。下士官兵にしたところで、高等教育を受けさらに自動車免許はもとより飛行機の操縦資格を持つ者も少なくない。つまりは、機械いじりに慣れた連中が多いということです。軍隊の中でさえ自動車免許保有比率がわずか数パーセントにしか過ぎない日本軍とはえらい違いです。
大学卒の比率もまた日本とは比べものにならないし、そのうえ米国は銃社会でもありますから銃器の扱いに慣れた者も多い。いかなる分野においても凄まじいまでの人材の層の厚さ、それこそが米国の真の恐ろしさなのです。
翻って帝国海軍では製造現場にしろ第一線で戦う兵士にしろ、人材の不足は深刻です。中国との戦争が始まっただけで中佐や少佐、それに大尉といった中堅幹部は決定的に不足し、艦隊の術力を担保する特修兵は必要数を大きく割り込んでいる。
部隊の平均練度は組織を拡大、あるいは日を追うごとに大きく低下。一人二役あるいは三役を担わされる佐官や尉官たちは日々の業務を処理するのに手一杯で、各部隊からは特修兵や熟練兵の配属要請がひっきりなしのはずです。このような状況を自覚していながら米国との戦争に踏み切ったのだから、俺からすれば無謀を通り越してアホじゃないかとしか言えません。
米国との戦争が始まってからは状況はさらに深刻です。実戦部隊でさえ燃料や弾薬が不足する中にあって訓練部隊に演習用の弾薬や燃料が潤沢に供給されるわけもなく、これでまともな兵士など育つはずもない。
一方、米国のほうは有り余る物量を実戦部隊だけでなく教育隊にも振り向け、新兵は燃料や弾薬の消費を気にすることなく存分に訓練を行うことが出来る。例えば、同じ機銃座を受け持つ兵士でも、日米の将兵では訓練に費やした銃弾の数は大きく違います。もちろん、米兵のほうが盛大にぶっ放している。どちらが上手く敵機を墜とせるかは言うまでもないでしょう。
搭乗員の養成についてはさらに差が広がります。帝国海軍は教官も教員も、機材も油も無い無いづくしです。
それと、米海軍は戦闘だけでなくダメージコントロールの教育にも熱心で、多くの将兵が十分な訓練を受けています。米国の軍艦がダメージコントロールに優れているのは応急指揮装置の性能の高さや艦艇設計の妙もあるが、なにより将兵たちが十分なトレーニングを積んでいることが大きい。一方で、帝国海軍では現状、被害応急に通じた人間は数えるほどでしかない。目ぼしい人材と言えば『翔鶴』の運用長くらいのものでしょう」
日本軍は指揮官はダメだが兵隊は優秀だったという話が昭和の時代にはあったらしいが、実際のところ下っ端の兵士にしたところで米国のほうが断然上だった。
それは、日米双方の教育カリキュラムと実際に行われていた訓練の実態、それに費やされた予算と物量を比較すれば想像に難くないし、なにより戦闘結果がその事実を雄弁に物語っている。
史実における日米の艦艇の、海軍将兵のキルレシオの差は大きかった。
戦艦や空母といった主力艦は特にそれが顕著だ。
例えば、日本が完全無力化に成功したアメリカの戦艦は開戦劈頭の奇襲攻撃で撃沈した「アリゾナ」と「オクラホマ」のたった二隻だけなのに対し、日本側は「長門」を除くすべての戦艦が沈められるかあるいは無力化されてしまった。
正規空母も戦前からある四隻を撃沈しただけで、新型の「エセックス」級空母はただの一隻も沈めていない。
まあ、艦艇の性能で負け、人材でも負け、そのうえ指揮官の資質に至ってはボロ負けなのだからある意味当然といったところか。
軍事以外、政治家や外交官の能力もまた同樣だ。
日米の差は工業力や国力のそれでは無く人間そのものの差だ。
米国は民主主義国家だ。
日本もまた議会制民主主義を標榜してはいた。
だが、実際には軍事独裁だ。
民主主義と独裁。
民主主義の強さというのはその構成員、つまりは国民が意思決定に参加したという自覚があること。
そういった連中は自己が所属する国家、あるいは集団や団体に対して相応の責任感を持ち合わせており、何より自由を守るという強靭な意思を有している。
一方、独裁はこの逆で、意思決定から排除された人間は集団への帰属意識を持たないかあるいは持っていたとしても極めて薄い。
上からの命令に唯唯諾諾と従うだけだ。
だから、逆境に陥った時、民主主義の兵士は自身で物を考えることが出来る、あるいはそのように訓練されているからそれなりに持ちこたえるが、独裁では加速度的に兵士が脱落して一気に総崩れとなる。
日本軍は玉砕が多かったことから最後まで戦い抜くというイメージを持つ人間も少なからずいるようだが、統率を失った潰走もまた多かったのだ。
その多くは、非戦闘員を見捨てての我先の逃走だった。
気がつけば、少しばかり長くしゃべり過ぎたようだ。
一気呵成に喋りまくった俺の言葉を、山本長官は咀嚼しているように見える。
しかし、彼がいくら知恵を絞りだそうとしても、あの連合艦隊司令部スタッフではまともな戦略を見出すことなど期待出来ようはずもない。
だから、俺もまったくもって勝ちパターンが見いだせない
俺は異世界ではなくこの困難な状況に放り込んでくれた地味女神に改めて怒りを覚えるとともに、有る種の諦観も自覚する。
「どうあがいてもこの戦争、勝てねえよな」
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