第21話 零戦とF4F

 「空母の建造計画に関連してですが、これら空母に搭載される戦闘機についてはF4Fワイルドキャットの後継となる二〇〇〇馬力級発動機を搭載したF6Fヘルキャットが昭和一八年後半、さらにそれに続くF8Fベアキャットが昭和二〇年の同じく後半に現れます。F6Fは六〇〇キロを超え、F8Fは七〇〇キロ近くに達する。

 ミッドウェーを巡る戦いではF2Aバファローやあるいは米機と直接干戈を交えることはありませんでしたが九六艦戦といった旧式機が参加していました。しかし、これら機体が運用できるのもあとわずかの間だけでしょう。

 そして、来年の後半からは一〇〇〇馬力クラスといった貧弱な発動機しかもたない戦闘機は極めて不利な戦いを強いられる」


 「米国はあと一年ほどで新型戦闘機を繰り出してくるというのですか。つまり、零戦の優位もあと一年しかもたないと」


 空母の建造計画だけでもショックなのに、そのうえ矢継ぎ早に繰り出してくる米新型戦闘機の情報に山本長官の表情はさらに冴えない色を帯びる。

 まあ、わざとショックを受けるような言い方をしているのではあるが、それはそれとして現状認識について俺と一致しない個所があったのでそこを指摘する。


 「そもそもとして、零戦とF4Fでは戦闘機としての性能に差はありませんよ。上昇力や最高速度、それに旋回性能こそ零戦が優越していますが、逆に降下速度や武装、それに搭乗員を守るための防御力に関しては向こうのほうが明らかに上でしょう。組織立った戦闘を担保するための通信能力に至っては月とスッポンです。

 現時点における零戦とF4Fの差は搭乗員の差でしかありません。視力、つまりは敵発見能力に優れ、実戦経験豊富な熟練が駆る零戦が実戦経験の少ない米搭乗員に対して優位を保っているだけの話です。

 逆に言えば、熟練を消耗すれば零戦とF4Fの力関係は容易に逆転する。実際に搭乗員養成能力に関して言えば、油や機材を惜しみなく教育隊にも回せる米側が圧倒的に上です。なので、今後投入されるであろう日米の新人搭乗員の技量の差は、遺憾ながらかなり大きなものになるでしょう」


 俺は零戦とF4Fの比較の中に、さりげに搭乗員の重要性を混ぜ込む。

 ノモンハンの戦いで幹部搭乗員を大量喪失するという痛手を被った帝国陸軍と違い、帝国海軍はどうも搭乗員保護の重要性を理解していない節がある。

 ソロモンの一大消耗戦でやっとそれに気づいたくらいだから、勝ち戦が続いている現状では危機感がそれほどでもないのだろう。

 帝国陸軍がいささか不十分とはいえ、それでもすでに一式戦闘機に防弾装備を施していたのとは大違いだ。


 それと、零戦とF4Fに関して言えば、山本長官の機嫌を損ねないように互角だと言ったが、正直言って俺は零戦よりもF4Fのほうが戦闘機械あるいは戦闘端末として見れば明らかに上だと考えている。

 昭和の頃は零戦を駆る日本のエースがバッタバッタとF4Fを墜としていったという戦記の影響からか、F4Fよりも零戦のほうが強いと信じる者が多かったらしい。

 しかし、その言説についてはいささか疑問だ。

 大学のようなしっかりとした研究機関ではなく、一個人が調べた範囲なのでそれが正しいかどうかは保証できないが、それでも入手可能だった日米双方の資料を突き合せた結果は残念ながらキルレシオについてはF4Fが優勢だった。

 それと、米国の戦記を読むと無線通信に優れたF4Fがサッチウィーブをはじめとした連携戦術を駆使して面白いように零戦を墜としまくっている。

 これら日米の戦記をどこまで信用していいのかは俺自身も正直量りかねているが、日本の戦記は零戦が、米国の戦記はF4Fが勝利した描写が多いのはやはり営利を目的とした商業誌だからだろう。


 それゆえに頼れるのは一次資料をはじめとした元資料であり、間違っても安い商業誌や無料のネットの言説を鵜呑みにすることは出来ない。

 ただ、零戦の弁護をさせてもらうならば、当時の零戦の搭乗員が連戦で疲労していたのに対してローテーションで戦うことが出来たF4Fの搭乗員が元気だったこと、それに多くの場合でF4Fの側が数的優位を確保していたことも無視できない要因なのでそこは考慮しなければならないと思う。

 実際、部隊によっては微熱程度であれば搭乗員に出撃を強要するところもあったのだ。

 また、それとは別に零戦の搭乗員に無駄に元気の出るいけない注射を打って戦闘に臨ませていたのだから(もちろん全員ではない)、どう考えても万全の状態とは言い難いだろう。

 だが、それらを考慮したとしても、それでもやはり三空や台南空あるいは母艦航空隊といった例外的なエース部隊を除く標準的な練度の部隊同士の戦いにおいては零戦は明らかにF4Fに後れを取っていた。


 それと、機体もそうだが、搭乗員のキルレシオに至ってはもはや一方的と言ってもいいくらいに零戦が負けている。

 被弾時あるいは墜落時における搭乗員の生存率は零戦とF4Fとでは同じ戦闘機とは思えないくらいにその差は隔絶していた。

 防弾装備無しで空中戦に挑むことがいかに無謀なことかは零戦と犠牲になった搭乗員が身をもって証明したと言っていい。

 俺に言わせれば、F4Fは戦争に勝つための純然たる戦闘機だが、零戦は操縦席周りの防弾すらも無に等しいただ機銃を積んだだけのスポーツ機だ。

 さらに素材や工作精度といった機体そのものの信頼性においてはまさに天と地、戦争後半の稼働率の差はあまりにもひどすぎた。


 「搭乗員の教育に関してはジュンさんのおっしゃる通りですな。実際、真珠湾攻撃に際しては教育隊の教官や教員を引き抜くことまでやって員数合わせをしたのですから。

 ですが、米国に対して長期戦では勝利が望めない以上、無理を押して現有戦力で最後まで戦う以外に選択肢は無いと考えていた。

 だが、ジュンさんの視点では、開戦から半年以上経ったのにもかかわらず、我々はいまだ米国の喉元に匕首を突きつけることすら出来ていない。つまりは、これが現状ということですかな」


 山本長官のどこか諦観の滲んだ言葉に、だが俺はさらに厳しい指摘をする。


 「真珠湾攻撃に懲りたのか、米国はオアフ島基地に二〇〇機を超える戦闘機をすでに配備しています。まあ、開戦前の時点でさえ一四〇機近くあったのだから、それほど顕著な増強とは言えないのですが。

 それと、電探基地も充実し、B17爆撃機やカタリナ飛行艇の哨戒も密になっています。一方、我々といえば、MI作戦という帝国海軍始まって以来の大作戦にもかかわらず戦闘正面にわずかに七二機、予備やミッドウェーに配備予定の機材を含めてもせいぜい一〇〇機程度の戦闘機しか用意できなかった。こんな戦力ではハワイ攻略など夢物語にしか過ぎません。

 オアフ島という小島にすら遠く及ばない、こんな貧弱な洋上航空戦力しか持ちえない国に、どうして米国が講和に応じるとお考えですか。そもそもとして、一国が総力を挙げた戦いで戦闘機が一〇〇機しか用意できないなんてなんの冗談ですか。

 欧州じゃ一〇〇機を超える戦闘機の戦いなど日常茶飯事ですよ。バトル・オブ・ブリテンにおいて、ドイツ空軍は多い日には一〇〇〇機を超える戦爆連合を繰り出していた。それに比べれば、ミッドウェーの戦いなど局地戦レベルにしか過ぎない。

 このような現実に直面していながら、それでも米国との戦争を楽観できる者がいたとしたら、そいつはアホ以外の何者でもない。米国はドイツとは比べ物にならない化物国家ですよ。

 その米国はこの秋にも我が方の倍以上の戦闘機を太平洋戦線に送り込んでくるでしょう。いくら三空や台南空といったエース部隊を擁していようとも、最後は米国の数の暴力に呑み込まれてすり潰される。そうなってからでは、もはや日本に勝機が生まれることは無い」


 零戦がF4Fと互角、あるいは劣るといった話など、山本長官にとっては不愉快極まりないことだろう。

 帝国海軍の戦闘機隊が数の上で貧弱極まりないという指摘も。


 だが、戦争が始まってからの半年というものは、準備の整わない寡兵の植民地警備軍の戦闘機隊に対して数に勝る日本の正規部隊の戦闘機隊が優位を保っていたに過ぎない。

 あるいは、そのことで無敵零戦神話が生まれ、同機に対する過大評価が定着する一因となったのかもしれない。

 しかし、その一方で山本長官は陸戦であれ海戦であれ航空優勢獲得の要となる自軍戦闘機隊の数の貧弱さについては誰よりも自覚しているはずだ。

 珊瑚海海戦もミッドウェー海戦も、その苦戦の原因は明らかに戦闘機戦力の不足によるものという指摘が正しいことは、すでに彼も理解しているだろう。

 だから、俺は山本長官の次の言葉を待つ。

 海軍三顕職でしかも大将である自分に何の遠慮も忖度も無くずけずけと物を言う若造に対して彼がどういったリアクションを取るか。

 それは、つまりは俺の今後のこの世界での身の振りに間違いなく大きな影響を与えることになるはずだった。

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