第20話 建艦計画
帝国海軍士官、それも連合艦隊司令長官ともなるとそれはもはや軍服を着た一外交官ではなく洋上の大使閣下と言ってもいいだろう。
いや、まあ俺は外交のことはよく知らないので適当なことを言っているだけなのだが。
で、駐米経験をはじめ国外の出張歴が豊富な山本長官はレディーファーストをはじめとした欧米のマナーに非常に通じていたらしい。
一方、俺のほうはと言えば、社会人あるいは組織人としての経験がまったく無く、そのうえ絵にかいたような庶民出なので上流階級のマナーや流儀など知るはずもない。
なので、夕食に出す料理の希望を聞かれたときには一切の迷いもなくカレーを頼んだ。
それと、デザートはともかく前菜なども無しでお願いした。
金曜日ではなかったものの、カレー程度であれば料理人の負担はさほど大きくはないだろうし、俺のほうはナイフやフォークの使い方に神経を使わなくて済む。
それに、艦オタの一人として帝国海軍の、しかも「大和」の海軍カレーであればぜひとも味わっておきたい。
山本長官はもっと良いものをお出しできますがと笑っていたが、気を遣う高級料理よりも気楽に食べられるB級グルメのほうがよっぽどマシというものだ。
その今夜の夕食は、建前では俺と山本長官の二人きりの食事ではあったが、さすがに従兵はついた。
この席に立ち会うのだから、口が堅く任務に忠実な信頼のおける人物なのだろう。
「大和」で出されたカレーは、俺が知るレトルトの海軍カレーよりもかなり肉の含有量が多くしかもそれはとっても柔らかかった。
おいしいカレーを口に運びつつ、最初に話題になった帝国海軍の宿敵とも言うべき米海軍戦力の今後について記憶を掘り起こす。
米海軍は民主主義国家の軍隊ゆえに予算を議会に通す必要があることから帝国海軍もその概要についてはかなり正確に掴んではいる。
その米国の海軍戦備だが、それはもう凄まじいの一言だ。
新時代の海戦、つまりは洋上航空戦の要となるのはなんと言っても航空母艦だろう。
昭和一五年時点において帝国海軍は二年後の昭和一七年から米空母の就役ラッシュが始まることをつかんでいた。
これは、なにも機密情報といったものではなく、国家予算の裏付けとその発注を伴った公開情報なので確度は高い。
そのうえ、某有名な年鑑をはじめそのことを記した書籍も複数販売されている。
当時の資料によれば、昭和一七年に「ホーネット」級空母、昭和一八年以降は年に三乃至四隻のペースで「エセックス」級空母が合わせて一一隻就役する予定だった。
一方、同時期の帝国海軍で目ぼしい正規空母といえばマル三計画の「翔鶴」と「瑞鶴」、それにマル四計画の「大鳳」くらいのもので、あとは改造空母でお茶を濁すといった程度。
搭載機数も米側の一二〇〇機に対して「翔鶴」と「瑞鶴」、それに「大鳳」のそれはせいぜい二〇〇機程度。
よく言われる開戦劈頭の真珠湾攻撃によって米海軍は大艦巨砲から航空主兵へと舵を切ったというのは一面では真実なのだろう。
だが、たとえ真珠湾攻撃が無かったとしても米海軍は一ダースもの正規空母をとっくの昔にオーダーしていたのだ。
さらに戦艦や巡洋艦、それに駆逐艦や潜水艦もまた、日本の建艦計画に比べてその数の差は隔絶している。
このことを知るからこそ、対米強硬派は一日も早い開戦を望んだ。
米海軍の建艦計画を見れば、山本長官が早期決戦短期和平以外に道無しと考えるのも無理な話ではなかった。
そんな彼に、だがしかし俺はさらに過酷な現実を伝えなければならない。
「せっかくの食事がまずくなるかもしれませんが、俺が知っていることを先にお話ししておきます。
まず米空母についてですが、三隻の『ヨークタウン』級と『「サラトガ』は折り畳み機構を備えた新型F4Fの配備やあるいは艦上機の格納方法の改善改良などによって開戦時には七〇機あまりだった搭載機数が今後は九〇機近くにまで増加するはずです。
それと、一回り小さい『ワスプ』や『レンジャー』も侮ることはできません。
この二隻は一万五千トンほどの小さな艦型にもかかわらずその搭載機数と航空機運用能力は『翔鶴』型に匹敵します。これら六隻の米空母の搭載機数は五〇〇機近くにのぼります」
山本長官はカレーには口をつけず黙って俺の話を聞いている。
その目が先を続けるよう促している。
「それから、今年末には工期を繰り上げた『エセックス』級の一番艦が竣工するのですが、悪いことにこの空母は一〇〇機を搭載する極めて強大な攻撃力を持つ空母です。一隻で『翔鶴』型プラス小型空母、あるいは『隼鷹』型二隻分の戦力を持つうえに艦自体の抗堪性も日本のそれに比べてはるかに優れている。つまり攻撃力は高く、そのうえ滅茶苦茶沈めにくい、極めて始末の悪い空母です。
そして来年、つまり昭和一八年にはその『エセックス』級が六隻に巡洋艦を改造した『インデペンデンス』級小型空母が九隻完成します。まさに月刊空母といったところでしょう。
「インデペンデンス」級のほうは一隻あたり三三機前後を運用できるうえに元が巡洋艦だから帝国海軍の小型空母に比べて脚もかなり速い。既存の六隻の空母と七隻の「エセックス」級、それに九隻の「インデペンデンス」級を合わせればその搭載機数は約一五〇〇機にものぼります。
さらに、護衛空母も竣工ラッシュが始まります。こちらは週刊空母と言われるほどにその数は多い。それと、悪いことに昭和一九年以降も『エセックス』級空母の竣工ラッシュは続き、昭和二〇年にはさらに巨大な四五〇〇〇トン級空母が就役を開始するはずです」
良い匂いのするカレーを横目にスプーンを止めて話をする俺に気遣ったのだろう、食べながらお話をしましょうと言って山本長官が微苦笑を向けてくる。
「私は以前、当時の近衛首相に米国との戦争については半年や一年の間は暴れてみせるが、二年三年となれば全く確信は持てないと言ったことがあります。空母をはじめとした米海軍艦艇の整備計画については私もある程度承知しているつもりでしたから。そして、実際に戦争が始まったからにはその建造ペースが加速されることも。だからこそ、決着を急ぐ必要があった。
だが、それにしてもここまでの急速な戦備の充実は想定外です。昭和一八年のわずか一年の間だけで正規空母が六隻に軽空母が九隻も戦列に加わるなど、いくら米国の工業力が我が国のそれに比べて隔絶しているとはいえにわかには信じがたい思いです」
そう言う山本長官の顔は少しこわばっている。
薬を利かせ過ぎてしまったか。
それでも、俺はその彼に冷酷な現実を突きつけなければならない。
「米国は『エセックス』級だけで三〇隻を超える建造計画をすでに進めているころでしょう。さらに『インデペンデンス』級をしのぐ『ボルチモア』級重巡洋艦を改造した空母も建造されるはずです。こちらは五〇機程度を運用でき、『蒼龍』や『飛龍』に迫る戦力を有しています」
「『エセックス』級空母だけで三〇隻以上、そしてそれらを大きくしのぐ四五〇〇〇トン級空母。さらには一〇隻近い『インデペンデンス』級空母に重巡改造空母までが建造されるというのですか。いったい、米国は空母を何隻造れば気が済むのか」
米国通を自認してきた自身のそれを遥かに上回る米国の空母建造ペースの凄まじさに山本長官は顔色を失いつつある。
見ていて少しばかり気の毒にも思えてきたが、それでもミッドウェー攻略作戦などというおバカな計画を打ち立て一航艦の将兵を無駄に苦しめたツケは払ってもらわなければならない。
だから、俺は追撃の情報を彼に吹き込むことにした。
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