第18話 連合艦隊司令長官

 「単刀直入にお尋ねします。占領したミッドウェー島についていかがお考えですか」


 長官室に入るなり山本長官は本題を切り出してきた。

 連合艦隊司令長官という海軍の重鎮が、しかも初対面の人間といきなり二人きりになるというのはあまりにも不用心ではないかと思ったが、あるいはそのことにすら思い至らないほどに混乱しているのか、もしくはそれほどまでに俺のことを信頼してくれているのか。

 だが、そのような余計なことを考えている時間は無さそうだ。

 だから、俺も一切の装飾を省いて答える。


 「ミッドウェーの占領は悪手ですよ。補給が続きませんし、なによりハワイに近すぎます」


 俺の答えをなかば予想していたのだろう。

 あまりにも平凡すぎる俺の返答に山本長官は納得と落胆が相半ばするような表情を見せる。


 「南方作戦が片付きましたので駆逐艦をはじめとした護衛艦艇にも少しばかり余裕が出来ました。補給についてはこれら艦艇を惜しみなく投入して万全を尽くす所存です」


 そう話す山本長官に、だがしかし俺はさらにダメ出しを重ねる。


 「米軍が潜水艦や水上艦艇だけでミッドウェーへの補給を妨害すると考えているのでしたら甘いですよ。連中は燃料や弾薬が欠乏する日本軍と違って戦争資源を大量に持ち合わせているから出し惜しみしません。

 その米軍はミッドウェーへの補給船団に対しては間違いなく機動部隊を投入してきます。日本本土からミッドウェーまではあまりも距離が有り過ぎる。本土を進発した補給船団は間違いなくどこかで捕捉され、それを米機動部隊は叩きにかかるでしょう。

 ミッドウェーへの補給船団は連中にとってはちょうどいいサンドバッグかあるいは噛ませ犬といったところでしょうね。来たるべき日米機動部隊の決戦を前にしてネギを背負ったカモを相手に練度の向上を図ることが出来る。

 それに、輸送船を撃沈することで少なからず日本の国力にダメージを与えることにもなりますからいい事ずくめです。あるいは、ミッドウェー島を日本に占領させたのは米軍最後のそして最大の罠かもしれません」


 「米軍が補給妨害ごときの任務に虎の子の機動部隊を投入してくるとおっしゃるのですか」


 山本長官の言葉は、あるいは帝国海軍将兵が持つ宿痾のようなものなのかもしれない。

 弱い商船を叩くのは卑怯といった考えを抱くアホこそ少なくなったものの、それでも商船よりも軍艦の撃破に血道を上げる人間がほとんどだし、実際、帝国海軍内の人事評価も商船撃破よりも軍艦撃破のほうがポイントになりやすいのは間違いのないところだろう。


 「米国は珊瑚海海戦で沈められた『レキシントン』を除き、いまだに六隻の正規空母を擁しています。このうち、『ヨークタウン』は修理のためにしばらくは活動出来ないでしょう。

 それと、『レンジャー』は大西洋から動くことは無いと思われます。さらに、『ホーネット』ももう少しすればオーバーホールのためにしばらく戦列を離れることになる。その代わりに大西洋から『ワスプ』が回航されてきます。つまり、太平洋艦隊がすぐに使える空母は当面の間は『エンタープライズ』と『サラトガ』、それに『ワスプ』の三隻のみとなります。

 ですが、三隻あれば常に一隻は作戦行動が可能であり、通商破壊であれば一隻だけで戦力は十分と言えるでしょう。もし、米空母から補給船団を守ろうとすればこちらも同等以上の戦力を持つ空母を用意する必要があります。

 だけど、今の連合艦隊にそれが出来ますか? 戦力の小さい小型空母でお茶を濁せば『祥鳳』の二の舞は避けられませんよ。なにより、ミッドウェー攻略作戦において全力出撃なんてことをやったために燃料の在庫は危険なまでに払底したはずです。そんな状況で十分な護衛を出せますか?」


 最後は詰問する形になった俺の指摘に山本長官は渋面を浮かべる。

 ミッドウェーの占領は現実的ではないというのは各方面からそれこそ耳にタコが出来るくらいに聞かされているはずだが、燃料事情のことを指摘されるとは思わなかったのだろう。

 この燃料の浪費もまた、ミッドウェー攻略作戦における目に見えにくい失敗の一つだ。

 史実ではこの後に起こるガダルカナル島を巡る戦いにおいて、帝国海軍は常に燃料不足に悩まされた。


 「他の連中が言った通り、やはりミッドウェー攻略作戦は拙速だったのかもしれませんな。準備が整わないから作戦を延期してくれと訴える声を私は自身の権限をもって抑え込んできたのですが、今思えばもう少し彼らの声を聞くべきだったのかもしれません」


 「米国との戦いにおいて短期決戦早期和平以外に活路を見いだせないという長官のお気持ちは理解しているつもりです。実際、米軍の戦力は日を追うごとに日本のそれと隔絶していきますから。

 ただ、一方で申し上げにくいのですが、そもそもとして短期決戦早期和平というのは画餅に過ぎなかったのです。米国はたとえ艦隊を撃滅されようがハワイを失おうが本土が無事であれば決して相手に屈するような真似はしません。日本と違い、かなりの長期間に渡って自給自足が可能ですから。

 そのうえ彼らは自暴自棄になりやすいどこかの国の連中と違って非常に粘り強い。潔く散ることを美徳と考える、つまりはあとに残る人間の負担を考えない無責任などこかの国の連中とは大きく違うということです。

 米国を屈服させるには少なくとも西海岸を占領するか、あるいは東海岸の主要都市や工業地帯を焼け野原にでもしない限り無理なはずです」


 「私はこの戦いで太平洋艦隊の残存艦隊を叩き、さらにミッドウェーを足場にしてハワイに攻め上るつもりでした。そのことで西海岸住民のパニックを惹起せしめ、米国民の反戦世論を背景に日本にとって可能な限り有利な条件で米国と手打ちするつもりでしたがそれは甘かったというのですね」


 「米国は外地に投入できる戦争資源のその八割以上を欧州に振り向けています。対日戦に投じられるのはどんなに多く見積もっても二割に届かない。

 その割合を少し変えるだけでハワイは守れずとも西海岸の守りは盤石となるでしょう。そのことで、英国やソ連から苦情を受けるかもしれませんが、それだけのことです」


 「米国の底力は理解していたつもりですが、それでも我々が対峙していたのは二割に満たない戦力だったというのですか」


 忌憚のないというか、無礼極まりない俺の指摘に山本長官はかろうじて疑問の言葉を絞り出す。

 残念ながら米国が本命としている、あるいは恐れているのは科学力に優れたドイツただ一国のみだ。

 はっきり言って科学後進国の日本や弱腰のイタリアは眼中に無い。

 だからこそ、投入できる戦力の大半を対独戦に充てている。

 ただ、予想以上に日本海軍、もっと言えば第一航空艦隊が手強かったために少しばかり戦争計画に齟齬が生じただけ。


 「おっしゃる通りです。現状は全力の日本が二割以下の米国を押しているだけの話です。

 ですが、もう少しすれば米陸軍と米海軍は日本軍を上回る航空機を太平洋戦線にも投入してきます。このままであれば、今年後半はわずかに優勢、来年前半は互角。そして来年後半は逆に米側が有利となり、再来年には彼我の戦力差は隔絶したものになるでしょう。

 確かに山本長官が信念とされた短期決戦早期和平は日本軍が取るべき戦略としては正しかった。だが、そもそもとしてそれを実行できる力が最初から日本には無かった。もし、米国を短期間で講話の席に引きずり出そうと思うのなら最低でも一航艦と同等の戦力を持った航空艦隊があと二つか三つは必要だったでしょうね」


 六隻の空母と四〇〇機の艦上機、さらに空母を守る護衛艦艇。

 それを一つか二つであればともかく、三つも四つも維持できるほどには日本の国力は充実していない。

 開戦までに戦艦をすべて空母に改造していればあるいは可能だったかもしれないが、そんなことは海軍主流を占める鉄砲屋たちが許さなかっただろう。

 なんにせよ、米国との戦争など無理ゲーもいいところなのだ。

 それでも、俺の容赦のない言葉の中に山本長官は自分と同じ航空主兵主義者の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。


 「ジュンさん、お疲れのところ申し訳ないが本土に帰還するまでの間、『赤城』から『大和』に乗り移っていただけませんか。貴方とはもう少し話がしたい」


 少しばかり精気を取り戻した山本長官の言葉に俺は首肯した。

 俺も話しておきたいことがいくつもあったからだ。

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